いつまでも手もとにおきたい珠玉の映画
『いつか読書する日』(緒方明監督/2004年/日本)

 主人公は50歳ぐらいで独身。キャリアウーマンとしてばりばり働いているうちに婚期を逃したわけではなく、少女のころ、ずっとここで生きて行こうと決めた坂の多い町を動かずに暮らしている。化粧っ気もなく、服装も地味なのに、田中裕子が演じる美奈子は透明感のあるきれいな肌と、清潔感のある身だしなみのよさが毅然としていてりりしい。
 実は彼女には秘めたる思いがあって、初恋と言ってしまうと陳腐だがセックスが可能な年齢になって好きになった相手への遂げられなかった思いにこだわっているのだ。その相手=高梨が田中同様、不器用でくそまじめな岸部一徳とくれば、ありえなさそうな高潔なメロドラマもリアルに見える。
 恋愛なんて、タイミングがすべてと言っていいかけひきだ。16、7の小娘やちんぴらがたやすく成就できるはずがない。その年ごろの男の子といえば、女の子にモテたくてギターを覚え、好きな女の子をベッドに引き込むために頭を鍛えながら、いざそういうシチュエーションに持ち込んでも手も足も出ないのがふつうだ。そんな男の子よりさらに早熟な女子はすでに『ボヴァリー夫人』や『愛(ラマン)人』ぐらいは読んでいて、頭のなかは妄想でいっぱい。天井まで本が並ぶ素晴らしい家に住む美奈子なら、まちがいなくそうだろう。でも、こちらも手出しできないのが常である。
 
 だいたいそんな歳で、そんなことをスマートにやってのけるような手練手管なガキなんてろくな大人になりゃしない(と負け犬の私は思う)。その後日談として在る物語はラストが見えてしまうものの、ことごとくタイミングを外す不器用なふたりが愛しくてたまらない。きっと美奈子はこれから折り返す人生を、大切にしてきた蔵書を一冊ずつ読み返して過ごすだろうと想像したら、笑いながら号泣してしまった。
 公開時から見たかったのに、映画館に足を運ばなかった理由は見終わってから、はっきりした。主人公の特別な思いを、ほかの誰とも共有したくなかったのだ。
 きっとこの映画を観た多くの同世代の女性は「いいなあ」と主人公に共感するだろう。すでに親が他界している美奈子にはこの先介護の心配もない。相手が食事中でもおかまいなしにお茶をくれとか言う亭主もいなければ、何を考えているのかわからない居候のような子どももいない。早朝に牛乳を配り、昼間はスーパーでレジを打ち、自分が食べてゆくだけのお金を稼げばいい。24時間すべて自分のために使えるシンプルで静かな暮らしはある意味、この年ごろの女性が1度ならず憧れる“自由”な暮らしだろう。でも、いいなあと言った多くの人はその後「でも……」と続けるに違いない。
 これが物語として成立するのは、いつまでも独りでいる女に思う相手があるからだ。結婚するカップルの4組に1組が再婚である一方、意のままにならない状況にヒステリーを起こした大臣が「女は生む機械だろ」なんて口をすべらせてしまうほど、オタクや引きこもり、ニートといった“反社会的”な独り者は増えている。ひとりで楽しめる娯楽は映画や読書ばかりでなく、こうやって感想を書かせてくれるブログがあり、相手に合わせる必要のない気楽さから今後ますます独り者は増えるに違いない。
 
 でも会社勤めの20代女性は、自分の頭でものを考えたことのない上司から、彼氏いないの? 結婚しないの? と訊かれ、彼氏ができたら、結婚してもらえそう? と訊かれるらしい。30過ぎて独りだと、親や親戚は腫れ物に触るようにその話題を避けるが、未婚のまま40過ぎたら、下卑た想像力と思いこみしかない男からはセクハラを働かれ、男社会で勝ち組になった既婚の女にはなめられる。そして多くの人生の先輩は、美奈子の亡母の旧友でもある渡辺美佐子(この人も田中同様いつまでも妙に色気がある)のように、ひとりでいて何が楽しいの? と訊いてくるのだ。
 きっとそういう人は喜怒哀楽を他人と分かちあうのをしあわせだと思っているのだろうが、うれしいこと楽しいことならともかく、つらい時期そばに誰かがいると却って気を遣うし、楽しくもないことにつきあわされる相手も迷惑だと思ってしまう私などはやはりひとりでいるのがフラットでいい、と思ってしまう。ともあれ美奈子のような女性を主役に、上質の短編小説のような1篇を作ってくれた同世代の監督に、心からお礼を言いたい。
                                          負け犬

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●2007年2月現在 上映予定なし