さようなら、「カフェ杏奴」さん。 [気になる下落合]
わたしが、下落合でパイ専門店「ローリングピン」Click!さんとともに、もっとも多く通った喫茶店「カフェ杏奴」Click!さんが、2月いっぱいで閉店してしまう。開店当初から、13年間も通って情報交換や地域交流、そして取材資料の整理や記事の原稿書き、ときには仕事に利用してきた。ここの記事のおよそ4分の1ほどは、カフェ杏奴で仕上げたものだ。
改めて備えつけの杏奴ノートを開くと、2000年12月に当時は小学校低学年のオスガキの書きこみがすでにみえるので、わたしが「Chinchiko Papa」のハンドルネームを使いはじめたのもちょうど同じころだ。2004年に、カフェ杏奴で『ブログの力』出版にからんだ集まりが開かれ、ほどなく日本橋を中心とする下町Click!の物語をメインに書いてみようとブログを起ち上げたのだが、カフェ杏奴で知り合った玉井さんClick!に誘惑されw、目白文化村Click!について書きはじめたのが都合30年以上も暮らしている落合地域へこだわるきっかけとなり、つづいて同じくカフェ杏奴の常連だったsusumenysiさんClick!に、下落合と周辺域にまつわる怪談話の連載をとそそのかされてw、とうとう落合地域の各時代ごとの“ネバーエンディングストーリ―”Click!にはまってしまった。
つまり、すべてはカフェ杏奴からはじまっているのであり、落合地域全体のやや東側に位置する、いわば地域の一大拠点とでもいうべき存在になっていたのだ。だから、わたしはママさんからお父様が倒れ、その介護のために閉店すると突然聞かされたときには、まったく途方に暮れてしまった。折りしも、刷り上がったばかりの「中村彝―落合の画室(アトリエ)―」展Click!のリーフレットをとどけたばかりだった。さて、いったいどうしたものだろう?
わたしの場合、美味いコーヒーを飲みタバコを吸いながら、アタマの中で組みあがっている文脈を一気に記事へ落としていく書き方なのだが、なかなか家では雑用に気が散ってそれができない。だから、落合地域を取材がてら、あるいは散歩がてらに立ち寄るカフェ杏奴の快適な空間は、資料整理と原稿書きには願ってもないスペースだったのだ。
ほかにも、落合地域にはカフェや喫茶店が何軒かあるけれど、落ち着けなかったり禁煙だったり、またコーヒーが美味しくなかったり、地下で無線LANが入らなかったり・・・で、なかなかわたしにフィットするお店が見つからない。唯一、華洲園Click!(小滝台)の丘裾にある早稲田通りに面した上落合1丁目の喫茶店「Collie」は、とても気に入っているのだが家からはやや遠すぎる。
いっそ、高田馬場駅へ出てしまえば、学生時代から馴染みのJAZZ喫茶「Milestone」Click!も健在だし、あちこち喫茶店だらけなので困らないのだろうが、目白・落合・長崎地域の取材や散歩をしたあと、わざわざ高田馬場駅へ出るのも面倒くさい。やはり、下落合の自宅に近づいたときに立ち寄れていたカフェ杏奴は、わたしにとってはかけがえのない貴重な存在だった。
わたしも心底、困ってしまうのだが、もっと困りはてているのがカフェ杏奴に滞在していた画家のみなさんだ。2月末にカフェ杏奴を出なければならない、彼らの声をちょっと聞いてみよう。
「あのな~、わし~、どこにも行くとこ、あらへんし」
「なに言ってやがる、サエキくんClick!。ちゃんと新築で、ピッカピカのアトリエがあるじゃんか」
「そないなことゆうたかてな~、ソミヤはんClick!、アトリエだけとちゃいまんがな~」
「あん? どういう意味だい、サエキくん」
「アトリエだけならな、ええんやけどな~、オンちゃんClick!もな~、しっかりおんねんで」
「・・・・・・」
「そやさかいな~、なんとのう、帰りとないねん」
「・・・まあ、あたしゃなんとも言えねえがね」
「いまごろな~、小堀杏奴Click!とカフェ杏奴の文句ぎょうさんためてな、ジ~ッと待っとんのや」
