麻布の「野田岩」へ行ってきた。子供のころに訪れただけだから、数十年ぶりぐらいだと思う。うなぎといえば、もう300年の昔から日本橋・神田や深川の世界と決まっているのだが(一部では明治以降に問屋生簀のあった飯田橋・江戸川橋界隈なんて主張する人もいるが)、「野田岩」は山手の「う」で美味いと感じる数少ない店のひとつだ。ここの鰻重は、下町の味とはまったく異なる。したじ(濃口醤油)風味が強く、砂糖が少なめのタレで、実にあっさりとした上品な味で食い飽きることがない。パリッとした香ばしさが残る下町の“焼き”がない反面、うなぎのドロ臭さをまったく感じさせず、最後まで「う」のしつこさを寄せつけない独特な風味をしている。注文がとどくと同時に、さっそく食いはじめてしまったわたしは、写真を撮るのを忘れたことに気づいた。お見苦しい点は、なにとぞご容赦!
 「野田岩」とは対象的に、最近ガッカリしたのが大川端にあるうなぎの老舗「M」。大川(隅田川)が目の前に拡がり、行きかう舟を見ながら「う」を食するわけだが、これがからっきし美味くない。わたしが子供のころ、親父に連れられて通ったころは間違いなくもっと美味かったはずだ。舌がちゃんと憶えている。ところが、いい鰻重を注文したのに、くどくてドロ臭くて、まったくの期待はずれだった。あれでは、深川の1,000円も出せば食える鰻重定食のほうが、よほど気がきいて美味いじゃないか。「東京下町グルメ」とかでよく紹介される「M」だが、老舗の味をいまに伝える・・・なんてこと書いてあるけど、ウソをつくな。20数年前と、まったく違う味じゃないか。

 東京の町場の食いもんは、どれもこれもたいてい好きだけれど、ちゃんとマジメに作っていてくれているから、美味しく食べられ好きでもいられる。中でも「う」は、子供のころから食いなれている気どらない素材なので、こんなわたしでもちょっとうるさい。ときどき、四万十川から天然うなぎを丸ごと取り寄せ、自分で裂いては好きなタレで蒲焼にする。凝りはじめると、タレ作りのしたじや砂糖の種類・産地までが気になってくる。親がよく連れ歩いてくれた、うなぎ屋の記憶のある方々は、必ず自分なりの店や味の“標準”をお持ちのはずだ。そんな理想を味わいたくて、「う」のはしごをしたり自分でこしらえたりする。
 「野田岩」は、わたしの原体験的な「う」とは志向がまったく異なる風味だけれど、その山手風(?)の作りは見事だ。それにひきかえ、大川端で本場であるはずの「M」は情けない。大川端の「う」が、山手麻布の「う」に遠くおよばないなんて、30年前だったらとても許されなかっただろう。「こんなもんだ」・・・と思って、誰もなにも言わなくなってしまったのだ。

■写真上:麻布「野田岩」の新しい見世がまえと食いかけ鰻重。
■写真下:大川端「M」からの眺め。