落合地域とその周辺域で、引きつづきニホンオオカミClick!の伝説・伝承を調べているが、残念ながらいまだ確かなものは見つからない。大神を主柱とする三峯社Click!は、旧・東京15区時代の外周域、すなわち郊外の随所で見つかるのだけれど、これらは田畑の害獣除けの神として江戸期に勧請されたもので、実際にニホンオオカミが棲息していたわけではないだろう。
 時代を江戸期までさかのぼらせても、大江戸市街とその外周域にはすでにニホンオオカミの姿は見られない。以前にご紹介した瀧亭鯉丈の『花暦八笑人』Click!には、高田地域(現・目白地域)にはキツネとともに「大神」が出没していたことになっているけれど、これは市街地として拓けた大江戸市内の住民が、朱引墨引の境界も近い「場末」(江戸期には郊外という意味)の農村部を揶揄した表現だろう。キツネは実際に棲息Click!していたが、人の気配を嫌い警戒心のきわめて強いニホンオオカミはとうにどこかへ退散するか、市街地の近くでは絶滅していたと思われる。
 もうひとつ、山東京伝の『猿猴著聞水月談』には、墓地に埋葬された遺体をニホンオオカミと思われる動物(山犬)があばく場面が登場するけれど、この著作は山東京伝が全国の風聞を集めて記録したもので、大江戸の出来事とは思えない。また、江戸期にはニホンオオカミのことを「山犬」と記載されることがほとんどなので、それが実際にニホンオオカミなのか、山野に棲む野生化し凶暴になった野良イヌなのかが、リアルタイムの詳細な観察記録がない限り区別できない。
 江戸期以前からつづくと思われる墓地の風習に、埋葬した遺体を「山犬」に掘り返されないよう、土饅頭に細工をほどこす地域が見られる。秩父山系が近い奥多摩地域には、新墓の土饅頭の上に3本の竹を組みあわせ、上から縄で大きな石を吊るす習慣が明治期まで残っていた。動物が新墓を掘り返しはじめ、組まれた竹に触れると真上から大きな石が落下する仕掛けだ。また、北関東では、細い孟宗竹を切って何本か土饅頭に立て、その片方を浅く地面に刺しておく。墓をあばきにきた動物は、掘りはじめたとたんバネじかけのような竹に叩かれて驚き、逃げていくという仕組みだ。
 江戸期には山野の開墾が進み、ニホンオオカミのテリトリーを侵食することが多くなったのだろう、明らかに野犬とは異なる容姿をした「山犬」の記載が多くなる。換言すれば、ニホンオオカミを見かける機会が多くなった里人たちは、野犬とニホンオオカミとのちがいを明瞭に見分けられるようになったということだろう。特に山里の仔馬など家畜をねらった、ニホンオオカミの群れとみられる記録は信憑性が高い。
 1992年(平成4)に『狼―その生態と歴史―』を著わした平岩米吉によれば、その形態から明らかにニホンオオカミと思われる「山犬・狼(やまいぬ)」を仕留めた記録が、江戸期には全国で21例ほど見つかるという。でも、すでに大江戸とその周辺域にはこの種のエピソードはまったく存在せず、江戸地方にもっとも近い記録としては、相模(神奈川県)の丹沢山塊に出没したニホンオオカミの逸話が収録されている。平岩米吉『狼―その生態と歴史―』(築地書館)から引用してみよう。
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 貞享四年(一六七八年)に相模足柄上郡山北村の大野山(七二三m)で狼が荒れたことがあり、同村皆瀬川の名主、大野茂衛門が討ちとった話が伝えられている。以来、名主は「狼の茂衛門」とその勇名を近隣にうたわれたという。この狼は三歳ぐらいの雄で、しかも、その頭骨は、今も子孫の大野君麿さんの宅に家宝として保存されている。先祖の武勇を物語るばかりでなく、狼の頭骨は魔除けになると信じられているからである。
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 オオカミが「荒れた」というのは、人里まで下りてきて家畜を襲ったケースがほとんどだ。この頭骨は、1956年(昭和31)に横浜の野毛山図書館で開かれた「民俗資料展」に出品されたが、前頭部に傷跡があることから撲殺されたと推定されている。後年、早稲田大学のチームが調査し頭骨の全長が217mm、下顎骨が159mmと計測されている。


