1932年(昭和7)に豊島区が成立する直前、高田町最後の町長となった海老澤了之介Click!は、1902年(明治35)に水戸中学を卒業すると、早稲田大学を受験するために東京へやってきている。下宿先は、北豊島郡雑司ヶ谷村707番地だった。山手線の池袋停車場Click!ができるのは翌1903年(明治36)で、雑司ヶ谷一帯はいまだ田畑が拡がる中に森が点在するような風情だった。
 雑司ヶ谷は、江戸期から別名「富士見の里」と呼ばれるほど富士山Click!の眺望がよく、鬼子母神Click!から地図に直線を引いて確認すると、おそらく目白崖線がつづく下落合の御留山Click!の上あたりから突きでて見えていたのだろう。いまだ清戸道Click!(せいどどう=高田村誌Click!)と呼ばれていた目白通りには、練馬方面からやってくる野菜を満載した大八車Click!や肥車が通行し、ときおり目白停車場Click!や学習院へと向かうClick!(じんりき)が走り抜けていた。春になると、学習院の通りに植えられたサクラ並木がみごとに花開き、周辺の住民たちは花見に誘われたようだ。
 海老澤了之介は、雑司ヶ谷から早稲田大学まで通学しているが徒歩15分ほどの距離だったろう。当時の早大は、いわゆる見わたすかぎりの早稲田田圃Click!の中に、場ちがいな校舎の甍がそびえるような閑散とした風景で、隣接する大隈邸は水田の中にある孤島のように見えたという。商店街は正門前にしか形成されておらず、幕府の高田馬場Click!跡がいまだクッキリと残っていた時代だ。当時の通学の様子を、1954年(昭和29)に出版された海老澤了之介『追憶』(私家版)から引用してみよう。
  
 雑司ヶ谷から早稲田への通学は、面影橋から高田の馬場を経て行つたが、帰路は音羽通りに出て、葱、蒟蒻などを荒縄でぶら下げては帰つたものである。それでも人気のない田舎道の事であつたから、少しもはづかしい思ひをせずに済んだ。今思へば全く隔世の感がある。小石川伝通院前の西川と言ふ牛肉屋から、毎日御用聞きが来た。十銭の牛肉を先輩と私とお婆さんの三人で煮込みのおじやに作つて食べたりした。当時の下宿料は五円であつた。電燈は未だなく、竹ほやの石油ランプとマツチとを枕元に揃へて寝た。学生の常で、昼は遊んで夜勉強するのであるが、一月、二月ともなると寒さが身に沁みて来る。そんな寒い或る晩の事であつた。丑満の時ともなると、いよいよあたりは静まりかへつて、静寂そのものである。すると丁度目白駅の方向に当つて甲高い、そして澄み切つた声で、コーンと一と声聞えた。(中略) 始めて(ママ)之は狐にちがひないと気付いた時、啼声はすぐそこに近付いて聞えた。
  
 海老澤了之介が通った文学部哲学科の同窓には、戦後まで交友をつづけた下落合1712番地の第二文化村Click!に住む石橋湛山Click!がいた。石橋湛山は、1958年(昭和33)に出版された海老澤了之介『新編若葉の梢』Click!(新編若葉の梢刊行会)へは序文、『追憶』(私家版)には色紙を書いて寄せている。

 

 海老澤了之介が地域行政の世界へ足を踏みいれたのは、父親が隠居してあとを継ぐことになったからだ。当時の高田町(現・目白/雑司ヶ谷/南池袋地域)は、大正期から昭和初期にかけ市街地からの人口流入が爆発的に増えつづけた激動の時代だった。特に1923年(大正12)の関東大震災Click!以降は、地域のインフラをいくら整備しても不足する、1950~60年代の神奈川県Click!のような混乱状況だった。だから、新しい時代状況に適応できない人々(おもに旧住民)と、新たなインフラの仕組みや制度づくりをめざす人々との間では、深刻な軋轢が生じることになった。
 当時の高田町に設置された常設・臨時委員会だけ見ても、学務委員会や警備委員会、社会事業調査委員会、条例規制改正委員会、下水道委員会、武蔵野鉄道護国寺線促進委員会、神田川改修促進委員会、荒玉水道促進委員会、瓦斯料金値下実行委員会、歳末慰問委員会、市郡併合特別調査委員会…etc.と、その名称をなぞるだけで当時の高田町がおかれていためまぐるしい様子が透けて見える。みるみる膨れあがる町勢に対し、ひとことでいえば「なにもかもが足りない」混乱した事態を迎えていた。
 海老澤了之介は、もともと高田地域に住む“有力者”たちを説得して、新しい街づくりに協力させるのが助役時代、そして町長時代のおもな仕事になっていた感さえある。中には、「男の約束を反故にした」とかいいつつ、日本刀を持ちだして「海老澤を斬ってやる」と公言する人物までが現れた。高田警察署では、町長に24時間の護衛をつけるまで緊迫した事態がつづいていた。同書より、当該箇所を引用してみよう。



