わたしは、シュルレアリスムの絵画作品がけっこう好きなのだが、日本における同分野の草分け的な存在である洋画家・寺田政明は、下落合の北側、長崎地域で戦前から戦後にかけて転々と引っ越しを繰り返しながら暮らしていた。寺田は、「長崎アトリエ村」Click!と呼ばれた、アトリエ付き住宅が建ち並ぶいずれかのエリアへ入居したかったようなのだが、うまく空き家が見つからなかったものか、「アトリエ村」の周辺に住みつづけた。
 代々木から谷中真島町へと転居し、1930(昭和5)に太平洋美術学校(元・太平洋画研究所Click!1929年に改称)へと入学している。このころから、麻生三郎や松本竣介Click!などと知り合っていた。1932(昭和7)に、1930年協会Click!の後身である独立美術協会Click!の展覧会で『風景B』が入選したあと、翌年には長崎町へと引っ越してくる。最初に移り住んだのが長崎町2451番地(長崎仲町1丁目2451番地)で、城西学園から谷端川Click!をはさんでほぼ真西にあたる地点だ。
 次に引っ越したのが長崎町894番地(長崎東町1丁目894番地)で、いまの町並みでいうと地下鉄・有楽町線の要町駅もほど近い、要町1丁目交差点のあたり。つづいて、地番変更が行なわれたあと長崎東町4丁目23番地、現在の板橋区も近い高松3丁目で高松小学校の近所。そして、戦後の1947(昭和22)まで住んでいた長崎地域における最後の住まいが、「桜ヶ丘パルテノン」Click!の北西、長崎3丁目16番地(現・長崎3丁目23番地)ということになる。
 
長崎地域では、「池袋モンパルナス」Click!の名づけ親といわれている、詩人であり画家でもある小熊秀雄Click!とも早くから知り合っており、小熊に絵画の手ほどきをしたのが寺田政明だ。日米戦争の前後には、麻生三郎や吉井忠、福沢一郎、靉光Click!松本竣介Click!、鶴岡政男、植村鷹千代、四宮潤一たちとともに、さまざまな美術活動を展開している。寺田政明のこれらの活動や作品の制作は、ほとんどが長崎地域で行われているので、つい先年、「寺田政明展」が池袋の東武百貨店で開かれている。寺田は、表現の前衛性とは裏腹に、ふだんは非常に穏和かつ篤実な性格の画家だったようで、だからこそ彼のアトリエにはたくさんの画家仲間が集っているのだろう。制作で画面に向かうと、目の光や表情が一変するような集中型の画家だったのかもしれない。 
 
 
 
最後に住んでいた、長崎小学校の北側にあたる長崎3丁目16番地の家は、2棟つづきのテラスハウス形式だったためアトリエがなく、西側の隣家を借りてアトリエ代わりに使用していたらしい。この家で育った当時の記憶が残る、寺田政明の長男がのちにそう証言している。戦時中に作成された、長崎2丁目・3丁目町会による右側が方位北の「防護板」(空襲に備えた防護団の情報回覧板)を参照すると、寺田家は60班に属して隣家(西側)が「田村」となっている。アトリエとして借りていたのは、長屋建築で西隣りだった「田村」宅のことなのだろう。
 
寺田政明の長男は役者をしていて、わたしは子どものころに観ていたドラマ『男は度胸』(NHK)の、天一坊を引き連れて陰謀をもくろむ「伊賀亮(いがのすけ)」を演じたころから、主役で「徳川吉宗」役の浜畑賢吉などよりも、よっぽど好きなキャラクターだった。つまり、この人の出ている作品はたいがい観たことがある、40年来のファンということになる。でも、近ごろの役どころはといえば、ちょっと印象に残っているのを挙げてみると、『HERO(フジテレビ)では電車でチカンを繰り返す大企業の重役・綿貫専務で、キムタクの検察官に社員たちが大勢集まる面前で検挙されたり、『TRICK2(テレビ朝日)の「毛が伸び~る」森では民俗学者の怪しい柳田黒男センセとなって、仲間由紀恵から「ぜんぶすべて丸っとお見通しだ~!」と突っこまれる前に殺されてしまったり、映画『日本以外全部沈没』(実相寺昭雄・監修/2006)では、奇妙なプレートテクトニクス理論をマスコミへ説明する記者会見の真っ最中に、いきなり大笑いしながら阿波踊りを歌って踊って退場していくという、完全にイカレちゃった地球物理学者の田所博士を演じるなど、もう惨憺たる役どころばかりだ。 
 
 
そう、シュルレアリスト寺田政明の子息が、シュールな役どころばかりがまわってくる俳優・寺田農なのだ。いま、NHKで放映されている美術品の贋作をテーマにした『フェイク』でも、どこか怪しくてウラがありそうな京都河原町大学の須藤教授を演じていて目が離せない。まさかNHKドラマなのでチカンの常習犯ではないと思うけれど、寺田農が出てくると、絶対になにかウラがあって悪いことをしているか、そのうちトリッキーな性格を露わにして歌って踊りだすぞ・・・などという先入観が生まれるのは、なんとも役者としてはつまらない(面白い!)ことだ。
 
わたしは1970年からの濃いファンなので、ぜひたまには真摯で誠実で穏和で、殺人やチカンやいきなり踊りだすことのない温厚な紳士の役、あるいは娘にやさしいパパの役でも演じてほしいと切に願っているのだが、そんな役どころは最近、どうしてもまわって来ないのだろうか? もっとも、彼がそういう役で出てきても、「きっと、なにかあるぞ」・・・と最後まで疑って観つづけるほど、怪しくて強烈なイメージがすでに浸透してしまっていそうだ。わたしも、やさしいパパ役の映画やドラマだったら、あえて観ようとは思わないかもしれないのだが。(爆!)
 
わたしには、とても誠実でマジメで穏和なお人柄のように感じる寺田農なのだけれど、ぜひこれからは役の幅を拡げる意味からも、既存のイメージにとらわれず、それらにいっさい引きずられず、別の意味から印象に残る新鮮かつステキでオリジナリティあふれる演技を、これまで見たことのないキャラクターの創造とともに次々とこなしてほしいものだ。 
 
 
イメージを変えるには、意外な分野の企業によるCMへの出演が手っとり早いだろうか。いま、寺田農の存在がとても“旬”だと思うのだけれど、クライアントや代理店のみなさん、いかがでしょ?

◆写真上:長崎3丁目16番地(現・3丁目23番地)の寺田政明アトリエ跡の現状。
◆写真中上:上左は、1938(昭和13)に制作された寺田政明『夜』。上右は、1940(昭和15)制作の同『発芽B』。下左は、1954(昭和29)制作の同『二つの道』。下右は、下落合の松本竣介アトリエClick!で開かれた画家仲間の出征壮行会に出席した寺田政明(前列左からふたりめ)
◆写真中下:左は、1947(昭和22)の空中写真にみる寺田政明邸で、ちょうど長崎から板橋へと転居する年にあたる。右は、長崎3丁目の「防護板」に記載された寺田家と隣接の田村家。
◆写真下:左は、金髪女性にマッサージをさせながら「ボクが今度はマッサージしてあげよう」と触ろうとする、やっぱりチカンの地球物理学者・田所博士。右は、登場早々に「日本人はヤシの実だ!」と島尾敏雄『ヤポネシア考』の影響が顕著な、わけのわからない民俗学者・柳田黒男先生。