このサイトへのアクセス数が、のべ500万人を超えた。スタート以来、「足跡づけ」(nice!訪問)はしていないので、みなさま実際に訪問してくださり、記事を読んでいただいているのだろう。

 改めて、心からお礼を申し上げます。きょうは、超500万アクセスを記念して、相変わらずわたしの周囲で起きつづけている、ちょっと不可解でわけのわからない、不思議なお話を・・・。
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 先日、目白崖線から関口台・音羽をはさんでつづく小日向崖線へ、うちの墓参りに出かけた。電車もクルマも利用せず、サクラの咲き具合を観賞しながら徒歩でブラブラ歩いたのだが、旧・神田上水や江戸川(1960年代からともに神田川)沿いのバッケClick!(崖地・急斜面)を眺めながら歩いていると、それらが川沿いに形成された河岸段丘、あるいは浸食で削られた急峻な断崖のようには見えず、巨大な断層のように感じられる箇所がいくつかある。
 神田川や妙正寺川の北岸に形成された目白崖線は、同河川の南側に形成された斜面よりもバッケ状の険しい地点が多いし、標高も南側に比べてかなり高いのだが、それらは蛇行する河川によって削られた崖、ないしは過去に土砂崩れを繰り返して崖状になってしまった地形・・・だと考えたい。有史以前の巨大な活断層の一方が、巨大地震で大きく浮上し、その上に土砂が堆積して地層を形成している・・・とは考えたくない。実際、東京市街地の崖線を細かく調査した記録がないので、もともと河岸段丘なのか、深層に活断層があるのかが不明なのだ。
 うちの新しい墓は、そんな山手の小日向崖線の丘上にあり、年に2回ほどはお参りにいくのだが、(城)下町Click!は深川の古い寺にある先祖代々の墓は、年に一度しか行かなくなってしまった。こちらは、ほとんど0m地帯なので江戸前期から津波や洪水、地震などの被害にあって、そのたびに再建されてきた。関東大震災Click!のあと昭和初期にも再建されているのだが、なぜか1945年(昭和20)3月10日の東京大空襲Click!では、周囲を大火流で囲まれながらも墓石はほとんど無キズで残った。深川の墓は大きいので、「大きな墓は次々と人を呼ぶから縁起が悪い」と、親父の代から山手に深川の6分の1ほどの墓をこさえて、ようやく災害の危険度が低い地域への「分墓」を果たした。でも、山手の崖線形成の大もとが活断層だったりすると、さらに危険なことになるのだが・・・。
 4~5年ほど前、震災時の帰宅ルートClick!を考えて毎晩、会社から歩いて帰宅していたことがあった。ルートにもよるが、飯田橋から下落合までは5~6kmほど、旧・下落合は目白崖線の西端、現・中井2丁目でもっとも標高が高い目白学園の丘(37.5m)まで歩くと、やはり道筋によるが7~8kmぐらいになるだろう。ちょうど、新宿区を東西に横断するようなルートになる。だから、下落合から小日向までの4~5kmほどを歩いて墓参りに出かけても、それほど疲れはしなかった。しかも、神田川沿いに江戸川橋までサクラを観ながらだから、よけいに疲れを感じなかったのだろう。
 