 丹沢山塊にはニホンオオカミが数多く棲息し、秦野市に住む海沢英三という人の調査によれば、農家に保存された江戸期に由来するとみられる頭骨は、同地域だけで9個が確認できるという。だが、ニホンオオカミの頭骨は、江戸期には大神信仰から「魔除け」あるいは田畑の「害獣除け」の効果があると信じられていたので、すべてが同地域で捕獲されたものとは規定できない。どこか別の地域から農村へ売りにきたのを、村民が購入した可能性もあるからだ。
 大江戸の近くでは、もうひとつ埼玉県大里郡のひかや村で記録されたエピソードが残っている。引きつづき、同書から引用してみよう。
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 武州榛沢郡ひかや村(現、埼玉県大里郡岡部町)の庄左衛門という農夫は、ある日、耕作に出て、運悪く狼におそわれ、食い殺されてしまった。二十歳ばかりの妻は、これを口惜しく思い、なんとしても狼を討ちとってやろうと、九尺柄の手槍をさげて、方々たずね歩いたところ、ある畔(くろ)に大きな狼が伏しているのを見つけた。「これぞ夫の仇」と勇みたち、手にもった槍を取り直し、見事に狼の咽から上へ突き立てた。狼は怒って荒れ狂い、起きあがろうとしたが、一生懸命、槍を放さず、大声で叫んだので、村人が大勢駆けてきて、とうとう狼を打(ぶ)ち殺してしまった。(カッコ内引用者註)
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 この逸話は、実際に農夫が襲われる現場を誰も目撃していないので、飢えた野犬か狂犬病にかかった野犬の群れに襲われたのか、ニホンオオカミに襲われたのかは不明だ。だが、激高していた妻が仕留めたのは、どうやらニホンオオカミだったらしい。人の気配を嫌うニホンオオカミだが、たまたま家畜をねらいに山から下りてきた個体が、夫殺しの濡れぎぬを着せられて殺された可能性もありそうだ。
 これらの記録は、1670年(寛文10)から1848年(嘉永元)までの約180年間に起きた、野犬ではなくニホンオオカミとみられる動物を仕留めた事例だが、その間、わずか21例ほどしか記録されていない。もっとも多い記録は、長野の4件をはじめ、京都・岩手・宮城が各2件、秋田・茨城・埼玉・神奈川・新潟・岐阜・愛知・三重・広島・島根・高知が各1件の計21件だ。でも、これらがニホンオオカミの棲息エリアというわけではなく、目撃例や家畜の被害からニホンオオカミが棲息していたのは、北海道を除く日本全土にわたっていたと考えられている。ちなみに、北海道には大陸オオカミに近い大型のエゾオオカミが棲息していた。


 明治期を迎えると、明治政府に雇われた外国人の助言にしたがい、輸入した硝酸ストリキニーネによる毒殺で絶滅したと考えられているニホンオオカミだが、戦後になっても目撃情報がつづいている。もっとも多発しているのが、関東地方では三峯社の本拠地である奥秩父山系だ。山歩きをしていて、イヌとは明らかに異なる様子の動物に、突然出くわしてしまった記録はあとを絶たない。共通しているのは、相手を威嚇する際の明らかにイヌとは異なる、低音(低周波)で遠くまでよく響くうなり声だ。
 奥秩父での典型的な目撃例として、1993年(平成5)に出版された柳内賢治『幻のニホンオオカミ』(さきたま出版界)から引用してみよう。出くわした瞬間は、野犬化したシェパードだと勘ちがいしたが、山歩きに馴れた林業が専門の人たちによる記録だ。
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 突っ立ったという感じは腰をやや落とした姿勢ながら、前脚をしっかり踏ん張っていたので、そう見えたのかもしれない。脚は前も後も普通の犬より太いなと思った。毛は茶色がかった灰褐色だったと記憶している。鼻筋が水平に見えるほど顔をあげていた。その姿勢は二五年以上経った今でも私の瞼に焼きついたままである。/尾は垂れていたと思う。上に巻いていなかったことは確かである。それは相手が警戒姿勢であったことを意味する。耳は体に比べ小さく感じられた。ときどき耳をピクッ、ピクッと動かしていたのは周囲の動きに気を配っていたのであろう。/かなり後になって、ブラウンスという東京帝国大学の雇い教師だった人が描いたオオカミの絵を見たが、ちょうど私が見たのとそっくりであった。絵はオオカミの右側を描いていたが、私が見たのは四五度斜めの姿勢をとっているオオカミの、左側面であった。そういう角度から見ただけに確かな観察ができたと思っている。(中略) 相手は口を結んだままであったので、それほど恐ろしさを感じなかったが、その眼光の鋭さ、威風堂々たる態度を見ると、理屈抜きに射すくめられてしまった。それは私ばかりでなく、同行の二人も同じような恐怖感を受けたのではないだろうか。その証拠に、誰もひと言も口がきけなかったのである。
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 山々に棲息する哺乳類では、ヒエラルキーの頂点にいたニホンオオカミを滅ぼしてしまったせいで、100年以上たった今日まで日本の山里や農村部ではツキノワグマやニホンカモシカ、ニホンザル、イノシシ、ニホンジカなど、年間170億円にものぼる膨大な獣害(鳥害を除く)を受けつづけることになった。東欧におけるヨーロッパバイソンの復活のように、なんとかニホンオオカミを甦えらせる方法はないものだろうか。

◆写真上:とある住宅の軒下に貼られた、魔除け・厄除けの三峯社札。
◆写真中上:上は、杉並区西荻北にある三峯社の本殿と狛大神。下は、東京国立博物館蔵の江戸後期に描かれた『諸獣之図』の諸鳥獣の内「狼(ヤマイヌ)」。
◆写真中下:上は、狛大神が出迎える上荻窪村(現・杉並区西荻北)の三峯社。下は、上野動物園を創立した田中芳男が1876年(明治9)に描いた『ニホンオオカミ』。
◆写真下:上は、上荻窪村の三峯社拝殿。中は、ドイツの地質学者で東京帝大の教師をしていたブラウンスが1881年(明治14)描いた『ニホンオオカミ』。下は、ニホンオオカミと思われる獣が目撃された秩父山系の両神山とその周辺域。