子どものころ、夏休みの自由研究のテーマに困ると、よく昆虫採集でお茶をにごしたものだ。1960年代の神奈川県の海辺Click!は、ありとあらゆる虫たちの宝庫で、虫網をもって外出するとほんの1時間ほどで虫籠いっぱいのトンボやセミ、チョウ、バッタなどが捕まえられた。
 中でも好きだったのが、種類ごとに捕まえる技術やノウハウが異なるトンボだった。子どもたちは、トンボの種類ごとに捕まえ方をいろいろ工夫してスキルを磨いたものだ。海岸近くの原っぱや林にいたのは、ギンヤンマをはじめカトリヤンマ、ウスバキトンボ、シオカラトンボ、ムギワラトンボ(シオカラトンボ♀)、ナツアカネ、ミヤマアカネ、コシアキトンボ、ホソアカトンボ、アキアカネ・・・。そして、どうしてもオニヤンマが捕まえたくなると、清流のある近くの大磯丘陵Click!へ出かけていっては、河原で待ち伏せをしていた。オニヤンマは、なかなか海の近くにはやってこないので、森の中に小川が流れているような場所まで出かけなければならなかった。
 採集した虫たちは、保存液を注射したあとピンで刺しバフィン紙などで羽を押さえてかたちを整え、しばらくの期間“乾燥”させることになる。この間、虫たちはわたしの部屋からあふれて、家じゅうの風通しのよい場所へあちこち置かれるため、母親はずいぶん気味の悪い思いをしたのではないだろうか。ただ、わたしの母親は根がおてんばだから、虫を毛嫌いするタイプではなかったが。やがて、虫たちの肢体が固まると、背広の空き箱などにコルク地を敷いてつくった即席の採集箱へ、1匹ずつピンでとめながらネームシールを貼っていく。母親も気が向くと、ときどき虫たちの標本をもちながらネーム貼りを手伝ってくれた。
 こうして、自由研究をなんとかクリアし学校へ採集箱をもっていくと、同じクラスの女子Kがとんでもなく美しい採集箱を抱えて登校していた。まるで、現代の東急ハンズかなにかで入手したような、横にスライドするガラス張りのコルクケースに、湘南の海岸べりなどでは絶対に採れない、めずらしいチョウやトンボの標本がズラリと並んでいる。シオカラトンボとかオニヤンマとかが並んだ、わたしの研究などみすぼらしくて児戯に等しく(児戯なのだが)、プロの標本家がこしらえたような見事な出来だった。よく見ると、ネームも和名と同時に学名までが入れられているではないか。呆気にとられているわたしに、「ありゃ、きっと東京のデパートで買ったんだべ」と友人が囁いた。
 
 当時、緑の減少と殺虫剤の普及、大気・水質汚染など生活環境の悪化から、東京にいた昆虫は一気に激減していた。そこで、夏になるとデパートでは、秋の虫聞きの季節でもないのに虫を売っていたわけだけれど、わたしは「ウソだ、なにかの冗談だろう」と信じなかったのだが、TVのニュースを見るかぎりほんとうだった。そこらに、佃煮にするほどウジャウジャいる虫たちを捕まえ、湘南電車で1時間ちょっとの東京へ売りにいけば、電車賃を差し引いてもかなりの額の小遣いが稼げるじゃないか・・・と、子どもながら真剣に考えたものだ。
 近所にいるミンミンゼミやギンヤンマなどでは、とても女子Kに太刀打ちできないと悟ったわたしは、翌年、夏になると避暑がてら遊びに出かける箱根で、高原特有の昆虫採集をやってやろうと企てた。箱根には、平地には見られないめずらしい昆虫たちがたくさんいる。単なるシオカラトンボではなくオオシオカラトンボ、ナツアカネではなくホンサナエ、カナブンなんかじゃなくオオルリハムシだっているんだからね~・・・と、一所懸命に採集して標本をつくり学校へ持っていった。さて、夏休み明けに勇んで採集箱をもっていくと、女子Kときたら、・・・海外の昆虫だと? 「負けたべ」と友だちにポツンといわれ、すごすごと目立たない位置に採集箱を置いて、下校するわたしだった。
 