 余談だけれど、夜の帰宅散歩で脚がかなり鍛えられたのか、先日、京都を歩いていてもほとんど脚に負担を感じなかった。考えてみれば、飯田橋から下落合まで新宿区横断ルートの距離は、京都市街地の東にある平安神宮を起点にすると、山陰本線の花園駅ぐらいまでの距離だ。太秦駅の先、嵐山の手前ぐらいまで足をのばせば、ちょうど旧・下落合の西端、目白学園あたりまで歩いた勘定になる。そう考えれば、京都市街地を散歩する感覚が、なんとなくつかめたような気がした。小学生のときから歩いている京都市街だが、移動にはこれまで乗り物ばかり利用していたので実感が湧かなかった。京都の市街地は、ほぼ新宿区と同じぐらいの「散歩規模」なのだ。
 さて、ブラブラ歩きながら出かけた小日向の墓地で、わたしはまたしても不可解な写真を撮影してしまった。今年の2月、わたしはカメラを買い替えたばかりなので、従来のカメラ特有の「クセ」でないことがわかった。カメラは、SONYからNikonへメーカーも変えているので、明らかにカメラの性格によるなんらかの現象ではない。下からフワ~ッと立ちのぼる、この白い発光体はなんだろうか?(冒頭写真) このような写真は、深川の墓地で撮影したことは一度もない。
 当日は、少し霧雨が降る天候だったので、以前に「ヒトダマやカネダマ」Click!の話で書いた燐光だろうか? それとも、プラズマの類の発光体だろうか? 重力に逆らって、下から上へと移動しているのは光跡からも明らかなので、水滴に光が反射しているのでもなさそうだ。わたしは、いろいろな「気配」や「気風」「気脈」などを感じるClick!ことがまま多いのだが、このような怪(あやかし)現象にはかなり鈍感なのだろうか、当日の撮影中には発光体にまったく「気」がつかなかった。
 
 これまで、古い家屋の室内などで、発光するさまざまな色のマリモのような球体Click!を撮影することは多々あったのだが、屋外でこれほど強い光を放つ「なにか」を撮影したのは、下落合のタヌキの森Click!近く以来のことだ。タヌキの森の発光体は、「なにか書いて欲しそう」に感じたのでw、これまでたくさんの記事をここへアップしてきた。中村彝アトリエのドアを開けて入ってきた、きれいなブルーに光る大きなマリモくんClick!にも、「ちゃんと書いてよね」と言われているようで別のサイトClick!まで起ち上げた。このお墓の主も、なにか物語を取材して書いてほしいのだろうか?^^;
 またまた、中村彝Click!の親友だった小熊虎之助先生に見解をうかがいたいものだが、井上円了Click!や田中館愛橘Click!なら「幻覚で気のせい」ということになるのだろうか。わたしには、どう見てもなんらかの物理的な発光現象のように見えるのだけれど・・・。
 そういえば、おそらく500万分の1ぐらいの偶然がこの墓地で起きている。新しいClick!(オスガキ上の連れ合いのこと)は、文京区本郷の出身なのだが、結婚した最初の夏、いっしょにお盆の墓参りに出かけるとき、わたしは自分の耳を疑った。彼女の実家の墓が、小日向のまったく同じ墓地にあり、しかもうちの墓とはわずか20mほどしか離れていなかったのだ。以来、「いっぺんで済んでしまう」(こういう言い方はバチ当たりかな?)効率的な墓参りがつづいている。うちの祖父あたりの古風な言い方を借りれば、「墓の近所同士で先代たちが話し合って、ふたりをめあわせた」のだろう。
 
 最後に、もうひとつ墓参りの話。連れ合いの、実家代々の墓は「麻布」にあるのだが、いまの住所は「六本木」Click!ということになっている。「ちょいと、六本木のヒルズへ墓参りに行ってくら」というのが、なんとなく奇妙に感じられる時代になっているので、中央線沿線の奥へ墓ごとみんな移そうか「ど~しようか?」という話題を、親戚が集まった先日の法事でチラリと小耳にはさんだ。

◆写真上:墓参りをすると、不可解な写真を撮影してしまうことがある。
◆写真中上:左は、冒頭写真の拡大。右は、緑が多く残る小日向崖線の現状。
◆写真中下:左は、小日向の麓の神田上水開渠(白堀Click!)跡の道で目白崖線と同じ風情を感じる。右は、小日向の斜面から解体間近な旧・黒田小学校Click!(2代目校舎)を眺める。
◆写真下:左は、神田川のソメイヨシノ並木。右は、神田川の高戸橋から面影橋へ向かう都電。