佐伯祐三Click!がもっともモチーフとして好んだ、佐伯アトリエから西へ2軒隣りの八島邸Click!。邸前の通りさえ「八島さんの前通り」Click!と名づけて呼んでいたぐらいだから、『下落合風景』シリーズClick!では、よほど赤い屋根の八島さんちが気に入っていたのだろう。
 佐伯が描いた八島邸は、好きなバーミリオンが使える赤ないしは朱色の瓦屋根で、屋上には先の尖ったフィニアル(装飾立て物)が載っていた。外壁は下見板張りで、焦げ茶色のコールタール塗装、ないしはペンキ(おそらくベージュ)で塗られていたと思われる。焦げ茶とベージュではずいぶん色が違うけれど、佐伯が八島邸を描いたものには、外壁が濃い茶色のものと明るいベージュのものとが混在している。モノクロ写真のみが残る作品でも、外壁が暗いものと比較的明るく描かれた作品とがある。これは、1926年(大正15)の秋から1927年(昭和2)の初夏にかけ、周囲へ刺激的な臭いを漂わせるコールタールの塗布をやめ、ペンキ塗装に変えているためだろうか。
 
 
 八島邸のデザインは、当時の下落合ではあちこちに見られた一般的な洋風住宅だが、今日的な視点から見ると、和洋の区別が微妙に曖昧な建物Click!のように思える。でも、当時の視点からすると、間違いなく西洋館に分類されていた住宅だろう。この八島邸がいつごろ取り壊され、新邸にリニューアルされたかがきょうのテーマだ。
 1936年(昭和11)の空中写真を見ると、すでに佐伯の描いた八島邸とは異なる形状をしているのが見てとれる。翌々年の1938年(昭和13)に作成された「火保図」でも、明らかに家のかたちが異なっている。つまり、佐伯が八島邸を描く可能性があったギリギリの時期、第2次渡仏の直前に大磯Click!へ避暑Click!に出かける直前の1927年(昭和2)5~6月ぐらいから、陸軍によって空中写真が撮影された1936年(昭和11)までの9年間のどこかで、八島邸はリニューアルを終えていることになる。わたしはその時期を、1935年(昭和10)ではないかと考えている。
 
 
 この年、八島家は付近一帯の地主である宇田川家から、それまでは借地だった邸の敷地151.37坪を購入している。八島家では同年、築年数が経過した邸の建て替えを計画し、ついでに敷地の購入話も同時に進めたのではないか。旧・土地台帳に掲載された下落合666番地5号、八島邸の項目を参照すると、1935年(昭和10)12月2日に宇田川家から土地を購入しているのがわかる。同時に、上物である住宅を建て替えたのでは?・・・というのが、わたしの推測だ。
 建て替え後の八島邸が、どのような意匠をしていたのかは不明だけれど、のちの空中写真や「火保図」を見る限り、従来の邸よりもかなり大きな建物となっているようだ。佐伯が、そのまま下落合に滞在しつづけていたとしたら、リニューアルなった八島邸を気に入り、再び描いていたのだろうか? 佐伯が、ことさら「八島さん」がらみの『下落合風景』を多作しているということは、佐伯家と八島家との親しい交流を想起させる。50号の「テニス」Click!をプレゼントした、南隣りの青柳家Click!と同様、八島家とも作品をめぐるやり取りがあったのかもしれない。八島邸は、1960年(昭和35)に住宅協会が作成した「東京都全住宅案内帳」にも採取されているので、戦後も長く下落合に住みつづけたとみられる。ただし、1945年(昭和20)5月25日の山手空襲Click!で、1935年(昭和10)ごろに建て替えられたと思われるリニューアル後の新邸は全焼している。
 
 1932年(昭和7)に編纂された地元の『落合町誌』には、残念ながら掲載されていない八島家だけれど、東へ2軒隣りに住んだ佐伯祐三のエピソードが同家に伝わっているとすれば、ぜひうかがってみたいものだ。余談だが、林唯一Click!が戦争中、南方戦線へ海軍の従軍画家として派遣されたとき、彼の担当だった海軍の広報係が「八島さん」だった。この「八島さん」が、同じ下落合つながりの八島家の方だったかどうかは、さだかでない。

■写真上:佐伯祐三が、1926年(大正15)から翌年にかけて描いたとみられる八島邸。
■写真中上:上は、現存する『下落合風景』に描かれた八島邸の外壁2種。コールタールを塗布したとみられる焦げ茶色と、ペンキを塗ったとみられるベージュがある。下は、モノクロ画像で残る『下落合風景』の八島邸で、明らかに外壁の暗いものと明るいものとが存在している。
■写真中下:上左は1926年(大正15)に作成された「下落合事情明細図」にみる、上右は1936年(昭和11)に撮られた空中写真にみる八島邸。下左は1938年(昭和13)制作の「火保図」にみる、下右は1944年(昭和19)に撮影された空中写真にみる空襲直前の八島邸。
■写真下:左は、下落合666番地5号の旧・土地台帳に記録された1935年(昭和10)12月の所有者の変更。右は、1960年(昭和35)の「東京都全住宅案内帳」(住宅協会)にみる八島邸。