1954年(昭和29)の暮れ近く、わたしの母親は“彼”から映画に誘われて有楽町で待ち合わせをした。“彼”とはもちろん親父のことで、ふたりにとっては初めてのデートだった。母親は映画と聞いて、「きっと原節子Click!が好きな彼のことだから、前年にヒットした小津安二郎Click!の『東京物語』と『早春』の2本立て上映館とか、彼はグレース・ケリーも好きだから、わたしも大好きなヒッチコックの『ダイヤルMを廻せ』あたりに連れてってくれるのよ」……と、楽しみにしていたようだ。
 ほかにも当時、映画館では『グレンミラー物語』や『波止場』、『七人の侍』など、母親が観てもいいと思う映画が、この年、あちこちで上映されていた。『グレンミラー物語』はすでに観ていたが、もう1回、彼と観てもいいかなと思っていた。親父に連れられて入ったのは東宝館で、あまり耳慣れない作品だったがスクリーンがほの明るくなると、「賛助 海上保安庁」という文字が映し出された。同時に、戦災復興事業の杭打ちのような音が鳴り響き、なにか動物の鳴き声のようなうるさい重低音が館内を震わせると、伊福部昭の不気味な弦楽曲が流れはじめた。
 それから4年後のヒット曲になるけれど、「♪今日のシネマはロードショー かわす囁き~ ♪あなたとわたしの合言葉~ 有楽町で逢いましょう~」というような情景を想像していた母親は、「ゴジラってなに??」、「これ、なによ。なんなのよ!」と初デートでひどいめに遭っている。しかも、芹沢博士の平田昭彦が魚の水槽にカプセルを入れると魚が“消滅”し、山根博士のお嬢様・河内桃子がキャーッ!と叫び声をあげるところで、親父は「オキシジェン・デストロイヤーだよ」と囁いたらしい。「おっ、おい、1回観てんじゃん!」と山田奈緒子なみに、すかさず突っこみを入れたくなったと思うのだが、最後までがまんして観ていたらしい。
 それからというもの、ゴジラClick!がトラウマになったのか、わたしが小学生のとき『モスラ対ゴジラ』(1964年)が観たいというと、母親は「ハァ~~~」とあからさまな溜息をついていた。きっと、「この父親にして、この子ありだわ」とでも思っていたのだろう。「モスラって、ただの蛾よ蛾。ほら、お庭にいっぱい飛んでる蛾よ」とハマユウが咲くClick!を指さして、わけのわからないことを何度か口走っていたが、結局、街の映画館へ連れていってくれた。

 少し前置きが長くなってしまったけれど、映画好きだった母親は、わたしをよく映画館へ連れていった。内容はほとんど憶えていないのだが、いちばん最初に連れていってもらったのが、ディズニーの動物記録映画『ペリとポロ』だった。余談だが、同映画のタイトルをいまは原題どおりに『ペリ』(1957年)と紹介する資料が多いけれど、当時の邦題(リバイバル上映だったからか?)は『ペリとポロ』だったように記憶している。リスの子どもたちが成長する過程を、まるでディズニーアニメのように甘ったるく描いた、自然界の法則や厳しさを無視した内容だったと思う。しばらくすると、母親は同じタイトルの絵本を買てくれた。この絵本が、わたしが手にした最初のものだった。おそらく、幼稚園に入るころではなかったかと思う。
 母親は、次々と映画に連れていってくれたのだが、ディズニー映画や物語アニメが多かったようだ。その内容をほとんど憶えていないのは、少女趣味のものが多く、わたしの興味をまったく惹かなかったからだろう。おそらく、戦争で大切な子ども時代を奪われた母親は、わたしをダシに観たい映画を片っぱしから観ていたような気がする。確か、分厚くて装丁もていねいな、ディズニーのアニメ映画『シンデレラ』や『白雪姫』などの豪華な絵本も買ってくれたように思うのだが、面白くなかったのでほとんど読んでいない。あれは、母親が自分で欲しかったのだろう。男の子に「Some day my prince will come」というような物語を与えても、まったく説得力がないのだ。
 このあと、小学館の学習図鑑シリーズを買ってもらうまで、わが家の絵本は不作、というかわたしの趣味に合わない本棚の状況は変わらなかった。ただ小学校1年生のとき、教室には絵本が何冊か置かれていたが、その中でアフリカの動物たちを描いた絵本を読みたいがために、わたしは始業時間の40分も前に、まだ誰もいない教室へ登校していたのをかすかに憶えている。

