早稲田南町の、「漱石公園」内に残る夏目家のネコ塚だ。もともと、早稲田の夏目坂だか千駄木の夏目邸の庭先にあったらしい。終焉の家で「漱石山房」と呼ばれた早稲田南町の旧・夏目漱石邸は、1945年(昭和20)5月の牛込空襲によって惜しくも焼失している。いまは新宿区の地所となり、ずいぶん前から公園化されていた。
 最近、この公園に夏目漱石の旧邸を復元しよう・・・という話を耳にした。特に、書斎や応接間など、いわゆる「木曜会」サロンが開かれた部屋の復元をめざしているそうだ。公園の持ち主である新宿区が中心となり、朝日新聞の記事(5月18日)によれば今年度から予算がついて、3年計画で公園の整備もかねた大がかりな計画が進行中らしい。家の設計図など残ってないので、現存する家や部屋の写真、漱石の故・長男に取材した間取図、それに晩年作の『明暗』『硝子戸の中』などに描かれた様子などを参考にしながら復元していくという。ついでに、公園全体のリニューアルもやってしまおう・・・という企画のようだ。完成したら、間違いなく区内名所のひとつになるだろうし、近代文学の拠点となったところだから、わたしとしても手ばなしでうれしい。
 

 だけど、もう少しクールにちょっと引いて、マクロな視野で考えほしい。漱石の旧邸敷地はだいぶ狭くなったとはいえ、とうの昔から新宿区のもので、どこへも逃げていかないし、更地にされてマンションが建つ心配だってない。「漱石山房」の復元と、公園のリニューアルは来年度だって、2年後だって間に合うだろう。同様に、中村彝(つね)の大正初期のアトリエだって、現在は人が住まわれているのだから3年先、5年先に保存を(ようやく価値がおわかりになって)考えても、まだなんとか遅くはない。突然、お住まいの方が「住みづらいので建て替えます!」とでも言いだされない限り、いちおうは「安全」なのだ。だけど、旧・遠藤邸の武蔵野原生林は、たった今しか保存のチャンスがない。
 確かに、いろいろな角度から眺めて自然環境や文化財を保存していく、多角的・多面的な視野は必要だろう。だが、そこには当然ながら、若干のプライオリティが発生してくると思う。リニューアルや建築を来年度に伸ばしても、あるいは保存を5年後に伸ばしても、ほとんど差し障りのない「安全」な案件もあれば、この瞬間にもなんとかしなければ、まったく間に合わない「危険」な案件だってある。ちょうど、スギ花粉に反応して鼻水が止まらないアレルギー性鼻炎の患者と、蕎麦を食べてアナフィラキシーショックを起こし窒息しかかっている救急患者との違いのようなものだ。どちらへ待ったなしの、すばやい手当てが必要かは自明のことだろう。

 夏目邸と「漱石山房」の復元は、わたしもいまから楽しみだし、完成したらぜひ出かけてみたいと思う。ついでに、高浜虚子や安倍能成、岩波茂雄、和辻哲郎、寺田寅彦、芥川龍之介、瀧田樗陰、久米正雄などサロンに集った人々の資料も集めて、あわせて展示したら楽しいだろう。でも、それが5年後になったとしても、ぜんぜんかまわない。いま、この瞬間に、なにをどう「手当て」すべきか、行政のフレキシビリティが問われていると思うのだ。

下落合みどりトラスト基金
■写真:上は漱石公園に残る猫の墓、中は漱石の書斎と安倍能成による夏目坂の「生誕」碑文。下は、早稲田南の夏目邸間取図。