some oriさんのブログではありません。Chinchiko Papalogです。(笑)
 江戸期の職人さんたちは、誰も彼も「諸事しゃれごのみ」だったんだなぁ・・・とつくづく思う。織物、染工、金工、漆工、陶工、木工などを問わず、多彩な分野の職人たちがデザインした作品には、何気ないように見えて実は、いろいろな思いや願いが込められている。
 たとえば、テントウムシに唐草模様。商人の道具類にデザインされることが多かった柄だが、いつでも陽(お天道さま)の当たる場所を、末ながく歩いていけるように・・・という意味合いが込められている。天道虫と唐草(永遠)とを結びつけた、縁起のよいデザインだった。同様に、とんぼに菖蒲をあしらったデザイン。これは、武家にたいへん好まれた柄だ。菖蒲(勝負)に勝虫(とんぼ)ということで、戦の絶えた江戸期でも、なにかと競争の多かった武家社会では、「勝負に勝つ」ことが求められた。子供の端午の節句や元服祝いに用いた屏風や着物などに、いまでも数多く残っている。
 刀の鍔(つば)や縁頭(ふちがしら)、小柄(こづか)などに、不動の達磨大師という図柄も多い。いくら腹を立てても、絶対に動かず刀を抜くな・・・といういましめだ。時代劇とは異なり、武家が江戸の街中でうっかり刀を抜こうものなら、死をも含む重いお咎めが待っていた。同じように、鸛鶴(こうづる)に茄子(なすび)の唐草模様は、唐草(永遠)に鸛(功)を茄子(成す)なんて、とびきり虫のいいデザインもあったりする。江戸の言葉でいえば、こういう「洒落ころばし」は実にオシャレで、観ていて楽しいし気持ちがいい。そう、正倉院の葡萄唐草に魅せられて以来、わたしは唐草文の「永遠柄」にとっても弱いのだ。

 牡丹に唐草文は、文字どおり「永遠に美しく咲きつづける」という解題が正解だろう。(ぜんぜんちがってたりして/笑) 地味な芝翫茶(しがんちゃ/三世・歌右衛門)に似紫(にせむらさき)の色合い、藍糸を少しずつ交ぜ織りしながら牡丹唐草が、実にしぶい風情に仕上がっていて美しく、ジッと見とれてしまう。茶の大島には、似合うだろうか・・・?

■写真上:some oriさんの作品、「牡丹唐草」帯。
■写真下:勝虫(とんぼ)に龍田川(紅葉散る流れ)の鍔。在原業平の「ちはやぶる神代も聞かず龍田川からくれなゐにみづくくるとは」にひっかけて、ちはやぶる(勇んで)勝虫(勝つ)の意味。