「丑の日を 過ぎてから食う へそまがり」(お粗末!)ということで、江戸川沿い(江戸川橋~飯田橋)に展開した、東京のうなぎ問屋仲間Click!はなくなってしまったが、神田川周辺の「う」は、元祖または名所としての看板を掲げる店が、いまでも多く残っている。そして、看板にたがわず、かなり美味(うま)い店が多い。江戸期からつづく石切橋の「はし本」、小桜橋の「石ばし」などが有名だ。
 また、神田上水に入りこんでしまうが、面影橋筋のざっかけない、まるで深川のような気どらない「田川」などもいい。江戸期、深川は早くからうなぎの名産地だった。『新増江戸鹿子』(1751年/寛延4)にも、特記して「深川、鰻名産なり、八幡宮門前の町にて多く売る」と書かれている。わたしの舌の標準は、大川端の日本橋や深川あたりの「う」だが、神田川沿いに展開しているうなぎ屋は、ちょっと意外性があってとても面白い。それは、山手と下町の風情が入り組んだ、微妙な立地の影響によるのだろう。事実、飯田橋や小日向、音羽に江戸川橋界隈は、山手の風情と下町の風情が複雑に入り組んだ街並みを形成している。
 たとえば、「石ばし」はとても上品な味わいだが、どこか町場の香ばしい風味を残して、蒸すのもほどほど、「野田岩」Click!ほどあえて脂抜きを徹底せず“洗練”させてはいない。「田川」は、もうコテコテの下町風味で(つまり、わたしのデフォルトの風味)、ここは大川端か深川か?・・・と錯覚させるほどの下町くさい。とても香ばしく、こってり甘辛い出来だ。「はし本」は記憶にないので不明だが、おそらく町場と山手の中間風味と想像している。
 

 神田川を出口の柳橋あたりから、下落合あたりまでさかのぼり、沿岸の「う」を食いつづけたりしたら、それだけで1冊の本が書けてしまいそうだ。めまいがするほどの誘惑だが、そのシリーズの最後は、やはり下落合(現・中落合)は、目白第一文化村に隣接した「大和田」なのだろうか? それにしても、山手の中の山手の「う」は、いつ開店しているのだろう? うなぎを焼く香ばしい匂いはするので休業はしていないようだが、開店しているのをついぞ見かけたことがない。文化村の「う」が、コテコテの下町風味だったりしたら、またすごく面白いのだけれど・・・。

■写真上下:左は小桜橋の「石ばし」、右は面影橋筋、バッケ上にある早稲田の「田川」。わたしの味覚は、「田川」風の典型的な下町「う」の中で育まれた。早稲田の夏目漱石も通ったといわれる老舗「すず金」は、残念ながら店舗建て替え中で長期休業に入ってしまった。