  
 (前略)当時町会議員で、上り屋敷に坂本辰之助君といふ新聞記者であつて、史学家を自負してゐる人がゐた。而しよくも勉強をしてゐた人であつたから、町会では純情の人だけにうるさい。物の理解方が、僕等とは少し違つてゐたから、納得することが出来ないとカンカンにおこる。調子が激越して、口角泡を吹くやうになると大変、僕も亦余りの度々のことであるから、大声を発して反撃してやると、決然席を蹴つて帰つて仕舞ふ。帰つてからが大変で、日本刀を出して海老澤を斬るといつて意気巻いたと言ふ一トくさりがあつたが、一度も斬りに来る事がなかつた。それからもう一人、誰であつたか、その人の名を忘れたが、この人も亦町の有力者で、私には好意ある人であつた。この人も日本刀を磨いて、海老澤を斬るといふ騒ぎになつた、町長のことであるから、目白警察署でも捨ててはおけず、毎日三人昼夜交替に護衛に来て、泊まつて行つた。
  
 海老澤了之介は「忘れたが」と書いているが、町の有力者の名を忘れるはずがない。ここで留意したいのは、もともと裕福な農家であり明治以降は一帯の地主になる街の“有力者”たちが、みな先祖から受け継いだ刀剣を所持していることだ。刀剣を所持していたのは武家だけでなく(そのような錯覚Click!を植えつけたのは時代劇だろう)、町人や農民(近郊農民は鉄砲Click!まで)も所有していたことを改めて確認しておきたい。
 1932年(昭和7)に東京35区制Click!が敷かれるとき、区名をなににするかで豊島区も3つの区名で争っている。高田町は、西巣鴨町と長崎町を併せて「目白区」にすることを主張し、巣鴨町はなぜか瀧野川町を仲間はずれにして、高田・西巣鴨・長崎を併せて「巣鴨区」にしたいといいだした。
 この時点で、山手線の目白駅Click!ができたことにより、「目白」Click!の概念が小石川町(現・文京区)の目白(目白不動のあった関口や目白台の地域)から、大きく西へズレはじめていたのが判然としている。また、巣鴨町が高田町といっしょになることに抵抗感がないのは、高田町内に巣鴨町の代地がいくつか点在していたからだろう。さらに、西巣鴨町は池袋町といっしょになって「池袋区」を主張している。



 「目白区」と「巣鴨区」「池袋区」が三つ巴になって争ったが、いずれの名称にも決まらずに旧・郡名でもあり、豊島氏の故事にちなむ無難な「豊島区」に決定したのは、区名に関する町同士の争いや遺恨を、後世に残さないようにするためだったのだろう。誰かが再び、「斬ってやる!」などと刀を急いで研磨Click!にかけることのないように…。

◆写真上:目白通りに面し、1932年(昭和7)まで存在した高田町役場跡の現状。
◆写真中上は、1932年(昭和7)5月10日の高田町議会で中央奥に立っているのが高田町最後の町長・海老澤了之介。は、晩年の海老澤了之介()と早大哲学科時代に同窓だった石橋湛山(右)。は、昭和初期に撮影された改修工事前の弦巻川(鶴巻川)。
◆写真中下は、昭和初期の大恐慌で増えつづける失業者対策も兼ねた弦巻川の暗渠化工事。は、人が立って歩けるほど巨大な弦巻川の暗渠トンネル。は、戦後の1954年(昭和29)に撮影された弦巻川湧水源の丸池(成蹊池)。
◆写真下は、根津山道(現・グリーン大通り)の開設記念写真。左から2人めが、高田町に3,000坪以上の土地を寄附した根津山の所有者・根津嘉一郎で、4人目が町長の海老澤了之介。は、1931年(昭和6)からスタートした根津山の下水道工事。は、同年から行われ1933年(昭和8)までに竣工した旧・神田上水の改修工事。左側に写る火の見のような櫓状の構造物は、江戸友禅・小紋や藍染めなど染め物の干し場。

記事中にも「男の約束」が登場していますが、別に「男」に限らず女性でも約束をたがえられたら怒るでしょう。『さよなら・今日は』のDVD化を願って、今回の“予告編”は1974年(昭和49)1月12日(土)に放映された第15回「男の約束」です。いつもは新聞記者か刑事役が多い鈴木瑞穂が、めずらしく下落合の地主役で登場しています。加東大介の演技も懐かしいですが、すでに前年から出演していた山田五十鈴が、第15回から準レギュラーとして毎回登場するようになります。
 「父親の作品を処分」とか跡地にマンション建設とか、やたら下落合ではリアルな台詞が多いのも印象的です。w この回、一作(原田芳雄)は仙台へ子供の母親探しで旅行中、冬子(大原麗子)は正月に信州へ帰省しているためアトリエには不在で、「鉄の馬」を切り盛りしているのは緑(中野良子)ということになっています。「下落合の高台に君臨する仁王様」の日記が、緑によって書かれるのもこの回でした。いつも下痢気味で、あわててトイレへ駆けこもうとする高橋清(緒形拳)の情けない表情からスタートします。
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