「米子さんから、ダブル杏奴の文句とグチてえわけかい?」
「ほんまでっせ。あのな~、ヒヒヒヒヒのキーーーッゆうて、わしのことジッと待っとんのや~」
「なんだか、おっかねえな、サエキくん」
「ほんま、ビーナスはんはガブClick!ちゅうわけでな~、えろう怖いのんや」
「サエキくんは、まだいいじゃねえの。オレなんか、また宿なしのアトリエなしに逆もどりだぜ」
「わしもな~、ソミヤはんといっしょにな~、いっそ野宿でもしよかいな」
「キミたちも、マジに大変だねえ。2月末じゃ寒いし、野宿も野グソもこたえるよ。はっはっは」
「中村センセClick!はな~、昔のアトリエがもうすぐ完成やさかい、余裕でんがな~」
「そうだよ、ツネさんはなんの心配もいらないしさぁ」
「まあ、困ったらボクのアトリエへ来たまえ。少しの間だったら、キイおばさんの3畳間へ泊めてやってもいいと思ってるんだ。ソミヤくんに、え~と、キミは確か、サエキくん・・・だったかな?」
「わしもなんじゃ、中村くん。暮れにアトリエが青天の霹靂で壊されて、宿なしClick!なんや」
「おや、金山くんClick!もかい。じゃあ、そこらで踊らないなら、うちへ来るかい? はっはっは」
「ところで、中村センセ、地元新宿で初めての個展、おめでとうございます」
「おう、ありがとう、オサカベくん。これでやっと、胸のつかえが下りたよ。はっはっは」
「新宿中村屋から、ぎょうさん出品されるそうやないか」
「金山くん、中村屋ゆーな!」
「わしが聞いた話じゃ、中村くん、アトリエも、なんじゃ、俊子ちゃんだらけゆう話じゃ」
「俊子ゆーな!・・・」
「・・・しかし、こうるさい中村くんを黙らせるには、これがいちばんやな、人くん」
「あとな~、劉生センセとカルピスClick!でも、大人しくなるんやで~」
「劉生もゆーな! サエキくん!」
「でも、金山センセ、冗談からタライで、ほんとうにタライまわしになっちゃいましたよ」
「ふーーむ、わしたちの身のふり方も、困ったもんじゃな、人くん」
「いっそのこと、島津さんのアトリエClick!にでも行きますかね」
「わしも歳とったさかいな、らくClick!もチロリアンハウスより、和風の家が喜びそうじゃ」
「じゃあ、金山センセ、いっそのこと、フミコばばあの家にでもご厄介になりますか?」
「人くん、天下の林フミコさんを、ばばあ呼ばわりしちゃいかんな」
「だってだって、金山センセが、そう呼びはじめたんですよ!」
「わしゃ、そんな下品で悪い言葉づかいはせんぞ! きっと、なにかの聞きまちがえじゃ」
「・・・そうでしょうか」
「あたりまえじゃ。林フミコさんに、失礼やないか、人くん」
「そいえば、こないだ林さんがセンセの更地になったアトリエ跡にみえて、これでムウドンの丘Click!の眺めも、陽当たりもよくなったわ、ほんとスッキリしたこと、ホホホ・・・と喜んでましたね」
「・・・あっ、あの、口ぎたないフミコばばあが、そんなこと言いやがったんかい!?」
「ほらほら、いま、なんておっしゃいました?」
「・・・人くん、黙らっしゃい!」
やはり、画家のみなさんは、すっかり途方に暮れてしまっているのだ。さて、ほんとうに困った。わたしもこれから、休みの日にどこでコーヒーを飲み、どこで記事を書いたものだろう。ちなみに、2代目「カフェ杏奴」を継いでいただける方は、どこかにおられないだろうか?(;_;)
◆写真上:「中村彝」展の告知が貼られた、すっかりお馴染みの「カフェ杏奴」扉口にて。
◆写真中上:やさしい光が射す、13年間ですっかりお馴染みな「カフェ杏奴」の店内。
◆写真中下・下:杏奴のママさんに抱っこされてご機嫌のサエキくんと、宿なしアトリエなしになる画家たちの中で、ただひとり初期アトリエの復元と個展が近づいてはしゃぎまわる中村センセ。
『Journey To The One』は、あと1年ちょっとで学生時代が終わるころに出たアルバムで、印象に残っています。nice!をありがとうございました。>xml_xslさん