 さて、新たに買ってもらった小学館の学習図鑑シリーズは、「動物」や「昆虫」、「宇宙」、「地球」……と各テーマ別に分かれたカラーページの多い美しい印刷で、何時間見ていても飽きなかった。おそらく、そこに描かれた挿画の中には、今日からみればけっこう有名な画家やイラストレーターたちの作品が混じっていたのかもしれない。洋画家が、アルバイトに図鑑や絵本の標本画や挿画を担当するのは、別に戦前からめずらしいことではなかった。
 冒頭のカメレオンの絵は、少し前に記事に書いたばかりの鈴木金平Click!の作品だ。1927年(昭和2)に発行された「コドモノクニ」(東京社)に掲載されたもので、絵を見て楽しみながら動物の名前を憶えられるようになっている。図鑑の中で、特にわたしの興味を惹いたのは「動物」や「昆虫」などのほか、地質学をテーマにした「地球」の巻だった。親にねだって、ハイキングがてら五日市(東京)や山北(神奈川)、大磯(同)へ、わざわざ化石採集にも何度か出かけている。夏休みに昆虫採集をして、家じゅうを虫だらけにしたのもそのころだ。母親は、「もうカンベンしてほしいわ、モスラの芋虫の次は本物の虫なのよ」と、今度はモスラのトラウマで内心悲鳴をあげていたにちがいない。
 わたしの学習図鑑は、はたしていつごろまで本棚にあったのだろうか。あまりハッキリした記憶がないのだが、小学校を終えるころ、もったいないことに棄ててしまったらしい。いまでも手もとにあれば、かなり楽しめたと思うのだけれど、その本棚に空いた図鑑の穴を埋めたのは、確か子ども向けに学研が出版していた原色学習百科事典シリーズだった。わたしは、今度はそれに夢中になり学校の勉強などまったくせず、そればかり眺めていたのを思いだす。絵本仕様の図鑑とは異なり、学習百科事典の項目には現物のリアルなカラー写真が掲載されていたからだ。
 でも、いまになって思い当たるのだが、専門家が用いる「図鑑」は写真ではなく、図版や絵画仕様のものが多い。特に鳥類や昆虫、植物などではそれが顕著だが、写真では正確にとらえきれない対象物の特徴を、絵画ではより的確にわかりやすく表現することができるからだ。そのような観点からすると、画家やイラストレーターがアルバイトで描いていたと思われる図鑑を、惜しげもなくどこかへ廃棄してしまったのはいまさらながら残念でならない。
 

 学習図鑑シリーズの「地球」では、ジュラ紀から白亜紀にかけての肉食恐竜たち、たとえばアロサウルスやティラノサウルスは、まるでゴジラがノシノシと歩くような描き方で表現されていた。21世紀の古生物学ではありえない姿勢であり歩行なのだが、60年後の昨年(2014年)にサンフランシスコへ上陸したゴジラは、相変わらず米国の西海岸を直立姿勢のままノシノシと歩きまわっている。

◆写真上:1927年(昭和2)の「コドモノクニ」掲載の鈴木金平「虫類の保護色」で、(1)(2)カメレオン、(3)(4)トビナナフシ、(5)アゲハテフ(アゲハチョウ)ノ幼虫。
◆写真中上:1954年(昭和29)の暮れに公開れた『ゴジラ』(監督・本多猪四郎)。
◆写真中下:1926年(大正15)の秋に発行された「コドモノクニ」より、鈴木金平が描いた「アウム(オウム)」と「青セキセイインコ」。
◆写真下:上左は、1924年(大正13)発行の「コドモノクニ」5月号。上右は、1960年代に出版された小学館の学習図鑑シリーズ「昆虫の図鑑」。下は、「コドモノクニ」から武井武雄Click!が描く「七面鳥」。詩は北原白秋で、七面鳥をできるだけ肥らせクリスマスに絞め殺して食べようとするコックを描いている。どこか偽善的で砂糖菓子のような「ペリとポロ」よりも、子どもはこういう情景に想像力や情感の翼を大きく拡げるのだ。