華族出身の女優・入江たか子(東坊城英子)、あるいは夏川静枝などが出演していたとされる、1920年代末から1940年の間に撮られたらしい「動く目白文化村」を収録した映画を、わたしはいまだ見つけられないでいる。日活あるいは入江プロダクションの「ホームドラマ」作品だと思われるが、目白文化村内で撮影されたこれらの作品には、地元の方々の記憶によれば、おそらく当時の第一文化村の姿が鮮明に映っていると考えられる。でも、フィルムが戦災で焼けてしまい残っていない可能性もあるのだが・・・。
 わたしは、往年の入江たか子を知らない。わたしが知っているのは、親父がときどき「入江たか子の化け猫をテレビでやるゾ~!」と誘われて観た、うきうきしてしまう「鍋島もの」シリーズの彼女だ。行灯の魚油を、耳までクワッと裂けた口でペロペロッとなめる入江化け猫なのだが、つい「カワイイ!」と思ってしまうわたしは、ネコ好きからか、それともガブ好きClick!からなのだろうか? 往年の三大女優といわれる原節子と入江たか子、山田五十鈴の中では、わたしは彼女がいちばん好きかもしれない。あと印象に残っている作品といえば、黒沢明の『椿三十郎』と市川崑の『病院坂の首縊りの家』、それに大林信彦の上原謙と共演した『時をかける少女』だろうか。

 入江たか子の出演作品を眺めていると、なにやら目白・下落合界隈の匂いがする。片岡鉄兵Click!の『生ける人形』(1929年)、郡司次郎正Click!の『日本嬢(ミスニッポン)』(1931年)、柳原白蓮Click!の自伝を映画化した『白蓮』(1932年)、吉屋信子Click!の『良人の貞操』『母の曲』(1937年)、同『妻の場合』(1940年)、同『幸子と夏代』(1941年)などなど、なんだかご近所界隈でお手軽に制作している気がしないでもない。そういう入江たか子自身、雑司谷旭出(目白町4丁目)43番地に大きな屋敷をかまえて住んでいた。おそらく、入江プロを設立して飛ぶ鳥を落とすような勢いだった、昭和初期のころのことだろう。旧・戸田邸Click!のちに徳川邸Click!の正門(西門)前の道を、少し西へとたどったところにある広い角地だ。
 昭和初期の婦人雑誌を読んでいたら、入江たか子をはじめ往年の人気女優のグラビアを見つけた。7人の女優で、わたしが知っているのは3人しかいない。入江のほか、新派の舞台で足元がおぼつかない、おばあちゃんなのに娘役をこなしていた先代の水谷八重子Click!の写真には驚いた。若いころは、こんな顔をしていたんだ・・・。でも、文学座の舞台で観た、杉村春子演じるセーラー服少女のショックにはおよばないか。(爆!) ショートカットでメガネをかけた、「あちし」を繰り返す人のいいおばあちゃんしか知らないターキーこと、水の江滝子の男装の麗人ぶりにもビックリ。
 
 入江たか子は、1934年(昭和9)に出た『婦人公論』5月号の記者インタビューにこう答えている。
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 「月よりの使者」の看護婦道子
 何故好きかとお聞きになりますの――
 初恋に破れた心の傷手を、また若き日の悩みと情熱とを白衣に包んで、只管(ひたすら)身を護る純情の彼女です。その姿は病める人々にとつて天使であり、その仕事は慈愛深き聖なる労働です。でも彼女も二十一の乙女、第二の恋が芽生えたとき、白衣の天使といふ聖き名の故に、果たして地上の恋を拒まねばならなかつたか――そこに理性と本能との苦闘の姿で(ママ)あります。けれども彼女の強い理性は本能に打克つのです。私の好きな役の一つ。
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 なんだか、男がこしらえた妄想だらけの映画のような気もするのだけれど、田村道美との結婚を10年間も隠してずっと別居生活をつづけていた彼女が、「強い理性は本能に打克つ」などと発言するとかなりの説得力がある。1934年(昭和9)に作られた『月よりの使者』、彼女はこの作品で看護婦・野々口道子の役なのだけれど、刑務所の女看守役を浦辺粂子が演じている。・・・・・・ちょっと、想像すらできない。

■写真上:入江たか子と、『月よりの使者』の看護婦・野々口道子。
■写真中上:1938年(昭和13)の「火保図」に見る、入江たか子邸あたり。このとき、すでに安田邸となっている大きなお屋敷があるが、これが昭和初期には東坊城邸だったものか。
■写真中下:左は、わたしの見慣れない初代・水谷八重子。右も、見たことがない水の江滝子。
■写真下:東京都庭園美術館の「大正シック」展(2007年4月14日~7月1日)で、ハワイのホノルル美術館から里帰りした中村大三郎『婦女』(入江たか子像/1930年・昭和5)。