きのうで、このサイトをはじめてから丸10年がすぎ、きょうから11年めに入る。文章を書いていると、ときどき果てしない複雑なジグソーパズル、ときに謎ときゲームへ挑戦しているようだ……と感じることがある。
 落合地域に残る、地元のさまざまな口承伝承や伝説(フォークロア)、物語、事件、エピソード、ウワサ話や風聞のたぐい、そしてこの地域に関連して残された膨大な紙資料(写真含む)の山が、パズルを構成するひとつひとつのピース(あるいはピースの一部)にあたるわけだが、それさえも、すぐにあてはめられる整然としたピースのかたちをしているとは限らない。まずは、パズルへとあてはめる以前に、それに見あうピースづくり、あるいはピースが分解してしまった断片探しから、はじめなければならないこともある。
 そんなことをエンエンと繰り返して、11年めを迎えてしまった。さすがに、そろそろ飽きてきた気もするのだけれど、目の前にピース(やその断片)の山が、PCのフォルダやクラウドのストレージ、ftpサーバに、あるいは紙資料の場合は段ボール箱やクリアファイルに綴じてそのままになっていると、どうしても気になってつい手を伸ばし、パズルボードのあてはまる部分を横目で探しはじめてしまう。あるいは、この断片とあの断片とがつながるかもしれない……とか、現在はこの部分が欠落しているけれど、そのうちにピッタリな切片が見つかるかもしれない……などと考えはじめると、その欠けた切片のありかや接着剤(材)を探しにあちこち歩きまわったり、資料の山をひっくり返したりしながら、知らないうちにPCの前に座って記事を書いてたりする。



 わたしには“霊感”Click!はまったく存在しないし、アタマの回転も記憶力もそれほどよくはないけれど、なにかの“気配”Click!や“気脈”Click!、自然ではない人工的で不可解な“意図”Click!や人為的な“匂い”Click!を、どこかで感じとれる性格をしているようだ。だから、なにかに“ひっかかり”をおぼえると、それがアタマの基底に沈殿し、別の新しい発見がきっかけとなってスイッチが入ったとたん、沈殿していた課題が異なる姿で大きな意味をもって浮上してくる……というような経験を何度かしている。それが、いってみれば楽しく感じる瞬間でもあるだろうか。こんなことを10年間もつづけていると、それはもはや生活習慣のようになってしまって、ほかの日常的な暮らしが想像しにくくなってしまう。まさに、スパイラル状に繰り返す“生活習慣病”の領域へと踏みこんでしまったようだ。
 それでも、“落合パズル”ゲームをやめないのは、パズルをかたちづくる、あるいはピースをあてはめるときの想像や推理、予測・予想などの組み立て作業が、楽しくて面白くてしかたがないからだろう。多彩な状況証拠や物的証拠、また、さまざまな地元の証言を積み上げつつ、ひとつの時代風景の基層を組み立て、やがて全体像を構築していくのは、それが実際にあった出来事や人間関係であるがゆえに、上質な推理小説を読むよりも面白いことがある。そう、単なるフィクションではなくリアリズムの面白さなのだが、寝食も忘れて熱中してしまうことも再三にわたってあるのだ。このような密度の濃い精神的なダイナミズムは、小学校時代に図書館で夢中になって読んだドイルの作品や、夏休みの自由研究の高揚感にも似ているだろうか。



 ひと口に“落合パズル”ゲームといっても、当然ながら歴史的あるいは美術史・文学史的なアプローチのみでは間に合わない。ときに、民俗学や地理学のような視点や思想史、政治史、宗教史、さらに自然科学的な切り口を持ちこまなければ見えてこない、落合地域ならではのベクトルが存在している。文科系の、しかも社会科学(歴史学含む)分野がベースのわたしには、とても手におえないようなテーマにぶつかると、とたんに記録する気力が失せてしまうのだが、それが別の重要な物語と連携しているような課題だったりすると、イヤイヤ取材や調べものへ取り組んだりもしている
 それが案外面白くなったりすることもあるのだが、このような作業を10年もやっていれば、おのずと好きなテーマやそれほど好きでないテーマに分化してくる。でも、好きなテーマばかり追いかけていると、落合地域の、ひいては落合を含む江戸東京地方のほんの一側面しか捉えられていないのに気づき、もうひとつ別の視座から改めてテーマを見直してみたりする。そんなことの繰り返しで、この10年間がすぎたようにも思う。



