1915年(大正4)に出版された『東京府・豊多摩郡誌』を参照すると、落合地域では製紙業者58軒に対し染色業者(染、晒、練業)はわずか1軒にすぎなかったことがわかる。ところが、大正後半から昭和にかけて、落合地域の染色業は急増することになる。1923年(大正12)の関東大震災Click!を境に、大正も末期に近づくころから、神田や浅草などの下町にあった染色業者がいっせいに水のきれいな神田川沿い、あるいは妙正寺川沿いへと移転してきたのだ。
 移転の理由は、染料を布地へ美しく定着させるために水洗いのできる、弱アルカリ性ないしは中性で清廉な河川を求めたのと、やはり染物には欠かせない大量の地下水が豊富に湧く地域をめざしたためだろう。染色業者のニーズに適合した地域が、江戸川橋からの上流地域、すなわち江戸期は上水道Click!だった神田川Click!沿いの高田町や戸塚町、そしてさらに上流の妙正寺川と神田川とが落ち合う落合町(上落合/下落合)だったのだ。大正期の中ごろから、江戸東京の下町Click!で営業していた江戸友禅や江戸小紋、江戸藍染めなどの工房が、次々と落合へ移転してきている。
 当初は、家内制手工業的な染物工房の移転が多かったが、やがて大規模な染色工場までが進出してくるようになる。その代表的な例が、下落合の田島橋Click!の北詰めにあった三越染物工場(三越呉服店染工部)だ。大きく北へと蛇行した神田川沿いに、三越百貨店Click!で売られる着物や浴衣、手ぬぐいなどの染めを一手に生産した、三越専属の染物工場が建設されている。
 
 
 当時、日本橋や新宿などの三越デパートで着物や浴衣をあつらえていた東京人は、それとは知らずに下落合製の作品を着ていたことになる。三越染物工場は、松本竣介Click!が1942年(昭和17)に制作した『立てる像』Click!の画面にも、田島橋の左手にチラリと描かれている。もっとも、この絵が描かれた戦時中は、着物や浴衣の製造などすでにやってはおらず、もちろん軍需物資(被服)の生産をしていたのだろう。現在でも、同工場跡の敷地には三越マンションが建っている。
 1980年代の前半で、落合地域の染色関連業者の数は約40軒となっているが、最盛期に比べたらはるかに激減している数値だ。減った理由は、河川の汚濁が最大の原因で、多くの業者はより清廉な水が得られる郊外へと移転していった。でも、落合地域に限ってみるなら、この軒数は現在でもさほど変わっていない。また、少し下流の面影橋界隈では、1980年代に入ると落合下水処理場の稼動以来、比較的きれいになった神田川で試験的に水洗いの作業を復活Click!させている。
 いまでも江戸の“染物の里”と呼ばれる、そんな落合のもうひとつの顔が見たくて、落合地域に点在する染物工房をめぐるスタンプラリー「落合ほたる」へ、散歩がてら参加したことがある。目白バ・ロック音楽祭の関連イベントとして催されたものか、あるいはまったく別のイベントとして企画されたものか、音楽祭と同じデザインや装丁のシャレた小冊子に惹かれて、また三代豊国Click!/二代広重の描いた『書画五十三次・江戸自慢三十六興(景)』の第30景「落合ほたる」Click!がメインビジュアルに採用されていたので、参加してみたくなったのだ。
 
 江戸小紋の染色作業を皮切りに、蒸しや水洗いの現場、友禅の手書き作業、湯のし作業の現場など、スタンプラリーに参加すると小紋や友禅など作業のハイライトを、ひととおり見学することができる。ちなみに、落合の“染物の里”をめぐるラリー「落合ほたる」Click!は、毎年開催されているので誰でも気軽に参加することができ、すべての工房を見学してスタンプがそろった先着者には、落合で染めた手ぬぐいが何百本かプレゼントされる。着物姿で参加する女性は特に歓迎されるようで、わたしが散歩がてらまわったときも、和服姿の若い女性たちをずいぶん見かけた。
 1960年代を最後に、妙正寺川や神田川の川底で水洗いをする工房はさすがになくなり、現在では地下水を汲みあげて作業をしているところが多いそうだ。昔は、昼間に染めや乾燥、蒸しなどを行い、夕方から夜にかけて川で水洗いをしていたということだけれど、川底へ降りていくタイヘンさはなくなったものの、冬の厳しい寒さの中での水洗いはやはりキツイ作業だ。風呂サイズの大きな容器がいくつも用意され、その中に布地を漬けてていねいに洗っていく。染めの終わった布地の糊を残らず洗い流すため、大量の水流が必要となるのだ。また、ちょうどいまの季節、夏場の蒸しや湯のしは脱水症状を起こしかねないハードな作業だろう。このような厳しい作業を何度か経ることによって、江戸東京地方ならではの美しい着物が創造されてゆく。
 
 
 わたしは、落ち着いてしぶい江戸友禅や江戸小紋が大好きだ。ずいぶん前から、目が痛くなるギラギラした色、ケバケバしくて野暮ったく、品のない着物を東京でも見かけるようになったが、この地方の色彩に対する美意識Click!とは無縁のものだ。願わくば、この街ならではのカラー(装い文化)に合わせたイキでモダンな着物を着て、江戸東京の街を歩いてほしいものだ。

■写真上:江戸小紋の染め工房にて、型染め付けに使用する独特な形状の筆(ブラシ)。
■写真中上:上左は、1936年(昭和11)の空中写真にみる三越デパートの染物工場。上右は、1926年(大正15)に制作された「下落合事情明細図」にみる、整流化工事前の神田川沿いに建っている同工場。下左は、1942年(昭和17)制作の松本竣介『立てる像』(部分)の画面左端に見えている、同工場の建物の一部とみられる塀と建屋。下右は、三越マンションとなった現状。
■写真中下:染め付けで模様がズレないように型を移動させるのは、カンがものをいう職人技だ。
■写真下:上は、型染め付け(左)と蒸し(右)の各作業。下は、水洗い(左)と湯のし(右)の各作業。いずれの写真も、スタンプラリー「落合ほたる」にて。撮影許可をありがとうございました。