 先日、「不便でゴメン!!」と入り口の幟であらかじめ謝罪wする板橋区立美術館Click!へ出かけたとき、ロビーでびっくりするようなものを見つけた。飲み物を買おうとしたら、なんと昆虫の自動販売機が置いてあるのだ。よく見ると、電源が入っていないのかランプが消えているので、もはや使われていないのだろう。これは、いつごろ設置されたものなのだろうか? まさか、1970年代でもあるまい。中には、めずらしいカブトムシやカミキリムシなどの標本が、円筒形のガラスケースに収められ、かつて実際に販売されていたようだ。価格が入っていないので不明だけれど、生きていない標本とはいえ500円とか、1,000円ぐらいはするのだろうか?
 最近の東京は、空気や水がきれいになりつつあるせいか、虫が少しずつだが増えてきている。この夏も、セミは地域に昔から生息する全種類の鳴き声を聞いたし、トンボもオニヤンマヤやギンヤンマを含めて見かける。すごい勢いで2階のガラス戸に衝突して、ベランダでもがいていたのはツノのないカブトムシの♀だ。ナナフシやオオカマキリが、網戸にたかってジッと動かないでいる光景は何度も目にしている。虫好きなわたしとしてはうれしいのだけれど、わが家にはそれをうれしく思わない人間がふたりいる。連れ合いと、オスガキ上の嫁さんだ。
 このふたり、家の中で虫を見かけたときのパニックが並みではない。「ギャ~ッ、Papaさーーん!」と、新しい娘の叫び声がどこかでするので、「すわっ、なにか事件かドロボーか!?」と飛んでいくと、ちっぽけなアブラムシ(ゴキブリの東京方言Click!)だったりクモだったりするのだ。先日は、ヤモリの出現でもお呼ばれした。アブラムシはともかく、クモやヤモリは益虫(獣)なので外へ逃がしてやると、「また入ってくるし~」というような少し不満顔をするのだが、巨大な怪獣に追いまわされる虫のほうがよっぽど怖いぜ・・・といっても、なかなか彼女たちは納得しない。わたしも、子ども時代を虫が激減した東京ですごしていたら、虫ぎらいになっていたのだろうか?

 うちのオスガキふたりは、小学生時代に各地でいろいろな虫をさんざん採ってあげていたので、アレルギーはほとんどないようだ。昆虫の好ききらいは、生まれ育った居住地の問題ではなく、やはり家庭環境、それも親からの影響が大きいのだろうか? でも、Tシャツにたかがミンミンゼミをたけられただけで、まるでサスペンス劇場のワンシーンのように、湘南平じゅうに響く死にそうな悲鳴をあげてしまうのは、わたしにはどう考えても、やっぱり異常としか思えないのだが。

◆写真上:多摩川あたりから眺めた都心方面。水や空気はかなりきれいになっているが、緑の減少が止まらないので、昔のような虫たちの復活もなかなか進まないのだろう。
◆写真中上:うちの裏にある塀で、2時間ほどジッと擬態をしながら動かなかったナナフシ。
◆写真中下:左は、板橋区立美術館に残る昆虫自動販売機。右は、歩きなれた大磯の山道。
◆写真下:1922~23年(大正11~12)ごろに撮影された、箱根・強羅の別荘地街。早雲山へ向かって延びるケーブルカーは1921年(大正10)に敷設され、ケーブルカーをはさみ左側が小田急電鉄Click!開発の別荘地で、右側が箱根土地Click!開発による別荘地。ケーブルカー駅の左下には、F.L.ライトClick!が設計し関東大震災Click!で倒壊してしまう福原有信別荘が見えている。