下落合の目白崖線沿いは、急角度の南斜面が連続し、その間を縫うように小さな谷戸Click!がいくつも口を開けている。だから、松下春雄Click!がこのような情景を描いても、まったくどのあたりなのかがわからない。おそらく、どこかのバッケの斜面、あるいは谷戸の斜面にイーゼルを据えて、下を見おろしながら描いたのだろう。1926年(大正15)に描かれた『木の間より』(上)と、1927年(昭和2)に制作された『木蔭にて』(下)の2作品だ。
 松下の作品には、なぜか少女たちが登場することが多い。この谷間に通う小路にも、刑部人(おさかべじん)Click!が描いたような少女たちClick!が、そこここに描き込まれている。下落合には、特別に少女たちが多く住み、屋外へ出てこのようなコスチュームで遊んでいた・・・とも思えないから、松下による創作・構成なのだろう。服装からすると、春から夏にかけての情景のようだ。うっそうとした森からは、夏ならば蝉しぐれが聞こえてきそうだ。最近は少なくなったけれど、下落合の森に多かったヒグラシClick!の声だろうか。
 松下の作品には、木々や草花がふんだんに登場する。だから、画面全体のイメージとしてはグリーンが主体なのだけれど、そこが逆に、下落合のどこを描いたのかの判断をむずかしくしている。当時は、下落合じゅう緑が深かったわけだから、しごくありふれた風景となってしまう。佐伯祐三Click!のように、特徴的な地形や家屋、道筋などを、松下はあまり捉えてはいない。
 
 同様に、どこかの家の庭先を描いた作品もある。1927年(昭和2)ごろに制作された『庭先』。庭の木蔭にはデッキチェアーが置かれ、左すみには犬小屋らしいかたちが見えている。そのさらに左手に見えている家は、下見板張りの西洋館らしい。道路を挟んで向かいに見えている家も、どこか洋風っぽい造りをしている。このハイカラな情景は、目白文化村Click!の中だろうか? 道幅も、ちょうど三間道路ほどはありそうだ。
 もうひとつ、どこかの家の庭先から一帯を眺めた、1926年(大正15)ごろの『風景』という作品もある。こちらは、日本家屋が手前に描かれているけれど、これだけの情報ではどこを描いたのかは皆目わからない。別に下落合でなくても、当時はどこにでもありそうな平凡な風景だ。電燈線と思われる電柱のみで、電力線の電柱が見えないところをみると、目白文化村からさらに西へと向かった下落合の西部、アビラ村(芸術村)Click!のあたりだろうか?
 
 松下春雄は、どうやら樹木や草花を描くことを好んだようだ。彼の水彩パレットでは、大量のグリーン系絵の具が消費されただろう。下落合に展開する、ならではの風景を意識して切り取っているというよりは、むしろ樹木や森林一般、野に咲く草花一般を描いているような、やさしげな視点を強く感じる。そこが、ことさら造成中の場所や、人間くさい情景を数多く選んで制作していたとみられる、佐伯祐三の視線と大きく異なる点のように思える。

■写真上:左は、1926年(大正15)に制作された松下春雄『木の間より』。右は、いまでも新宿に残る湧水源として知られている、御留山(おとめ山公園)の深い谷戸の南斜面。
■写真中:左は、1927年(昭和2)の『木蔭にて』。右は、崖線の谷のひとつである野鳥の森公園。
■写真下:左は、1927年(昭和2)ごろの『庭先』。右は、1926年(大正15)ごろの『風景』。