日本橋Click!の蠣殻町には、個人の名前を冠した創立138周年の公立・有馬小学校Click!がある。1873年(明治6)に、久留米藩主だった有馬頼成が設立した「幼童学所」の後身、有馬尋常小学校(現・中央区立有馬小学校)だ。これと同じような経緯の小学校が、(城)下町Click!ばかりでなく、旧山手に存在していたのをつい最近知った。福岡藩主だった黒田長知の寄付によって1878年(明治11)に開校した、目白崖線の椿山Click!とは音羽通りをはさんで反対側の、小日向崖線Click!の斜面にあった黒田尋常小学校だ。ちょうど、小日向氷川明神(現在ではスサノオのほか、明治期に八幡神が合祀Click!され小日向神社)のすぐ南側のバッケを切り拓いて校舎が建設された。
 冒頭の写真は、同校の卒業アルバムに掲載された一部の校舎とプールなのだが、どうみても戦後、1955年(昭和30)前後に造られた当時としては最新式の鉄筋コンクリート3階建ての校舎のようだ。ところが、この写真が撮影されたのは1936~37年(昭和11~12)、黒田小学校の古い木造校舎が1936年(昭和11)に建て替えられた直後の姿だ。わたしの知人のお父様が、黒田尋常小学校の卒業生であり、同年の貴重な卒業アルバムを貸してくださったのだ。そこには、どうみても昭和初期の小学校とは思えないような光景が拡がっている。
 

 たとえば、教職員を撮影した記念写真を見ると、メガネのデザインの古さや着物姿の女教師ふたりを除けば、1965年(昭和40)の卒業アルバムといっても、あながち不自然には感じないだろう。校舎の前には、戦後の小学校に多かったソテツならぬ棕櫚が植えられ、エントランスはとても広々として開放的だ。また、生徒たちの集合写真を見ると、子どもたちの服装を除けば、陽光をたっぷり取り入れるように設計された大きな窓へ、校庭に生えた樹木の映るさまが美しい。いかにも、戦後の明るい卒業アルバムにありそうな情景に見える。
 掲載された集合写真は、1937年(昭和12)の春先に小石川区武島町21番地にあった梅田写真館によって撮影されたものであり、同小学校が古い木造校舎から鉄筋コンクリートの新校舎へ建て替えられたのと、まさに同じタイミングで卒業アルバムが制作されているのがわかる。落成直後の新校舎撮影も、梅田写真館が請け負っているのだろう。したがって、卒業アルバムに写る生徒たちは、新校舎での第1期卒業生ということになる。アルバムの表紙には、「東京市黒田小学校」のネームとともに、黒田家の家紋である藤の花に「黒田」の文字がデザインされ、さらに「黒田節」をイメージさせる鑓(やり)の穂先があしらわれた校章が、銀色の特色で印刷されている。
 
 
 黒田小学校は、1873年(明治6)に黒田長知が東京府へ米二千石(当時の金額で5,700円ほど)を寄付したことで計画され、1878年(明治11)に当初の木造校舎が完成。1936年(昭和11)に鉄筋コンクリートの白亜校舎が完成したが、1945年(昭和20)5月25日夜半の第二次山手空襲Click!で校舎内部が全焼した。1946年(昭和21)の3月に廃校となり、新たに文京区立第五中学校として生まれかわっている。だが、その第五中学校も少子化の影響をまともに受けたのか音羽中学校に統廃合され、現在は使われなくなったコンクリート校舎が残るばかりだ。
 うちの墓は、下町の深川とともに旧山手の小日向にももうひとつあるので、小日向の急斜面へは1年に何度か足を運んでいるのだが、黒田小学校のことはまったく気づかなかった。旧・黒田小学校(のち第五中学校)跡から、水戸徳川上屋敷(後楽園)へと流れる神田上水が埋め立てられた道を、東へ200mほどたどればうちの墓があり、わたしはこれまで何度も旧・黒田小学校の前を往復していたことになる。東京では、日本橋の中央区立有馬小学校とならんで個人名が付加された、きわめてめずらしい公立小学校だった。(おそらくこの2校だけだろう)
 しかも、卒業アルバムに掲載された1936年(昭和11)完成の白亜校舎は、一部に増改築が行われているとはいえ、ほぼそのままの状態で残っているのがわかる。すぐ前を行き来しながら、あまりにもモダンな校舎の意匠に、戦後建築としてあっさり見落としていたものだろうか。

 
 この小学校を卒業した人々のうち、当サイトへ過去に登場している人物としては、小説家の永井荷風Click!、新派の水谷八重子(初代)Click!、そして映画監督の黒澤明Click!などがいる。

◆写真上:1936年(昭和11)度の卒業アルバムに載る、完成直後の黒田小学校の校舎とプール。
◆写真中上:上左は、同アルバムの教職員集合写真。上右は、女子組の集合写真(女子組)。下は、おそらく落成直後と思われる黒田小学校のコンクリート3階建て白亜校舎。
◆写真中下:上左は、同アルバムから小日向神社前の記念写真。上右は、あまり風情が変わらない現在の同所。下左は、校庭での朝礼写真。下右は、黒田小学校卒業アルバムの表紙。
◆写真下:上は、1946年(昭和22)に撮影された文京区立第五中学校になったばかりの旧・黒田小学校。下左は、旧・黒田小学校の築垣がそのまま残る服部坂。下右は、第五中学校時代の校舎に隣接した小日向氷川社あるいは小日向八幡社の拝殿(小日向神社)。