六本木交差点のほど近く、ロシア大使館の裏手にものすごく不思議な感覚にとらわれる谷がある。断崖絶壁を望む、奥深い狸穴坂の谷間だ。東麻布側から狸穴公園をへて、この谷に入りこんだとたん、時代が60年前へとタイムスリップしてしまったような感覚をおぼえる。路地が細く入り組んだ谷底の道は、まさに昭和初期の風情をいまだ色濃く残している。その路地をめぐるうちに、いま自分がどのあたりを歩いているのか、方角がまったくわからなくなってしまった。六本木ヒルズも東京タワーも、方角の指標となる建造物がぜんぜん見えない。まるで、狸に化かされでもしたような感覚。
 山本“曲軒”周五郎の、幻の大作といわれた『風雲海南記』に、次のような描写がある。
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 呼びあいながら狸穴の坂を駈け下りて右へ曲がる、小屋敷ばかりの街で、道は縦横に通じている、坂を下りきって二丁あまり行くと、大長寺の稲荷社の小さい森がある。その森の中から、
 「斎藤――斎藤」
 と呼止める声がした。
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 江戸時代、追っ手をまくには最適な場所が狸穴坂だったのだ・・・ということに設定されている。現在は大長寺も三田稲荷も引っ越して、狸穴町に隣接する麻布永坂町にはない。
 狸穴坂の西側にある、植木坂や鼠坂をのぼって一気に崖上へと出ると、そこはまったくの別世界が広がっている。旧石見浜田藩の松平右近将監の中屋敷があったところで、狸穴町の谷間から見あげると、まさに断崖絶壁の上になる。江戸期にも、「崕雪頽(がけなだれ)」という名称がつくほどの絶壁だった。
 低地には町場、高台には屋敷のお約束どおり、崕雪頽の尾根筋には大きな邸宅が緑に囲まれて、ゆったりと建っている。しかも、どういうわけかITベンダーの社長宅がやたら目につく。パソコンの「窓」でおなじみの元社長N邸をはじめ、どこからか山のこだまが聞こえそうなS邸。(^^; S邸に常駐する、門前のガードマンはとても親切だ。なんだか、相談しあって寄り集まったんでしょうかね。美術館でおなじみのI邸・・・。広い道のまん中には、私有地につき勝手に入りこむな・・・なんて趣旨の立て札があったりする。
 なんだか、シリコンバレーの高台はIT勝ち組の街にでも迷い込んでしまったような雰囲気なのだが、狸穴バレーClick!はITソリューションの匂いなどどこ吹く風、あくまでも昭和の時代なのがとっても素敵だ。

■写真:狸穴坂下の戦前のお宅。一度、こういう家に住んでみたい。