いま、目白・下落合に残る明治・大正・昭和初期に建てられた近代建築を調べている。日本建築学会により、1970年代の後半から1980年ぐらいにかけて行われたきりで、その後、一度も実施されていなかった。学習院昭和寮Click!や目白聖公会、メーヤー館Click!といった歴史的にも有名で重要な建築物はもちろん、一般の邸宅(和・洋・和洋折衷)も含めての調査だ。
 わたしが学生時代を送った70年代後半、もしこのように綿密な調査が行われていたら、おそらく地図上は重要な建築物のポイントだらけになっていただろう。いまでは、わたしの作った地図上のポインティングは、予想以上にスカスカとなっている。それでも、東京の他の地域、特に関東大震災や米軍の空襲で焼け野原となったエリアに比べたら、目白・下落合にはいまだ戦前からの近代建築がよく残っているほうだと思う。
 日本建築学会による、70年代後半~1980年にかけて実施された調査については、新宿区教育委員会の刊行による『地図で見る新宿区の移り変わり~戸塚・落合編~』(1985年・昭和60)の巻末に収められた、藤森照信・著の「落合における高級住宅街の成立」でも触れられている。でも、このとき触れられている調査は、近代建築でも洋風建築や洋風住宅のみであり、しかも山手通りの内側、つまり旧・下落合3丁目から山手線側のエリアのみにほぼ限られていた。それに、この調査で漏れた洋風住宅も、同エリア内にはとても多い。換言すれば、すべての邸宅を記録しなくても、当時は代表的な建物だけ記録しさえすれば、まだそこらじゅうに近代建築の“作品”の現物が存在していた・・・ということにもなるのだろう。
 うちの隣家であるK邸も、大正期の洋風住宅としてこの調査で採集・紹介されているけれど、目録へ記録直後の1980年代はじめに建て替えられてしまった。同様に、前回の調査当時から今日まで、消えてしまった邸宅はかなりの数にのぼる。当時の目録として作成されたリストを、いま改めて見直してみると、一般住宅でいまでも健在なのは、わたしの大好きな翠ヶ丘のN邸のみ・・・という、なんとも寂しい状況だ。目録に掲載されている他のお宅は、すべて建て替えられるか、解体されて土地ごと売却されてしまっている。
 今度の調査は、前回の調査からおよそ30年が経過しているが、目白駅周辺(旧・雑司ヶ谷/上屋敷)から下落合のほぼ全域(旧・下落合1~4丁目)にまで及んでいる。また、洋風建築ばかりでなく、対象には和建築も含まれている。70年代の調査では、なぜか目白文化村(山手通りの外側にある第一・第二文化村)の住宅がほとんど手つかずだったが、今回は文化村のエリアまですべて含めた。時間がなくて、中井2丁目のいわゆる“ムウドンの丘”Click!まで、ていねいに回れなかったのが残念だけれど。(そちらの方面は、どなたか地元の方にお願いしたい) 近代建築の目録データベース委員である小道さんClick!とともに、これらの地域をめぐって、お話をうかがえるお宅にはお邪魔をして、できるだけ建物の情報を集めてまわった。きょう現在、お約束をして未訪問・未撮影のお宅が、いまだ2軒ほど残っているけれど・・・。

 古い建物の探索には、書籍や近隣の情報・伝承はもちろん、戦前の空中写真(1936年・1944年)と戦後にB29から爆撃効果測定用に撮られた空中写真(1947年)とを見比べて、空襲をまぬがれている一帯の区域を実際に丹念にまわって検証するなど、いままでにない方法をとることにした。これにより、戦前の建築か、あるいは戦後に建てられたものかの曖昧な記憶の部分が、ずいぶんクリアされたように思う。なぜ、このようなボランティア調査に首を突っ込むことになったのかというと、実は、発端は中村彝アトリエの保存をめぐる活動からだった。
