先週から午前7時前後に、近くでウグイスが鳴いている。5回に1回ぐらいは、うまく声が出ているようだけれど、まだまだこれから。野良ネコも、このところ周囲でかまびすしい。
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 わたしの手元に、なぜか江戸からくりの「茶運び人形」がある。頭髪(前髪)を、まるで稚児輪のように結っているのだけれど、うしろは丸坊主という男の子だか女の子だか、どちらともわからない人形だ。彼女(彼)は、お茶を運んでくるとお辞儀をして「さあさ、ど~ぞ」、飲み終わって茶碗を返すと「お粗末さまでございました」・・・と、もと来た方向へカリカリカリカリと帰っていく。
 気がきくことに、ときには茶菓なんぞも運んできてくれる。江戸期にはめずらしかった、南蛮(葡萄牙)わたりのカステーロなどを持ってきて、ペコリと頭を下げて「さあ召し上がれ」。わたしが、「文明堂? それ以外なら食わないよ」とか、うるさいことを言ってなかなか受け取らないと、彼女(彼)はこらえ性がなく地域性むきだしのヘソまがり、とっても短気かつキレやすい性格で、ちゃんとそのまま待っていてはくれないのだ。しまいにはとうとうグレてしまい、「そ~かいそ~かい、せっかくわざわざ持ってきてやったてえのに、あたしの給仕じゃなんだい、食えないてえのかい。へん、おとつい来やがれてんだ、べらぼう野郎。じゃ、あばよ」・・・と、さっさと持って帰ってしまうのだ。
  
 1798年(寛政8)に江戸で出版された、細川半蔵頼直の『機巧図彙』(首巻・上巻・下巻と出版されたようだ)を見ると、当時のからくり人形がいかに精巧にできていたのかがわかる。ひとつひとつの部品が、寸分たがわず噛みあって動作する、江戸時代のまさにロボットだ。こんな他愛ない茶運び人形にも、技術の粋と職人の巧みがふんだんに盛りこまれているのに驚く。動力はもちろんゼンマイで、当時はクジラの髭で作られていた。
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 人形の持て居る茶台のうえに茶わんを置けば人形向こうへ行く、茶碗を取れば行き止る、また茶わんをおけば、あとへ見かへりて元の所へもどる、その内からくりの次第左のごとし
                                         (上巻「玩物之部/茶運人形」より)
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 “からくり半蔵”こと細川頼直が、江戸期にクジラ漁が盛んだった土佐出身というのも、子供のころからクジラの素材に馴染んでいたことをうかがわせる。クジラの髭は、文楽の頭(かしら)のバネにも使われていて、江戸期には重要な簡易「動力源」のひとつだった。からくりは、木製の小さな歯車1枚がズレても、正確な決められた動作をしなくなる。だから、こらえ性のない短気なうちの茶運びは、どこかで歯車がちょっと狂っているか、ゼンマイが少し弛んでいるのだろう。
 
 かなり偏屈かつ短気で、性格的にはやや問題ありなのだけれど、なかなかカワイイうちの茶運び人形。日本が先駆ける自動人形(ロボット)の祖形、機械工学の原点がここにあることは間違いない。仕舞いこまないで飾っておき、いまに髪でも伸びたら切ってあげよう。(爆!) でも、グレた彼女(彼)は人間には強気だけれど、うちのひねくれたネコにはいたって弱いのだ。

■写真上:左は、「お待たせいたしました、粗茶でございます。さあさ、ど~ぞ」。右は、1798年(寛政8)に出版された“からくり半蔵”こと細川半蔵頼直の『機巧図彙』上巻。
■写真中上:「さあさ、ど~ぞ」、「・・・・・・・・・」、「お粗末さまでございました。ではでは」。
■写真中下:「南蛮渡来のカステーロでございます。さあさ、召し上がれ」、「・・・なんだい、せっかく持ってきたてえのに、食わねえのかい」、「じゃあだんじゃねえや、重てえもん運ばせやがって」。
■写真下:『機巧図彙』の内容で、部品のひとつひとつがていねいに解説されている。