1921
(大正10)12月、下落合にアトリエClick!を建てたばかりの佐伯祐三Click!は、大工から歳暮と新築祝いとを兼ねた(かんな)Click!が贈られると、さっそく柱や床を何度もくりかえし削りはじめた。佐伯米子Click!は、端でそれを見ながら気が気ではなかっただろう。その削り方のすさまじさは、アトリエに張り出したバルコニーを天井から支える、柱の削り具合を見ても明らかだ。佐伯は削る箇所を一度決めると、同じところを何度も執拗に削りつづけた。
 そもそも鉋(かんな)という道具自体が、同じ所作を何度もくりかえしつづけて使用するように作られている。原日本語(アイヌ語に継承)で、「カンナ(kanna)」は「何度も」とか「くりかえし」、「またまた」、「反復した」、「往復した」という動作を表す副詞だ。この「カンナ」に、動詞の「キ(ki)」=「~をする」がつくと「何度もくりかえし(動作/作業)をする」という意味になる。この(動作/作業)のところに、さまざまな仕事や行為を入れることにより、反復して行なう内容が明らかとなる。動作や作業の内容が省略された場合は、「何度もくりかえし行なうこと(仕事)」、あるいは「何度も反復すること(行為)」という意味合いで、抽象的な表現にもつかわれただろう。
 もともと、「カンナ」はカムィ()に関連する所作から派生してきた言葉かもしれず、「カンナ・キ」は時代とともに「カンナ・ギ」と転訛し、朝鮮半島や中国からもたらされた「巫」、あるいは「巫見」の漢字が当てはめられたのかもしれない。神に仕える「巫(kannna-ki)」たちは、何度も「オンカミ(onkami)(原日本語)=「拝み」(現日本語)を繰り返しながら、「イナウ(inau)」=御幣のような祭具を備え、あるいは何度も払って神へさまざまな願いを伝えた、あるいは神からの託宣を授かったのだろう。
 
 「カンナ」に「ヒ(hi)」が付随した場合、「ヒ」には「こと」、「もの」、「ところ」、「場所」という意味を持つので、「カンナ・ヒ」で「繰り返す(所作の)こと」、「繰り返す(行為の)もの」、「反復する(作業の)場所」のような意味合いで用いられた可能性がある。すなわち、なにか仕事や作業が繰り返される場所として、地名になった公算が高いことに気づくのだ。お読みの方はすぐにも、「甘南備」あるいは「神奈備」という地名や地域名を思い出されるだろう。「カンナ」に現在の日本語である名詞が付けば、たとえば神奈川、甘南川、神奈備山、鉋垣・・・と、転訛(地名音の「たなら相通」法則など)したと思われる地名まで含めると、おそらく膨大な数にのぼるのだろう。以前にも、「カンナ<山・川>」が「カンタ(神田)<山・川>」へと転訛したのでは?・・・という記事Click!を書いたことがある。
 
「カンナ」が川や山に付く地名が多いのは、金(かね=砂鉄)や黄金(こがね=砂金)を採取するための方法が、カンナ流し(後世に「鉄穴流し」という漢字が当てられている)と呼ばれていることからも想像がつく。つまり、水流の中へ土砂を何度も何度も繰り返し、ひな壇状の設備で浸け流しすることで、軽い土や砂塵を流出させ、重たい金属のみを沈殿させて採集するという技法だ。ここでも、やはり同じ動作や作業を反復する仕事に、「カンナ」の名称が付けられているのがわかる。
 
 そういえば、「巫(かんなぎ)」という字は、「工」に「人」がふたつ入りこんだ形象をしている。なんらかの作業や工作をする専門職の仕事人を、「カンナギ」と呼んだ時代があったとすれば、それは農業以外のことをつかさどる特殊技能集団Click!のことで、仕事の優れた成果物への願いから、集団独自の神々への拝みとも結びつきやすいことに気づく。その成果物とは、良質な砂鉄採集だったり、タタラで精錬される目白(鋼)Click!だったり、あるいは精巧な工作物や建築物だったりしたのかもしれない。彼らには、集団ごとに奉る独自の氏神Click!が存在していただろう。
 
余談だけれど、「カンナ」について調べていたら、「ポポ」あるいは転訛して「ボボ」や「ポッポ」という用語が目にとまった。そう、「タンポポ」の「ポポ」だ。原日本語(アイヌ語に継承)で、なにかかわいらしいもの、愛らしいものに当てはめて呼ぶ場合や、幼児語としてもつかわれる話し言葉だ。現在の日本語感覚でいえば、「~ちゃん」「~坊や」「~べえ」といった感覚だろうか。
 
タンポポは原日本語では「ホノイノイェプ(ho-noy-noye-p)」だが、そのかわいらしい外見から、特に丸い綿毛になった状態で、愛称が存在しなかっただろうか。ちょうど、フキノトウは原日本語で「マカヨ(makayo)」だが、地域によっては生える場所の特性から「バッケ(崖地)Click!という愛称で呼ばれた可能性があるのと同じだ。現在でも、スギナの芽を「つくし」と愛称で呼んでいるのにも通じる感覚だ。「タン」の意味は、いろいろありすぎて追いきれなかったけれど、「タンちゃん」あるいは「タン坊」というようなニュアンスの言葉のように思える。そういえば、「ニポポ」「サルポポ」「ハトポッポ」「カゴポッポ」(うなぎを捕るために川に仕掛ける編み籠のこと)・・・と、かわいらしいものに「ポポ」がつく例を、いまでもあちこちで見つけることができる。
 
 
佐伯祐三は、鉋(かんな)を使いアトリエの柱や床を執拗に「カンナ」して削りつづけた。後年、『下落合風景』Click!の連作では、気に入った風景モチーフが見つかると「カンナ」して通いながら、しつこく同一の風景を「カンナ」し描きつづけた。そして、1927年(昭和2)の夏、良質な砂鉄があちこちの河川から「カンナ」流しで採取でき、日本刀の最高峰である相州伝Click!を育んだ神奈川県の大磯Click!へと避暑に出かけ、再び巴里へ「カンナ」旅行するために、大阪との間を「カンナ」した。佐伯は、よほど「カンナ」好きな性格の男だったのだろう。

◆写真上:サエキくんも大好きらしい、何度もくりかえし作業をする「カンナ」仕事。
◆写真中上:左は、大工のカンナ()掛け。右は、観光用にセッティングされた砂金採集の「カンナ」作業だが、本来は砂鉄のカンナ流しに近い方法で採集が行なわれた。
◆写真中下:ともに、タタラ(大鍛治)前に行なう砂鉄を採集するカンナ(鉄穴)流し。
◆写真下:かわいい愛称の「ポポ」が残るタンポポ()と、転訛型と思われる「サルボボ」()