下落合のことばかり書いていると、ときどき「おーーい、こっちはどうなってんだよ~!」と上落合の方からお叱りを受ける。「はい、そのうち、上落合や戸塚の散歩道も書きますから~」とお答えするのだけれど、上落合は奧が深くて、ちょっとひと筋縄ではいかないのだ。なにしろ、いまだ「あまるべの郷」Click!と呼ばれていたころから、幕府の天領として「村差出明細書上帳」(1827年・文政9)がちゃんと現存するほどの由緒ある土地柄なのだ。しかも、戦後焼け跡の空中写真から見ると、ミステリーサークルClick!が集中する遺跡の宝庫でもある。
 先日、月見岡八幡に奉納されている上落合の「村差出明細書上帳」の写しを、ある方からいただいてようやく読み終えたのだけれど、古代から近代にいたるまで下落合よりもテーマが豊富で、めまいを起こしそうだ。正直、そのボリュームの多さやテーマの多彩さは、わたしの手にあまる・・・べ。
 でも、下落合との絡みから、少しずつでも手をつけないと、なかなか上落合エリアが登場しないので、とにかく書き始めちゃおう。上落合の幽霊屋敷や埋蔵物がザクザクの話、タヌキではなくこちらはキツネの話、古川ロッパに水車小屋だよりと、惹かれる物語はそれこそ星の数ほどあるけれど、とりあえずは画家たちの1930年協会、そして独立美術協会についてから・・・。
 上記のグループに属した、ヨーロッパ型ではなく「日本型フォービズム」とでもいうべき多くの画家たちは、落合町の随所に集まって暮らしていた。中には、ちゃんとアトリエを持っているおカネ持ちの画家もいたけれど、ほとんどの新進画家たちは借家か、当時建ちはじめていたアパートメントに入居していた。下落合では、第三文化村の北側に接していたアパート「目白会館」Click!、佐伯アトリエの直近のアパートが有名だ。曾宮一念が一時期いたのをはじめ、独立展の本多京、作家では武田麟太郎や矢田津世子などが住んでいた。そして、上落合では「靜修園」が芸術家たちの集まるアパートメントとして有名だった。
 
 「アパートメント靜修園」は、安田銀行に勤めていた野村寿蔵という人が、早稲田の下宿生活に不自由したのだろうか、上落合624番地の自身の地所に建てた、当時は最先端をいくアパートだった。まるで牧場の建物を思わせるモダンなデザインで、当時の民間アパートにしてはめずらしく、鉄筋コンクリート3階建てだった。当時、竣工したばかりの「アパートメント靜修園」の様子を、『落合町誌』(1932年・昭和7)に見てみよう。
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 真に生活幸福の増進といふ、永遠的な現実問題の解決を期して創立されたのが、靜修園アパートである、本園は鉄網コンクリートの堅牢なる耐震耐火三層楼にして、外観は明快なる倶楽部式である、各室の採光、通風其の他衛生的設備には特別の注意を払はれ、安息と修養の場所として理想的のものである、而も高燥にして閑静、座して富士の白峰に対する等郊外生活の気分を十分に享受する場所にある。
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 「座して富士の白峰に対する」とは、アパートにしては大げさな表現だけれど、当時としては見晴らしがよく画期的な建築だったと思われる。この「靜修園」には、独立美術協会の独立展へ出品していた河村はる子、青柳暢夫、江淵善仁(江?)などがかたまって住んでいた。ちなみに、美術関連の書籍では、このアパートのことを「靜風園」としているものがあるようだが、「修養」にはもってこいの「閑静」さがウリだった「靜修園」が正しい。
 画家たちが集うアパートとして、当時から有名だったようだが、いまでは当時の記憶をお持ちの方がきわめて少ないようだ。「靜修園」の跡地へ出かけて、周囲の古そうなお店や近所のお年寄りに訊ねたけれど、みなさん戦後に住まわれた方々で、ただのひとりも「靜修園」をご存じの方には出会えなかった。佐伯祐三や前田寛治亡きあと、1930年協会から独立美術協会へと、プロレタリア芸術運動に対抗して芸術至上主義の論陣を張ったのは外山卯三郎だけれど、独立展の画家たちが参集した上落合が、はからずもプロレタリア芸術運動の本拠地だったのは、とっても面白い。
 
 独立展に属した画家たちの「靜修園」に、村山知義一派がなだれこんだ・・・なんてことはなかったのだろうか? それでは、「靜修園」ならぬ「騒修園」となってしまうが、そんな記録はまだ目にしたことがない。

■写真上:左は、1932年(昭和7)の「アパートメント静修園」。右は、現在の同所。当時の面影はぜんぜんなく、周辺でできるだけ取材をしたが、「静修園」をご存じの方はひとりもいなかった。
■写真中:左は、1929年(昭和4)の「落合町市街図」に記載された、上落合624番地界隈。右は、1936年(昭和11)の上落合上空。周囲の住宅に比べ、「静修園」がひときわ大きく写っている。
■写真下:左は、いまの上落合624番地(現・上落合3丁目7番地)。右は、上落合に多く残る未舗装の細い路地。いきなり、昭和初期にタイムスリップしたような感覚をおぼえる。