日本橋には、昔から“すずめ色”というカラー表現がある。現在、「雀色」というと多くの場合、ややくすんだ褐色の1種類に限定されてしまうのだけれど、この1色限定は古い時代からのものではない可能性がある。また、江戸東京の町々では、それぞれ異なった色の規定や表現、さらには職業により色の通称があったと思われるので、日本橋の“すずめ色”がそのまま京橋や尾張町(銀座)を通りこして、新橋で通用していたかどうかはさだかでない。
 日本橋の“すずめ色”とは、1色ではなく多色を意味する表現だ。スズメが雛から親鳥へと成長する過程で顕在化するさまざまなカラー、すなわち茶、薄黄(薄緑)、ねずみ(灰)、黒、そして白だ。しかも茶は、くすんだ朱色に近いものまで含めて48種類、ねずみ色にいたってはゆうに100種類を超えていて、銀色に近いねずみ色(銀ねず)までが含まれる。いずれも、ねずみ(灰)をほんのわずか溶かしこみ、ややすんだ渋い味わいをもった色合いで、これらの“すずめ色”こそが生活や装いにおいての美の基準色となっていた。
 日本橋は通油町の長谷川時雨Click!も、どこかの文章で書いていた憶えがあるのだけれど、“すずめ色”に紺屋染めの青(藍色や紺色)をプラスしたカラーリングが、スマートで美しい(野暮Click!ったくなく洗練されて粋な)生活の基本色として、少なくとも日本橋界隈では位置づけられていた。これは大なり小なり、現在でも「江戸色」の一部として脈々と活きて受け継がれており、江戸東京全域とはいわないまでも(おそらく明治以降の乃手の色に対するとらえ方は、だいぶ異なるのかもしれないのだが)、この(城)下町Click!ならではの美意識だろう。
 そのカラーの中に、赤や緑、紫、橙、黄ましてや金や銀の光り色といった、原色あるいは派手でどぎつくゴテゴテした色合いは存在していない。どこか、灰をうっすらと掃いたような中間色、いま風にいえば落ち着いたパステルカラー調の地味で渋く、射しこむ自然光で刻々と変化するような微妙な色合いこそが美しいのであって、それらのいわば扱いや合わせのむずかしい色合いを楽しみ、おもに女性がさりげなくスマートに着こなしてこそ、この街の意気地であり甲斐性だ・・・というような、ちょっと素人ばなれした美しさを追求する、独特な感覚があった。
 特に若い女性は、それだけで派手かつ美しく色気があるので、地味で渋い色合いを着こなせれば、ますますそれが際立って映えるという、暗黙の“お約束”のような美意識が厳然と存在した。
 
 でも、異なる地域(街)の人にとってはおそらく理解できない、カラーに対する趣味や美のローカル感覚なのかもしれない。また、近年に織りや染め、ファッションのメーカー・学校などによる、あえて地域色を薄めるか消滅させるかし、「標準化・一般化」された装いの「教科書」的なカラーリングの概念からは、大きく外れた趣味なのだろう。でも、「美意識」も「食文化」とまったく同様だが、いくら「美しいよ」「美味しいよ」「これが“正しい”んだよ」と、よその地域の価値を押しつけようとしても(多分に商売気も絡んでいるのだろうが)、まったくムダとはいわないまでも徒労に近い行為だろう。地域文化は、ガンコで根が深い。このあたり、言語における無理やり一般化された「標準語」Click!の押しつけにも似て、あえて地域色を薄めた趣味が幅をきかせがちだったり、学校で強制(特に生活言語)されがちなのは、なんともさびしく情けない限りだ。
 わたしの親世代から上の、口さがない下町スズメにいわせれば、着物や洋服を問わず原色系あるいは派手で金きらきんの強烈な色合いを着ていると「洗練されてない」、「無粋ね」、「野暮よ」、「町風じゃないわ」、「ちんどん屋だ」、「大べらぼうだ」、「田舎じみた格好するな」、「眼が痛い」、「水道(すいど)の水で洗われてない」、「下品だわ」、「垢抜けてない」、「なんだそりゃ?」、挙句のはては「どっからきたんだい?」と、もうさんざんな言葉を浴びせられるだろう。
 いまでこそ、成人式や卒様式などのハレ着には、江戸東京地方を強く意識したしぶい色合いの振袖や羽織袴が復活しているけれど、それらの色合いが絶滅寸前だった“金きらきんで真っ赤っか”状況の、1950年代末の高度成長時代から1990年ぐらいまでつづいたバブリーな時代までは、かなり世代が上の人たちといっしょに街中を歩くと、「おい、見てみろ、金魚が泳いでら」と半分あわれみをこめたような物言いで、年寄りたちは揶揄したものだ。実際に、彼ら(彼女ら)にはそれが限りなくみっともなく、また醜悪(=悪趣味)に映っていたのだろう。

