早稲田大学のほど近くに、「茜屋珈琲店」はある。もともと、祖父の代の大正初期からパン店兼珈琲店「武蔵野」を店開きされていたそうだ。早稲田大学の南門から徒歩数分の、早稲田通りに面した立地だ。1932年(昭和7)6月、地元の大工さんにリニューアルして建ててもらったのが、右上のセピア写真の店舗。その設計がめちゃくちゃ凝っていて、ていねいに仕上げられている。
 別に、地元の大工さんは建築家ではないから、いろいろなデザインの家や店舗を観察しながら、建築主とともに工夫したらしい。多彩なデザインの折衷なのだが、ひとつひとつのデザインに思い入れがあって面白いのだ。三角のとんがり屋根は、まるで文化村のバンガロー住宅か教会風。目白文化村あたりも、参考にしたかもしれない。なんと、ここがお風呂場だったのだそうだ。屋上のかまぼこ型の装飾には、早稲田の「W」の文字が“すかし”風に入れられている。たそがれ時に西陽を受けると、「W」が鮮やかに浮かび上がるしかけだ。
 2階の窓辺あたりを見ると、カラータイルがていねいに埋め込まれた几帳面な仕事をしているのがわかる。ガラスの引き窓の枠が、一転して卍くずしっぽくてどこか中国風なのがいい。和洋折衷ではなく、万国折衷の建物といったところか。1階には、当時の「武蔵野」の人々と大工さんたちが並んでいる。横の看板には、コーヒー五銭、ミルク八銭、パイナップルジュース十銭などのメニューがある。当時のウェイトレスか店員たちの白いエプロン姿が、セピア色の写真でもまぶしい。早稲田通りはこのあと舗装されるが、階段2~3段ぶんぐらい高くなって、しゃれた街路灯が設置された。写真右下が、たそがれ時の「武蔵野」。おそらく1940年(昭和15)前後ぐらいの、すばらしい風情だ。この風景は1945年(昭和20)5月、高田馬場から下落合にかけての戦災からわずか1ヵ月後、早稲田界隈の空襲で消滅してしまう。
 

 ここのマスターは、戸塚近辺ではちょいと有名な土地の語り部であり“郷土史家”だ。下落合の瑠璃山と同様、横穴式古墳(墳丘の羨道かもしれない)が発見され、その名がついた穴八幡の丘全体を、巨大な前方後円墳ではないかと疑っておられる。新宿区内で横穴古墳が見つかっているのは、ここと下落合のみだ。いまは穴八幡の境内になっているので、発掘調査することはかなわない。確かに、富塚の大きな前方後円墳は穴八幡の目の前、いまの早大キャンパスにあった。そう、落合界隈と同様に、戸塚や高田(たかた)、早稲田界隈は古墳の遺跡だらけなのだ。そして、戸塚・高田・早稲田界隈のキーワードも、マスターの言うとおり「出雲」なのだ。

■写真上:左は「茜屋珈琲店」で、現在は地下になっている。右は昭和7年の建て替え時の珈琲店「武蔵野」。
■写真下:左は同時期の斜めショットで、建物の横にメニューの看板が見える。右は戦前の、たそがれ迫る珈琲「武蔵野」。街路灯がしゃれていて店舗とマッチし、とても美しい。