このサイトで、佐伯祐三Click!が描いた作品の描画ポイントClick!に関連し、高田町字上屋敷1127番地あたりから東の雑司ヶ谷を向いて描いた『踏切(踏み切り)』Click!(1926年ごろ)近くの、山手線をまたぐ武蔵野鉄道のガードを、通称「浮雲ガード」Click!と表現してきた。これは林芙美子Click!原作による成瀬巳喜男監督の映画『浮雲』(1955年)のロケーション現場にちなみ、とりあえず地元の記憶とからめて規定した呼称だ。映画『浮雲』では、このガードをくぐって山手線沿いを散歩する、高峰秀子と森雅之のせつないシーンが収録されている。目白駅や目白橋までが映る、当時の貴重な画像が手に入ったので、改めてご紹介したい。
 当該のシーンは、ちょうどガード上を西武池袋線(旧・武蔵野鉄道)の電車が走り、ガード下の山手線を黒っぽい電車(おそらくチョコレート色の車両)が、同時にくぐり抜ける瞬間からはじまっている。(①) 左手にうがたれた「浮雲ガード」のトンネルをくぐり、高峰と森とがゆっくりと姿を現わす。この風情は、おそらく佐伯が『踏切』を描いた当時と、それほど変わってはいないだろう。夕陽に映える、山手線沿いに作られた粗い木柵も、ほとんど当時の形状のままだ。(②)
 ただ、佐伯の画面と異なるのは、線路沿いに立つ電柱がリニューアルされているのと、ガードや山手線沿いの家々が戦争をはさんで新しくなっていることだ。ガードの向こう側には、東京パンの製粉工場Click!だろうか、何本かの煙突がそそり立ち、かなり大きめなビル状の建物もとらえられている。池袋駅Click!を中心に、このあたりは1945年(昭和20)4月13日と5月25日の二度にわたる山手空襲Click!を受けており、特に線路沿いの家々は爆撃を受けて全焼している。だから、画面に映っている建物はかなりの割合で、戦後に建てられた新築の家々だろう。(③)
 

 
 肩をならべて歩くふたりがアップになると、いまだレンガ積みのままの西武池袋線の橋脚が見てとれる。佐伯が描いた踏み切りのある側からも光が射しているので、同ガードの細部まで見てとれるのだが、1933年(昭和8)に出版された『高田町史』(高田町教育会編)掲載の、昭和初期に撮影された写真と見比べても、ほとんど意匠は変わっていないようだ。ガードの上を通過する、電車の車両だけが新しくなっているように見える。(④⑤)
 そして、このあとカメラアングルが変わり、目白駅まで歩いていくふたりのうしろ姿のシーンへと移る。(⑥) 水虫が痛くなってしまった、ちょっと情けない森雅之が立ち止まるので、このシーンは相対的に長尺だ。遠方には、目白橋を通過するクルマが見え、1955年(昭和30)当時の目白駅Click!が黄昏の中、シルエット状に浮かび上がっている。(⑦) ふたりが歩き進むうち、切り通し状に鋭く落ちこんだ山手線の対岸に建ち並ぶ家々が見えてくる。線路沿いは空襲で焼け野原となっているので、いずれも戦後に建てられた住宅やアパートだろう。
 以前にご紹介した、小川薫様Click!がお持ちの戦前に撮影された目白駅前の写真Click!に写る建物は、あらかたB29による爆撃で焼失している。この『浮雲』シーンには、目白駅もほど近い復興後の目白幼稚園の園舎や、戦前は「目白市場」と呼ばれていた百貨店のような大きめの建物も、再建されたシルエットとしてとらえられているのかもしれない。(⑧)
 

 この映画には、戦後10年たった東京の各地、千駄ヶ谷駅や神宮外苑、池袋、目白、雑司ヶ谷(?)などがとらえられており、たいへん貴重な記録となっている。デコちゃんClick!こと、高峰秀子の大ファンだった親父も、少しあとの『喜びも悲しみも幾歳月』(木下惠介監督/1957年)とともに、確実にリアルタイムで観ている作品だろう。いまだ、わたしの両親が結婚する前の映画だ。
 昨年の暮れに亡くなったばかりの高峰秀子だが、『浮雲』はデコちゃんファンにはたまらない1作となっただろう。薄情で煮えきらず、浮気性で生活力のないいい加減な森雅之なんかと一緒にいないで、「デコちゃん、オレんとこへおいでよっ!」と、やきもきしながら観ているファンたち全員に思わせてしまうところが、この高峰秀子映画のミソなのだろう。ちなみに、林芙美子の原作を読んでもあまり・・・というか、ほとんど面白いとは感じないけれど、映画『浮雲』は高峰秀子の魅力でグイグイと惹きこまれてしまう、最後まで飽きずに観つづけてしまう強い引力を備えた作品に仕上がっている。


 最後に、このサイトをお読みの悲しみに暮れていらっしゃるであろうデコちゃんファンのために、目白駅近くの夕暮れに寂しげな表情を浮かべてたたずむ、高峰秀子のプロフィールを載せて追悼したい。彼女は親の歳よりも少し上なのだが、わたしの世代から見ても十分にかわいく美しい。でも、親父がやはりファンだった原節子Click!は、どこがいいのかよくわからないのだが。(爆!) たとえば、高峰秀子は東京弁の下町言葉が似あい、原節子は山手言葉ばかり話しているからかとも思ったのだが、どうもそうではないような気がするのだ。余談だけれど、いまから十数年前に原節子が鎌倉から目白近辺へ転居した話を聞いたのだけれど、近くで見かけられた方はいらっしゃるだろうか?

◆写真上:西武池袋線の「浮雲ガード」上(歩道橋)から、山手線の目白駅を眺めた現状風景。
◆写真中上・中下:成瀬巳喜男監督『浮雲』に収録された、1955年(昭和30)当時のシーン。
◆写真下:上は、戦後間もない1947年(昭和22)の空中写真にみる「浮雲ガード」シーンのロケーション現場。下は、目白の夕暮れにたたずむデコちゃんこと高峰秀子。