新宿歴史博物館の学芸員の方から、佐伯アトリエClick!のリニューアル図面をいただいた。それを見ていて楽しいのは、佐伯邸の母屋Click!があったのとまさに同じ位置へ、これまでは解体されて存在しなかった母屋の一部の再現や、アトリエの南側へ見学者が集えるテラスを建築しようとしている点だ。新たに建築される構造物は、平面図を見ると往年の佐伯邸とほぼ同じかたちをしている。特に、施設の管理者が詰める管理棟は、のちに増築された佐伯米子の茶の間(居間)を、ほぼそのままの意匠で再現しているのが面白い。元は畳敷きのこの小さな茶の間は、佐伯邸敷地の南東隣りから養鶏場Click!がなくなってのち、だいぶたってから増築されたものだ。
 御留山の“秘境”保存に関連し、竹田助雄Click!が署名を求めて佐伯米子のもとに立ち寄ったとき、彼は玄関からではなく、庭先に濡れ縁のある敷地南側のこの茶の間から訪いを告げている。米子は脚が悪かったため、来客があるといちいち玄関先で対応することができず、おもに茶の間で応対していたようだ。邸内に誰もいないときなどは、玄関先で呼びかけると茶の間へまわるよう来客に告げてていたらしい。1982年(昭和57)に創樹社から出版された、竹田助雄『御禁止山-私の落合町山川記-』から、佐伯邸訪問の箇所を引用してみよう。

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 佐伯米子さんは、切炬燵に設けた卓袱台をはさんで、年配のお手伝さんらしいひとと、閑談していたようだった。/「こんなことを始めたんです」/私は縁先から署名簿を畳の上に置いて差出すと、折目正しい和服姿の米子夫人は躰をよじり、手を支えにして、縁先へ近づいてこようとする。/咄嗟に私は気がつき、そうだ! 夫人は足がわるかったのだ。/署名簿に手が届くように、夫人のそばまでしずかに押し出した。畳は替えたばかりらしく、あおくて、そのあおさが一層和室の手ざわりの細やかさを感じさせた。/お手伝さんらしいひとが坐布団を持ってきた。「坐布団はいらんですよ」スクーターを乗り廻しているズボンのほうが汚れている。私は濡縁に腰を下ろした。
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 佐伯邸の母屋は、同敷地と建物が新宿区へ寄贈されてのち、1985年(昭和60)ごろ老朽化のために取り壊されているが、解体される5年前にNHKがドラマ『襤褸と宝石』Click!でロケーションに使用しており、母屋全体や増築された米子の茶の間も映像に収録されていると思われる。
 また、佐伯研究家の朝日晃が、佐伯の資料を米子とともに調査・整理したのもこの部屋だし、米子が1957年(昭和32)にアトリエで発見した『下落合風景』Click!の「制作メモ」を、『みづゑ』の編集者へ複写用の反射原稿として入稿したのもこの部屋だったろう。1957年(昭和32)に発刊された『みづゑ』2月号の、「特集・佐伯祐三」に掲載された佐伯米子「佐伯祐三のこと」から、「制作メモ」Click!についての箇所を引用してみよう。


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 東京の目白のアトリエに戻った当時は、家の周囲の風景や友人のポートレイなど描きました。(その時の自分の作品メモが最近出てきました。-上図-)
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 こののち、「制作メモ」は忽然と行方知れずになってしまった。さらに、1994年(平成6)出版の朝日晃『佐伯祐三のパリ』(大日本絵画)からも引用してみよう。
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 九月十五日から翌十月二十三日までの紙切れに書いた制作メモが、かつて米子の手許にあった。二年間のパリ生活でもメモの例はない。/制作予定表ではなく、すでに終わった生活を何か確認のために書き留めた表で、十月に入って二度も病気-としるしたことは予定では有り得ない。
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 米子の茶の間には電話が敷かれ、さまざまな人たちとの連絡も行われていた。長崎にあった画材店へ、絵の具やキャンバスなどの注文もこの部屋から行われたのだろう。女流画家として活躍していた戦後、たった1色の鉛管を切らしてしまい、脚が悪くて動けないため申しわけなさそうに画材店へ電話を入れ、とどけてもらっている彼女の姿が地元の記憶として残っている。
 

 佐伯米子の墓は、大阪の光徳寺ではなく、東京の心法寺に存在している。光徳寺の佐伯家とは、あまり折り合いがよくなかったものか、あるいは佐伯の死後、兄の祐正と米子との間で遺作の扱いをめぐり確執があったものか、佐伯の実家との間は徐々に疎遠になっていったのかもしれない。心法寺の墓所には、佐伯祐三(分骨)と娘の佐伯弥智子そして佐伯米子が眠っている。下落合の佐伯邸に住んでいた3人家族が、そろって眠る墓所は東京の心法寺のみだ。佐伯米子が描いた「下落合風景」については、また機会があれば記事でご紹介したい。

■写真上:1982年(昭和57)撮影の佐伯邸母屋で、左側が増築された米子夫人の茶の間。
■写真中上:2010年4月28日オープン予定の、佐伯祐三アトリエ記念館の建物平面図。
■写真中下:佐伯アトリエの平面図(上)と側面図(下)。
■写真下:上左は、米子夫人の茶の間を模した管理棟の平面図。上右は、佐伯と結婚する前の池田米子時代のポートレート。下は、茶の間を再現した管理棟の側面図。