石川県の城下町・金沢市では、おもに1960~70年代に変えられてしまった町名を、元の町名にもどす運動が盛んだそうだ。住民側からの働きかけのみならず、自治体もシンクロして積極的に取り組んでいるところが、金沢市のステキなところ。1999年に、「主計町」の復活からスタートした町名元どおり事業は、昨年(2008年)までに9つの町名が復活し、その昔、自治体ないしは郵政省の一方的な都合、あるいは行政が対外的に細かく区切られた日本の町名は「恥ずかしい」と、“自虐的”に消されてしまった町名を、全面的に見直していると聞いている。
 以前の記事でも書いたClick!けれど、ゆたかな歴史が営々とやどる古来からの町名を、対外的に恥ずかしいと感じる為政者の心根のほうこそ、よっぽど恥ずかしいし「恥っつぁらし」(東京弁)な連中だと思う。同じ城下町である江戸東京も、「東京オリンピック」の悪夢Click!も遠のいたことだし、そろそろ元の町名を復活させはじめてもいいのではないだろうか? 行政の担当者が、机上でお手軽に都合のよい好き勝手な町名をデッチ上げ、有無を言わせず議会で可決し、住民へ一方的に押しつけることが多かった1960年代の東京各地では、あたりまえだが猛烈な反対運動のClick!が起きている。新宿区は、それでも古い町名がよく保存されているほうだけれど、落合界隈では1965年前後からずいぶんと町名が変更されて、不自然な状態がつづいている。
 でも、新しい住民の方々の中には、新町名のほうがお気に入りであり、そちらに馴れてしまった・・・という方々も多いだろう。たとえば、いまは高田馬場(タカダノババ:本来の高田馬場=タカタノババClick!とは離れた地域であり発音が異なる)と付けられている住所のエリアでは、戸塚町(上戸塚/下戸塚)あるいは諏訪町と呼ばれるよりは、高田馬場のほうが駅名ともシンクロして都合がいいだろうか? 最高裁まで持ちこまれ、最後まで争われた雑司ヶ谷6~7丁目(現・西池袋)のみなさんはいかがだろう? 町名や地名が重要なのは、なにも歴史学的な側面ばかりでなく、自然や地形、伝承・伝説(民俗)、そしてそこで暮らした人物たちとも密接に関連している文化遺産だからだ。
 
 
 下落合全域(中落合/中井2丁目含む)を歩いていると、旧住所のままのプレートや表札が数多く残されていることは、以前からご紹介Click!してきている。これは、単に新住所へ改めるのが面倒くさいから、あるいはプレートを外すのにおカネがかかるから、さらには「いま気がついた、変えるのすっかり忘れてた」(爆!)などという理由からではなく、西池袋界隈のみなさんと同様に、一方的に町名を変えられたことに対する自治体への怒りや抗議の意味もこめて、言わず語らずきわめて意図的・意識的になされていることだろう。わたしの取材でも、「ここは、本来は下落合という街であって・・・」というお話を、目白文化村Click!やアビラ村Click!で少なからず何度かうかがっている。
 古くからの地名や町名を、住民の意思を考慮せず行政側の一方的な都合で、あるいは耳ざわりのいい言葉や無味乾燥な街名へ勝手に(思いつきで)変更しないよう、1983年(昭和58)に各地の自治体へ出された自治省の通達以来、地名や町名の変更事業はほとんどがストップしている。でも、文字どおり変更事業が宙ぶらりんのまま止まっただけで、メチャクチャになった地名や町名を「ちゃんと元にもどそうぜ」・・・という自治体の動きは、少なくともわたしの知る限り東京23区内では聞かない。金沢市のように自治省通達から一歩踏みこみ、元の町名を消滅させたのはまずかったと自治体自身が認識して、見直し作業に入っている区は皆無ではないかと思われる。
 
 
 先述したけれど、いまの地名が気に入っている方が多い地域は、別に無理に元へもどさなくてもいいだろう。落合地域でも、淀橋区が成立する以前まであった葛ヶ谷Click!(くずがや)の旧地名よりは、西落合のほうが響きがよくていいだろうし、戦前からすでに名づけられていた目白(町)のほうが、高田町(たかたちょう)や雑司谷旭出(ひで)よりは馴染みやすいと思われるにちがいない。でも、「いまの名前は嫌だ」あるいは「元の町名のほうがいい」と思っている方たちが多いと思われる地域、または地元の方々によるそのような運動がある地域については、もうそろそろ自治体側で十分に考慮してもいい時期にきているのではないかと思うのだ。
 金沢市における町名復活事業への取り組みコンセプトは、自分たちの住む街への愛着や、その由来を踏まえた歴史的地域であることへの誇りなどを、新旧住民の間で醸成し共有してほしいがため・・・ということのようだ。別に金沢市だけでなく、江戸東京へ場所を変えてもまったく同じことが言えるだろう。一度変えてしまった町名を元へもどすのは、意外にたいへんな事業なのだ。だから、金沢市でもいっせいにもどせず、1年間にほぼ1町の割り合いでの復旧作業となっている。
 
 
 中落合および中井2丁目にお住まいの「下落合住民」Click!のみなさん、いまなら行政側も頑強に拒否することなどできない状況になりつつあります。ぜひ、ご一考を。町名復旧により、わたしの住所が昔の下落合2丁目にもどってもまったくかまわない・・・と、個人的には思っている。

■写真上:「翠ヶ丘」の文字が入った、めずらしい「淀橋区下落合二丁目667番地」プレート。吉田博アトリエClick!や笠原吉太郎アトリエClick!跡近くに残るもので、現在は中落合2丁目17番地界隈。
■写真中上:上は旧・下落合1丁目の、下は旧・下落合2丁目の街角にて。
■写真中下:旧・下落合3丁目の街角にて。
■写真下:旧・下落合4丁目の街角にて。