目白運動場へ寄ってみた。昭和初期まで、元・細川邸の大きな洋館が建っていた目白崖線上の一部で、つい最近までは国家公務員共済組合連合会(KKR)の運動場だっだところだ。昨年度から今年度にかけて、文京区が2年がかりで予算を用意し、物納された旧・田中角栄邸の一部も含む、計30,381平方メートル(9,206坪)の広大な敷地を買い取り、「目白台公園」(仮称)にする予定だ。地元の方々も、KKRが用地売却を表明してから、ずっと公園化への運動をつづけてきていた。
 桜が開花する時期に限り、文京区が運動場敷地を開放していた。立ち寄ってみると、休日にもかかわらず人影がとても少ない。運動場開放の告知が、桜の開花直前だったこともあり、多くの方々はご存じなかったのかもしれない。そのぶん、公園を取り囲むようにして咲き乱れる桜を、ゆっくりと堪能できた。崖線(バッケ)下の新江戸川公園や、神田川沿いの桜並木、椿山全体がお花見の人々であふれ返っていたのとは対照的に、目白運動場はまるで別世界のように静かだった。
 
 文京区によれば、来年の2007年(平成19)から2008年(平成20)にかけ、公園化へ向けた敷地内の整備を行い、2009年(平成21)4月にオープンする予定だという。土地の取得から公園化まで、5年越しの仕事というわけだ。公園計画のテーマは、「樹林地等みどりの保全を図るとともに、運動機能と防災機能を備えた都市計画公園として整備する」・・・とのこと。もう、どこかの区に聞かせてやりたいコンセプトなのだ。
 計画平面図を見ると、中央は芝生を敷きつめた「多目的広場」で、運動場あるいは緊急時の避難場所として活用されるようだ。いまでも武蔵野原生林が繁る南側の森は、そのまま「既存樹林」として保存される。また、既存のテニスコートも活かし、古い施設は解体して更地にし、土が露出したところと合わせて、新たに植林を行う予定のようだ。中央の「多目的広場」は広大なので、文京区内に残る歴史的な建築物を何棟か移築したとしても、まったく支障はないだろう。それほど、「目白台公園」の敷地は広い。物資の輸送を前提とする、ヘリポート機能も併せ持たせる予定だそうだが、ヘリコプターを何機も同時に着陸させることができるだろう。

 目白運動場へ立ち寄ったのは、お花見の楽しみもあったのだが、もうひとつ、南側の原生林の中にミステリーサークルのひとつClick!が見えていたので、以前から気になっていた。現在の空中写真で見ると、ちょうどサークルのところが掘削されてプールになっているように見えたが、それを実際に目で確かめてみたかったのだ。さっそく、桜並木を通ってサークルの位置に近づくと、はたして、ちょうどサークルがあったと思われる位置には、丸ごとプール施設が造られていた。「目白台公園」の計画平面図に見る、「みどりのアスレチック広場」に当たるあたりだ。築山と思われるかたちや、元のサークル状の面影も、もはや跡形もなくなっていた。
 
 文京区が策定した「目白台公園」の計画基本方針の中に、以下のような記述がある。
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 広域的な緑のネットワークを構成する「緑の核」として整備する。
  ・現況の地形や植生を積極的に保全活用
  ・既存樹林地の自然観察・体験、環境学習などの場としての活用
 利用者がゆったりと憩い・交流できる空間として整備する。
  ・緑に囲まれた空間の中で休憩できる場の整備
  ・自然環境とのふれあいを楽しむことのできる周回園路の整備
                       (文京区「目白台公園」計画の基本方針より)
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 ・・・ね、どこかの区に聞かせたくなるフレーズでしょ?

■写真上:目白運動場の中央部で、計画平面図の「多目的広場」にあたる敷地部分。とにかく、驚くほど広い。右の茶色いビルは、日本女子大学の校舎“百年館”。
■写真中:左は、1936年(昭和11)の細川邸上空。この時期には、すでに洋館が取り壊されて見えない。右は、1918年(大正7)の地図で、旧・細川邸の敷地には巨大な西洋館が建っていたのがわかる。この建物は、1929年(昭和4)ぐらいまでに取り壊された。
■写真下:左は、ミステリーサークルが見えたあたりの様子。右手にプール施設がある。右は、敷地の外れから見た幽霊坂。この位置から幽霊坂を眺めるのは、いつになく新鮮だ。

文京区立元町公園・・・どこかライト風を感じさせる、震災復興公園の“老舗”だ。