 わたしの世代にも、この美意識は多少なりとも頑固に受け継がれており、着るものに原色系のカラーを選ぶことはまずありえない。クローゼットを開けると、知らずしらず黒や濃薄茶、多彩なねずみ色(灰色)=“すずめ色”へと、着るものが偏っているのに気づく。装いに限らず、生活のさまざまな彩りや家具調度でも、できるだけ派手な色合いは選択から避けているのがわかる。モノトーンとはいわないまでも、余計な色合い(「余計」と感じること自体が、すでにここのローカルな色彩感覚だろう)を排除しているのが明らかだ。
 正月に、下落合は近衛町のカフェ「花想容」Click!で渋い小紋を作った知り合いの女性と、あと何人かが喫茶する楽しい集いがあったようなのだが、花想容のお土産に「江戸帖」と題した2013年のダイヤリーをいただいた。江戸東京の伝統的な着物の柄や、微妙な色合い、(城)下町の趣味を強く意識した装丁とデザインで美しい。つかわれているカラーは、いわゆる“すずめ色”+藍・紺が主体で、落ち着いていて見あきず、ひと目で気に入ってしまい愛用している。
 「江戸帖」の中から、染め呉服の老舗「竺仙」の5代目主人・小川文男の言葉を引用してみよう。
  ▼
 私たちには表舞台にこそ出てこないが、依然、綿々と流れている血のようなものがあるのだと小川氏は言う。だからデザインという目に見えるものに接したとき「あっ、いいじゃない。」と、魂が揺さぶられるのだと。/自然な暮らし方、環境にやさしい暮らし方がいいというだけならば、それは明治時代でもいいわけだ。しかし、そこには、自分たちが創り、積み重ねてきた文化はない。充てがわれた西洋の文化を日本風にアレンジしたにすぎないからだ。(江戸の美意識[デザイン]より)
  ▲
 

 さて、家に新しい娘が増え、また、もうひとりの娘がときどき顔を見せる昨今の情勢なのだが、彼女たちは若くて、それだけで十分に華やかで美しいのだから、ぜひ、この地方(とりあえず「日本橋」地域を希望)の美意識を体現した装いや姿恰好をしてほしいものだ。まかりまちがっても、地元の美意識をもった人たちから、「金魚」や「ちんどん」のうしろ指をさされるようにはならないでほしい。でも、うっかりそんな話を口にしようものなら、神田川や妙正寺川沿いに昔から数多く展開する、江戸友禅染めや江戸小紋の工房Click!へ引っぱっていかれ、「パパさん、これ欲っし~~!!」などと、ゼロがたくさん並んだ着物の前でいわれかねないので、ひっそり沈黙をつづけている。
 今年も「染の小路」Click!が、妙正寺川(上落合と旧・下落合の西部)を中心に開催されるそうだ。2月22日(金)・23日(土)・24日(日)のスケジュールで、美しい色合いの反物が川面を染める。その期間、わたしは女性陣からはちょっと・・・というか、できるだけ距離をおいてすごすことにしよう。

◆写真上:妙正寺川の川面に反物や浴衣地をわたした、「染の小道」による川のギャラリー。
◆写真中上:左は、わたしの親の世代までがよく着こなしていた“やたら縞”のしぶい色合いの柄。右は、いまの季節にぴったりな渋いねずみ(灰)の混ざった緑の“雪持笹”。
◆写真中下:5,000種類を超える型紙で無数の柄を創案する、江戸小紋の染めつけ作業。
◆写真下:上左は、伝統柄のひとつ“寒牡丹”。上右は、江戸美学研究会の編集による「江戸帖」。下は、神田川で捕獲されたアユたち。そろそろ、妙正寺川にももどっているだろうか。