1930年協会Click!が、1927年(昭和2)6月17日から30日まで開催した第2回展に、下落合を描いた風景画が5点展示されている。そのうち4点は、どの作品なのかが判明しているが、残りの1点が不明だった。ところが、たまたま佐伯祐三Click!を含む協会メンバーとともに会場を撮影した写真には、不明だった「落合村風景」と思われる絵が、偶然にとらえられている。
 その画像を拡大し処理してみると、いまのようにそれほど背の高い住宅や低層マンションが立てこまず、わたしが1970年代に見た、ある坂道を下からのぼっていくと現われる風景にピタリと一致することは、以前の記事Click!にも書いたとおりだ。いや、別に1970年代でなくても、そこに描かれたきわめて特徴のある米国西海岸タイプの大きなスパニッシュ風の西洋館は、いまでもそのまま同じ姿で坂の上に建っている。関東大震災の翌年、1924年(大正13)に竣工している六天坂Click!上のN邸だ。N邸には、1926年(大正15)に作成された「下落合事情明細図」に見えるギル邸の、庭に咲き乱れていた黄色いモッコウバラClick!がそのまま庭先で咲いている。
 展覧会場を撮影した写真の画像から、描かれた当時の作品は、いったいどのようなものだったのかを想定するのが今回のテーマだ。つまり、佐伯祐三の描く「落合村風景」が現存しているとすれば、どのような作品だったのかを想像して再現してみる・・・という作業だ。それを実行したのが、上掲の拙い絵ということになる。てっとり早く言えば、『下落合風景』Click!の贋作Click!づくりだ。(爆!)
 
 「制作メモ」Click!をベースに考えると、1926年(大正15)9月30日の雨降りの日に描かれた、20号の「坂道」あたりがいちばん怪しいということになるだろうか。展覧会場の写真の横に並ぶ、「上落合の橋の附近」(9月26日制作)が20号サイズなので、問題の作品も同様の20号のように見える。そして、画像から光の射し方を想定すると画面の右手、つまり六天坂の東側から射しているように見えるので、佐伯はこの作品を午前中に制作しているように思う。
★のちに上記「上落合の橋の附近」と思われた作品の実物を日動画廊で間近に拝見し、「八島さんの前通り」(1927年6月ごろ)の1作であることが判明している。詳細はこちらの記事Click!で。
 9月30日の同日にはもう1点、「玄関」とタイトルされた15号の作品を制作しているが、当初、わたしはN邸の左手にモッコウバラが植えられた、特徴のある玄関のエントランスを描いているものと想定していた。でも、キャンバスの号数が違うことから、2枚の絵の表面を中向きに合わせて(保護して)持ち歩くことができない。また、当日は雨が予想される空模様だったろうから、佐伯も1日じゅう出っぱなしの準備で外出しているとも思えない。したがって、まだ雨が振り出さない午前中に、六天坂の途中からN邸を見上げた作品を描きながら、佐伯は西の空から雨雲が急速に接近して、垣間見えていた青空を覆いつくすのを見た。いまにも降りそうだったので、昼前に一度アトリエへともどり、雨が降りはじめた午後には改めてアトリエ近くの「玄関」を描いている・・・と、9月30日の行動を想像してみる。
 
 1930年協会の第2回展へ出品された、5点の『下落合風景』作品のうち、現存していて実物やカラー画像で観られるのは「風景」(八島さんの前通り/冬景色バージョンClick!)と「落合村風景」(八島邸の門Click!)の2点、おそらく戦災で焼失したか所在不明によりモノクロ写真でのみ観られるのが、「風景」(上落合の橋の附近/寺斉橋バージョンClick!)と「落合村風景」(セメントの坪ヘイClick!)の2点だ。でも、残りの「落合村風景」1点のみが、現存しているのかさえわからず精細なモノクロ画像にも残されていない、完全に行方不明の本作、つまり仮に「坂道」と想定しているこの作品だ。
 第2回展でも、佐伯は相変わらず「落合村」と作品タイトルに付けているが、1926年(大正15)当時はとうに落合町へと変わり町制が施行されていた。落合地域が村制から町制へと移行したとき、佐伯は第1次の滞仏期に当たっていたので、「落合町」という表現にいまだ馴染んでいなかったのだろう。また同時に、彼の選ぶモチーフが実際に「落合村」と表現したほうがフィットするような、鄙びた風景が多いのも、「村」を意識したタイトルづけに関連しているのかもしれない。
 
 「坂道」のモノクロ画像が残されていないのは、画面の複写が行なわれなかった・・・ということになるのだが、そこから想定できる可能性としては、本作が比較的早く売れてしまったからではないだろうか? ひょっとすると、第2回展の会場ですぐに売れてしまい、その後、図録や画集に収められる機会もなく、写真に撮影されないまま今日まで埋もれつづけているのかもしれない。
 記事の冒頭に再現した画像をご覧になって、「サインもなく作者のわからない似たような絵が、ジャマなのでうちの物置へ入れっぱなしにしてあるんだけど」^^;・・・と、改めて気がつかれた方がいらっしゃれば、ぜひコメントをお寄せいただきたいと思う。所有者の個人情報をすべて伏せるかたちにさせていただき、こちらで作品を紹介させていただければ幸いだ。

■写真上:手軽な色鉛筆などで再現したので、実際の質感やタッチはぜんぜん違うと思われる。
■写真中上:1930年協会の第2回展会場写真(左)と、「坂道」と思われる問題の作品(右)。
■写真中下/下:六天坂からいろいろな角度で観た、1924年(大正13)築のN邸。正面の窓上壁面に柱の横筋が浮き出ているが、N様によれば西陽が当たって室内に暑さがこもるため、のちに壁の厚さを削ったので浮き出たとのこと。佐伯が眺めた当時は、フラットな壁面だったはずだ。