by ChinchikoPapa (2013-02-09 00:26)
新幹線に乗ってPCを使ってると、隣の方にひじが当たらないか気をつかいます。たまには、グリーン車へ乗ってみたいものです。nice!をありがとうございました。>うたぞーさん
by ChinchikoPapa (2013-02-09 00:46)
「今夜12時にキタザワさんのブログに杏奴のことが書かれるそうです」と、杏奴のあるじにきいて、初めて予告つきのエントリーを待っていました。行き場を失ったセンセたちの亡霊が連日連夜、鳩首悩みつづけているさまが思い浮かびますが、その中で一段と悩んでいるのがキタザワさんの生き霊。いや、死霊たちはいつでも何処へでも自由自在だからいいとしても、キタザワさんに限らず生き霊たちはこれからの数十年の行き場を失って徘徊を続けることになるんだと、私自身もあらためて途方に暮れます。店のあるじは、そういう生き霊たちの様子を見て、ちょっとおもしろがっているふしもある。せいぜいうろたえ途方に暮れるさまを、あるじに見せてやろうと私は思っています。
by ムラサキノウエ (2013-02-09 07:30)
お作に敬意。(関西ネイティブとしての)個人的には、佐伯祐三さんの大阪弁がよく周囲の東京言葉に混じらなかったものだなぁ、と思いました。
by yutakami (2013-02-09 08:12)
いやあ、ママさん(カフェ杏奴の)もPapaさんもすっごいかわいそう。私は行ったことはないけど、Papaさんの名の由来を知るために記事見たから、Papaさんとカフェ杏奴がどれほど深いえにしで結ばれてたかを想像すると、同情に堪えない。ママさんもお父様の介護大変ですね。お体に気をつけて。私も昨年愛用していた本屋さんが、一夜にして瓦礫と化していたのを見た時、なんとも言えぬ気持ちでした。
by Marigreen (2013-02-09 18:36)
行き付けの場所がなくなるのは、実に困ったことです。燕の来る軒が、改装で取り壊されてしまうようなものですね。残念です。
by アヨアン・イゴカー (2013-02-09 19:00)
本日、横浜のシルクセンター前を通ったのですが、群馬や長野から“シルクロード”を通って大量の絹が運ばれてきたんでしたね。nice!をありがとうございました。>NO14Ruggermanさん
by ChinchikoPapa (2013-02-09 22:07)
やはり、東京よりも3℃前後は気温が高いのか、きょう神奈川県で開花した枝垂れ梅を見かけました。nice!をありがとうございました。>kiyoさん
by ChinchikoPapa (2013-02-09 22:20)
いちばん最初に観た映画はなんだったのか、記憶が曖昧模糊としていますが、アニメの「鉄腕アトム」か「101匹ワンちゃん」のどちらかだったと思います。nice!をありがとうございました。>dendenmushiさん
by ChinchikoPapa (2013-02-09 22:26)
一瞬、ミュージアムショップでほんとうに酒を箱売りしているのかと思いました。w nice!をありがとうございました。>ryo1216さん
by ChinchikoPapa (2013-02-09 22:35)
ムラサキノウエさん、コメントをありがとうございます。
実は、あと10余年もたち仕事をやめて隠居をしたら、「杏奴」を“根城”に本格的な落合地域の情報拠点、あるいは取材・打ち合わせ拠点にしようと考え、楽しみにしていました。
佐伯祐三展について歴博の学芸員の方との打ち合わせも、また中村彝のアトリエ保存についての打ち合わせ、アトリエ復元についての建築家の方々との会合も、その他、さまざまな取材や打ち合わせも、すべて「杏奴」で行ってきました。
いままでは、「杏奴」を利用するといっても週一度の休日だけでしたが、隠居後は平日も含め、思いっきり活用しようと計画してたのですが、それもまったくかなわぬ夢となってしまいました。せいぜい通いつめ、「さよなら景気」でママさんを送り出してやろうと思います。w
