目白文化村Click!の第一文化村用に設置された水道タンクClick!から、左へカーブしたダラダラ坂を上っていくと、坂の途中から大きな西洋館が目前に姿を現す。1925年(大正14)に完成したばかりの、第二文化村に建つMI邸だ。この坂は、「下落合風景」Click!のモチーフを探しに、佐伯祐三Click!が数え切れないほど上り下りした道だ。
 グレーのモルタルスタッコ仕上げの外壁で窓枠は白、お約束の大谷石でできた門を入ると、美しいステンドグラスがはめこまれた玄関の白いドアが目につく。ポーチ全体はシャレているけれど、ちょっと太い角柱がいかめしくて、訪問しにくい風情を感じさせるドッシリとしたお宅だ。玄関ポーチは東側の二間道路に面していて、目白文化村の邸にはめずらしく塀をめぐらしているのも、どこかいかめしい印象を与えているのだろう。失礼して、ちょっと南側の庭をのぞいてみると、白いバルコニーの下には大きなバナナ、いや芭蕉の木が植えられているのが、いかにも邸にふさわしい。定番の棕櫚だと、この邸の大きさに比べて棕櫚がやや貧弱に見えるだろう。


 玄関のベルを押して「邸内を拝見させてください」と訪うと、邸の近寄りがたさに似ず、「どーぞどーぞ」とすぐに招き入れられた。玄関の床には、一面に美しいタイルがはめこまれていて、敷台の高さが20cmほどしかないのも、日本家屋にはありえない意匠だ。ふと、両脇の柱を見ると、天井に向かって先細りのエンタシス仕様だ。
 さっそく、明るい客間兼居間に通されると、左手に置かれた蓄音器とアップライトピアノが目につく。きっと、お嬢様が弾かれるのだろう。フカフカのソファに座ってあたりを見まわしていると、ほどなく女中さんが紅茶を運んでくれる。「おそれいります」と、21世紀からやって来たわたしが女中さんへていねいにお礼を言ったら、入ってきたご主人に変な顔をされた。女中さんは、全部で4人もいるとか。ご主人は神戸に本拠を置く、大きな船会社へお勤めなのだそうだ。


 ふと、サイドテーブルの上を見ると、中央出版社から刊行されたばかりの『トルストイ傑作全集』の「人生論」が置かれている。なるほど、ロシア文学が超ブームになっていた時代だったのだ。その下には、古屋芳雄Click!訳の『レムブラント』Click!がチラリとのぞいている。
 客間から南の庭へ突き出た、ご主人の書斎を見せてもらう。客間とはカーテンで仕切られた、いかにも書斎という感じのデザインだ。わたしは、書庫は持っているけれど、いまだかつて書斎は持ったことがない。まあ、ノートPCがあれば仕事でもプライベートでも原稿は書けてしまうのだから、家の居間でも寝室でも、「カフェ杏奴」Click!でも用が足りる。でも、こんな書斎があったら原稿書きははかどりそうだ・・・と、うらやましくなってしまった。

 
 急にもよおしてきたので、手洗いへ案内してもらう。「いい風景、いや、いいお宅を拝見するとトイレに行きたくなるんです」とかなんとか、佐伯のようなわけのわからないClick!ことを言いながら、客間を出て北側の書生部屋の先のトイレを使わせていただいた。「まだ季節外れのスギ花粉がついてるかもしれないので、ついでに洗面所で顔を洗わせてください」と、今度は夫人部屋や日本間を左手に長い廊下をいちばん奧までご案内いただいた。スギ花粉症など存在しなかった大正時代らしく、案のじょうご主人は妙な顔をされている。だんだん、ずうずうしくなってきたようだ。       <つづく>

■写真上:MI邸を東側から眺めたところ。門の前には、第一文化村へと抜ける二間道路がある。
■写真中上:上左は、ちょっといかめしいMI邸の門。上右は、ドアのステンドグラスが美しいポーチ。下左は、庭先に植えられた大きな芭蕉。下右は、床のタイルとエンタシス柱が印象的な玄関。
■写真中下:上は、MI邸の間取り図。下左は客間で、下右は客間つづきの明るい書斎。
■写真下:上左はピアノが置かれた客間で、上右は邸の奥にある浴室近くの洗面所。下左は、現在のMI邸の門跡あたり。邸の建っていた敷地の大半が十三間通り(新目白通り)の下だ。下右は、1936年(昭和11)現在の空中写真にみるMI邸。上から眺めると、その大きさがよくわかる。