ずいぶん以前(5年前)に、わたしがガブ好きClick!なことをここに書いた。ガブとは、もちろん文楽のガブ首(頭/かしら)のことだ。小学生のころ、国立劇場の小劇場へ文楽を観に何度か出かけたとき、芝居とは異なる文楽という芸能ジャンルには、耳障りな太棹の音色とデロデロの義太夫節とともに、子供のわたしにはピンとは来なかったけれど、ガブ首(がしら)にはその場で魅了されてしまった。以来、現在までガブ首が欲しくてほしくてたまらないと書いたところ、今年に入って記事を読んだ方から、ガブがいっぱい掲載された写真集をいただいた。
 1943年(昭和18)に出版された、齋藤清二郎『文楽首の研究』(アトリエ社)がそれなのだが、敗色が漂いはじめた戦時中に制作され、カラー写真も織りこまれた豪華な写真集だ。もちろん、初版2,000部限定の高価(15円50銭)でなかなか手に入らない稀少本だったにちがいない。戦時で、物資が強力に統制されていたにもかかわらず、高級紙や和紙をふんだんに使った装丁や製本、手間のかかるカラーグラビア印刷が可能だったのは、文楽の首(かしら)と「国威発揚」とを無理やり結びつけたからだ。谷崎潤一郎が序文を寄せているのだが、文楽首の豪華写真集を刊行したいがためか、こんなこじつけめいた文章を最後の最後に付け足している。
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 蓋し大阪人である齋藤さんは、大阪が誇とする郷土芸術の立派な参考書と、他国者の手を煩はさずに著作し得たことについて、内心多大の満足を禁じ得ないものがあらう。今の時局にかう云ふ研究的にして美術的な書籍の出版を見たことは、単に大阪人のため万丈の気を吐くばかりではなく、此の未曾有の大戦に際しても一日として国粋文化の研鑽と発揚とを怠らざるわれわれ日本国民の、不撓不屈の精神を語るものであると云へよう。茲に聊か蕪辞を連ねて序に代へると云爾。
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 理由はともあれ、そうでも書かなければ軍当局が出版許可など出さなかったのだろう。豪華な写真集を出すためなら、このぐらいは時局におもねった言葉をくれてやれ・・・と考えたのか、あるいは本気でガブ首たちが「国威発揚」になると考えたものか、さだかではないが、序文を通読する限り最後の軍当局を意識した表現は、やはり添え物じみてて浮き上がっている。
 
 さて、あこがれの怖いこわいカブ首たち。現在、文楽で用いられている首(頭/かしら)に比べ、当時の首はおしなべて傷つき古びており、よけいに陰気で気味(きび)が悪い。事実、掲載された首写真の中には、江戸期から用いられていた作品も数多く混じっているのだろう。ガブばかりでなく、文七や玄太、娘、若男、団七、金時、舅、傾城、白太夫、三枚目などの首も、妙に年季が入り魂がこもっているような表情をしているのは、過去に何百回となく舞台に上がり、その役柄や性格が乗りうつっているからにほかならないだろう。これらの膨大な首作品は、このあと2年もたたずに開始されたB29による本土空襲で、ほとんどが焼失してしまったのではないか。
 まず、カラーグラビアで巻頭を飾るのは、『八重桐廓噺(やえぎりくるわばなし)』に登場する山姥のガブだ。大人しそうな女性や美しい娘が、一瞬のうちにツノを生やした山姥や鬼女に変身する刹那は、もうゾクゾクするほど楽しくて美しい。実際の舞台では、ガブになったままの表情で演じられることよりも、ガブになったり優しい顔にもどったりと、表情が何度もクルクル入れ替わる演目がことのほか面白い。ツノが出て目をむき、口が大きく裂けた・・・と思うと元へもどり、相手(若い男のケースが多い)がよそ見をすると、再びツノが出てきて口が裂ける・・・という、ガブが反復する“お約束”の演目が、やはりワクワクドキドキさせられて、観ていて飽きないのだ。
 
 その昔、ドリフターズのステージで、加藤茶や志村けんがよそ見をしていると、背後にお化けが出現し、客席の子どもたちがキャーキャー「う・し・ろー!」と騒いで知らせ、ふたりが振り返るとお化けは直前に消えていなくなっている・・・という、夏向きギャグの繰り返しネタがあったけれど、あれがガブが登場するシーンの呼吸にとてもよく似ている。鬼女に惚れられた若者が、よそ見をしているとガブが正体を現わし、いまにも襲いかかりそうになって、観客はハラハラドキドキさせられながら若者の身を心配するのだが、彼が振り返ると元の優しい女性の表情にもどっていて気づかない・・・という、あのスリリングなやり取りともどかしい間合いの妙味。
 ドリフもきっと、カブが登場するシーンの呼吸や間を、どこからか拝借して工夫したものだろう。最後には、ついにお化けClick!の正体を見てしまって驚くか逃げ出すかするのだけれど、文楽でもおおよそ似たような展開なのだ。そういえば、80年代から巷間に登場したらしい「口裂け女」も、文楽のガブが持つ意外性や変異の恐怖が祖形となっているにちがいない。口が耳までクワッと裂ける女性の怖さは、さすがに現代では「山姥」や「鬼女」では通用しないので、「整形手術の失敗」という非常に恨みがこもりやすく、今日的でもっともらしい理由づけがどうしても必要になったようだ。
 
 日本の敗色が濃くなりつつある当時、この写真集を手にした読者たち(文楽好き・芝居好きが多かったにちがいない)は、どのような印象をもったのだろう? ページをめくって、気味の悪い(わたしにとってはワクワクものの)ガブ首を眺めながら、なにかが迫りつつある怖ろしい背後を振り返らないよう、すなわち「山姥」や「鬼女」よりもよっぽど怖ろしい戦争の現実を直視しないよう、ひたすら芸術至上主義的な「よそ見」を繰り返して現実逃避をしていた・・・のだろうか? 出版されたのが戦時中なだけに、さまざまな感覚や想いが湧きあがってきそうだ。
 わたしの拙い記事、それも「ガブ大好き!」というようなふざけた文章に対して、とんでもなく貴重な限定本をいただき、ほんとうにありがとうございました。<(__)>

■写真上:『八重桐廓噺』(嫗山姥)の八重桐で、左がガブAfterで右がガブBefore。
■写真中上:『薫樹累物語(めいぼくかさねものがたり)』の女房・累の怨霊ガブ。
■写真中下:目白が舞台の『東海道四谷怪談』Click!の、ご存じ怨霊のスーパーヒロインお岩ガブ。
■写真下:左は、明治期の上演でよく使われた、お歯黒の歯にホンモノの毛髪を植えた凄まじいお岩ガブ。右は、1943年(昭和18)に出版された『文楽首の研究』(アトリエ社)の豪華な表紙。