今でもときどき見かけるが、ガード下や塀などに鳥居のマークを描いて、言わず語らず「立小便禁止」をアピールしているところがある。鳥居マークとともに、はっきりと「禁止」と書いてあるところもある。負け犬さんClick!の「めばちこ」のお札や「久松るす」のお札Click!のように、鳥居マークのお札を電柱や辻塀にペタペタと貼り付けているのも見かけた。
 酔っ払ったおじさんが、飲み屋からの帰り道、急にもよおして目立たないところでしようとすると、目の前に聖域をあらわす鳥居のマーク。「こりゃマズイ」とばかり、少なくともマークの位置から離れようとするのだが、出たものを急に引っこめるわけにはいかないから、そのままのスタイルでズルズルと横へ蟹歩きしている光景を、何度か見たことがあった。さすがに時代が変わったせいか、立ちションをするおじさんを見かけることは、このごろとても少ない。
 
 でも、こんな看板は初めて見た。立ちションをするのに鳥居を避けるのではなく、わざわざ神社の境内に入っていって用を足す人たちがいるようなのだ。奉られている神さまは、もう唖然として開いた口がふさがらず、黙って見まもるしかない。いくら規制がゆるやかで、束縛がほとんどないに等しい、世界にも例を見ない寛容な日本の神々だって、トイレがわりに使われたらさすがに怒るだろう。それとも場所がら、鳥居のシンボルが意味するところを理解できない、外国人たちが「ちょうどいい木陰があった」と立ち寄るのだろうか?
 この神社、実は江戸時代の「鉄砲百人組」の守り神、新大久保駅のすぐ西隣りにある皆中(かいちゅう)稲荷だ。旧・大久保百人町といわれたあたり、幕府の4組あった鉄砲隊のうち、二十五騎組と呼ばれたいわゆる「大久保組」の本拠地。大久保組は、千代田城の大手門内(三之門)を警備したり、将軍が城外へ出かけるときは直属の警護を担当するなど、幕府における現在のシークレットサービス的な存在だった。

 もともと、この場所に古くから稲荷はあったようだが、寛永年間にとある鉄砲隊与力の夢枕に稲荷大神(東京では宇迦之御魂/ウガノミタマあるいは大己貴/オオナムチ=大国主の場合が多い)が立ち、「お参りすりぁよ、おめえの腕は百発百中にならぁさね」(なぜか下町職人言葉だが)・・・と告げた。さっそくお参りしてから射撃を試みたところ、みんな残らず命中したので、いつの日からか「皆中稲荷」と呼ばれるようになった。以降、代々の鉄砲組の厚い信仰を集め、大久保界隈の守り神的な存在になっていく。
 鉄砲組の射撃がみんなよく命中するように・・・という意味が込められていたはずなのに、違う「鉄砲」を突き出されて、社殿へ「命中」させられたのでは、神さまもたまったものではないだろう。

■写真上:皆中稲荷の鳥居下にある看板。
■写真中:左は皆中稲荷の本殿で、右は境内を出発する「鉄砲組百人隊」行列。
■写真下:大久保の町を少し外れると、いまだに野原があったりする。こういうところで、好きなだけ立ちションをすればいいのだ。・・・そこまで、とてももたないか。