 中村彝アトリエの撮影にみえた小道さんと三春堂さんに、「いまのうちに、下落合の近代建築を写真に撮りたいですよね~」「ね~」というのがきっかけ。たぬきの森として有名になった、旧・前田子爵邸の移築と思われる明治建築Click!がいともたやすく解体され、目白福音教会宣教師館=メーヤー館(日本聖書神学校)も今年の9月に解体・移築が決まるなど、立てつづけに起きる歴史的な建築の消滅と街並みの崩壊に、改めて危機感を抱いたせいもある。これら目白・下落合に残る美しい近代建築の“作品”を、できるだけ多くの人たちに知っていただき、後世に残すべき街の景観・遺産として、自治体(新宿区+豊島区)を含めて広く認知していただこうと、併せて写真展まで企画してしまった。
 これには、三春さんの全面協力のチカラも大きい。下落合のギャラリーを、写真展の会場として提供していただけることになった。しかも、同時期に行われる「目白バ・ロック音楽祭」(6月2日~25日)との共催にしていただけたのも、三春堂さんのおかげだ。今年は、新宿区の中山区長と豊島区の高野区長も、同祭へ参加されるとのこと。そこに暮らしている住民には、あまり意味のない行政区画のワク組を超えて、目白・下落合をひとつの街として捉えていこうという、ボーダーレスの発想が横溢する、まさにネット時代のうれしい試みだ。ちなみに、「写真展」のスケジュールは以下の通り。
●目白バ・ロック音楽祭共催
目白・下落合歴史的建物のある散歩道
 -同時開催:まちかどの近代建築写真展-
 ■期間:2006年6月10日(土)~17日(土)
 ■時間:13:00~18:00(会期中無休)
 ■場所:目白・三春堂ギャラリー(新宿区下落合3-2-8-B1)
 ■入場:無料(ただしマップ¥200をお求めください)
 なお、貴重な近代建築を鑑賞しながら、緑が多く残る目白・下落合を楽しく散策いただけるよう、「目白・下落合/歴史的建物のある散歩道マップ」も作成した。この地図を作るために、週末になると目白崖線の坂をあちらこちら、登ったり降りたりを繰り返していたら少々腰を痛め気味だ。(マップは、イラスト・デザイン費/印刷費等を少しでも捻出するために、実費をお願いします<(__)>) また、有名な歴史的建築物やすでに公園化されている建物は別にしても、散策・見学に際しては住民の方々のご迷惑にならないよう、必ずマナーとエチケットはお守りいただきたい。
 今年は、目白・下落合地域に現存する、中村彝のアトリエをはじめ、貴重な近代建築の調査に絡めた写真展だ。彝のアトリエは、5月9日から教育委員会の記録調査が開始され、近々建築の専門家による詳細調査が予定されている。さて来年は、佐伯祐三の『下落合風景』シリーズに描かれた、「描画ポイント」をめぐる企画・・・というのも面白いかもしれない。
 下落合のバッケ(目白崖線)の坂を上下しつづけて、ちょっと疲れたのでブログも来週からほんの少しペースダウン。(^^;フ~

■写真上:「目白・下落合歴史的建物のある散歩道」写真展の案内状。きっかけが中村彝のアトリエだったので、いちばん大きく写真をフューチャー。一昨日、S様からのご連絡では、教育委員会による記録調査は順調に始まり、近々、建築の専門家による視察があるとのこと。そろそろ建物が限界に近いので、1日も早く新宿区での保存が決定されることを願いつつ。
■写真下:調査にまわりながら、次々と貴重な建物をポイントしていった地図。しるしが次々に増えていくにつれ、東京の他の地域に比べて、まだまだ歴史的に貴重な建築物が残っているのを実感する日々だった。調査範囲は、北は立教大学から上屋敷(あがりやしき)界隈、東の境界は学習院大学、南は翠ヶ丘(見晴坂・六天坂)、西は目白文化村の第二文化村周辺にまでおよんでいる。