 丸10年やってみての感想ではもうひとつ、やはり当初の予測どおり、落合地域に堆積した膨大な時間軸による史的な地層(物語)を、それぞれのテーマごとに多角的かつ人を中心としてドリルダウンしていくと、期せずしてもっと広い地域の課題、すなわち江戸東京地方のテーマへと直結していることが判然としている。
 さらに、このブログがスタートしたころ小川紳介監督のドキュメンタリー映画『ニッポン国 古屋敷村』(1982年)を例に出して書いたClick!けれど、江戸東京地方の枠組みさえ飛び出して、落合地域が「ニッポン国 落合町」であることにも改めて気づかされる。別に落合地域に限らず、日本のあらゆる地域や街で同じような試みを積み重ねれば、そこにはひとつの地域史を超え、また一地方史をもはみ出して、日本史そのものへ直接的に敷衍できる大きなテーマ性が浮かび上がるだろう。


 このブログで取りあげた多種多様な物語は、落合地域やその周辺域を中核としたほんの狭い範囲内で起きている出来事であり、人々の軌跡であり、また街角の移ろいであるにすぎないのだが、それがある時期の江戸東京の姿を象徴するものであり、ある時代の日本列島の姿を透過して見せてくれるものであり、また近代国家としての枠組み「日本」における大きな課題を内包しつつ、その矛盾が噴出している現場や最前線そのものであったりもする。そんな人々の思想や思念、愛憎、悲喜こもごもの感情が色濃く溶けこんだ、多彩な物語に長く手を突っこんでいると、ある種の認識が“パターン化”してくる点については、十分に気をつけなければならない。
 事実は小説やドラマ、舞台とは異なり、エンディングを構成する予定調和や劇的な幕切れなどどこにも存在しはしない。人が生を終えるとき、満足しきって調和し安定した精神状態であることが少ないように、このサイトに登場する多くの人々は、戦争による不本意な死や“不治の病”による死に象徴されるように、なにか仕事をやり残したままのある日、突然、生を断ち切られたケースがほとんどだ。



 また、そうであるがゆえに「悲劇の物語」という、ある種の先入観とともにパターン化(ある意味では矮小化)され、どこか“神話”化・“聖人”化されたようなヒロイズム的でアイドライズされた世界も存在しない。人々の生死は、それぞれ千差万別であり、人の数だけ人間臭い(人間らしい・人間ならではの)物語があり、また地元の生活現場に近ければ近いほど、人々の物語には生活臭が強くまとわりついてくる。そして、その周囲には「正史」や「伝記」には決して取りあげられない、ある意味では“美化”されない率直かつ素のままの人間像が浮かび上がってくる。
 上記のような現象は別に人に限らず、史的事件やエピソードについてもいえることだ。ある種の思い込みや偏見、規範、「常識」、あらかじめ「教科書」的に整理されてしまったバイアスにもとづいて対象をとらえようとすると、同じ誤りを繰り返し、どこまでも再生産していくことになる。
 ここでも、芝居や講談(=フィクション)に描かれた世界と、地元・大江戸Click!(おえど)や、その後の東京の街中で語り継がれてきた史実とが、まったく乖離して一致しない(ときに正反対の)ケースをいくつかご紹介してきたけれど、あらかじめ既存の印象やイメージにもとづき「こうだろう」、あるいは「こうであるべき」という規範化、事なかれの怠惰な思いこみが、人の物語や史実にもとづく事象の記事を書く場合、“最大の敵”であり障碍であることを改めて肝に銘じたい思いがしている。



 このサイトには、多くの方々が知っている「有名人」から、「隣りのお婆ちゃん・お爺ちゃん」にいたるまで、落合地域や江戸東京地方などに昔から住んでいる多彩な人々が登場している。わたしの現住居が新宿区北部の下落合なので、どうしても直接その現場に立ち、その周辺をすぐに取材してまわれる落合地域とその周辺域の記事が多くなりがちなのだが、わたしにとってたいせつで重要だと思われるテーマは、また落合地域との濃い繋がりのあるテーマについては、別に地域や地方に縛られず、これからも足をのばして積極的に書いていきたいと思っている。(できるかな?w)
 さて、11年めに突入して手はじめに取りあげる記事は、この次の、床屋の物語……。

◆写真:下落合(現・中落合/中井含む)に展開する多彩な街角風景で、佐伯祐三・米子夫妻Click!のアトリエのみ撮影は小道さんClick!。