by ChinchikoPapa (2013-02-09 22:57)
yutakamiさん、コメントとnice!をありがとうございます。
佐伯祐三は案外、東京言葉に染まらなかったようですね。近くに、鈴木誠(大阪)や里見勝蔵(京都)など、関西圏の友人たちがいたせいなのかもしれません。
by ChinchikoPapa (2013-02-09 23:02)
「いらしゃいませ」と「営業中」、面白いですね。しばらく見とれてしまいました。nice!をありがとうございました。>サルトさん
by ChinchikoPapa (2013-02-09 23:11)
昭和初期の関口教会と、国際聖母病院との往来を調べていくと面白いですね。公文書館にも、さまざまな資料が残っています。nice!をありがとうございました。>kurakichiさん
by ChinchikoPapa (2013-02-09 23:16)
Marigreenさん、コメントをありがとうございます。
しばらく、記事を書く場所がなく、気力も失せてしまうかもしれませんね。更新が滞ったら、ちょっとめげているな・・・と想像してください。w
しかし、長い間の習慣になっていた“居場所”が消えてなくなるのは、この年齢になるとかなりの苦痛で痛手です。ママさんは、「いつまでも、あると思うな親と杏奴」と、叱咤とも激励ともつかぬことを言いますが、それでもやはり空白は癒せませんね。
by ChinchikoPapa (2013-02-09 23:27)
きょうは、東横線・渋谷駅の地上駅を記憶にとどめるため、日本大通り駅から渋谷まで乗りました。nice!をありがとうございました。>opas10さん
by ChinchikoPapa (2013-02-09 23:30)
「アニバーサリー」は、早大の正門大通りにあるんですね。気づきませんでした。nice!をありがとうございました。>CROSTONさん
by ChinchikoPapa (2013-02-09 23:42)
きょうは横浜を散歩してきたのですが、街並みがせせこましくなくていいですね。久しぶりに元バイト先と、JAZZスポット跡めぐりをしてきました。nice!をありがとうございました。>銀鏡反応さん
by ChinchikoPapa (2013-02-09 23:47)
アヨアン・イゴカーさん、コメントとnice!をありがとうございます。
おそらく、わたしと同じように困ってる方が、たくさんいるのではないかと思います。絵画を展示している方はもちろん、赤塚不二夫プロのみなさん、ユニット「アイオラ」のおふたり・・・と、この店を拠点にされていた方々は、画家のみなさんに限らずかなり多そうです。w
by ChinchikoPapa (2013-02-09 23:51)
評判の作品なのですが、なんだか唐突に映画「ラ・ミゼラブル」が世の中に現れた・・・という感じがしていますね。nice!をありがとうございました。>月夜のうずのしゅげさん
by ChinchikoPapa (2013-02-09 23:57)
わたしが子どものころ、まるで“お約束”のように住宅の生垣にはマサキ、トイレや風呂場などがある家の日陰には、必ずヤツデが植えられていたものですが、最近はとんと見かけなくなりました。nice!をありがとうございました。>SILENTさん
by ChinchikoPapa (2013-02-10 00:48)
家の近くにある十三間通りでは、「ねずみ獲り」も仕掛けられていますが、住宅地の角にかくれて、獲物を狙う肉食獣のようによく白バイがよく停車してますね。nice!をありがとうございました。>駅員3さん
by ChinchikoPapa (2013-02-10 12:28)
資生堂の下請けをしていた中小企業の、連鎖倒産が心配ですね。
nice!をありがとうございました。>siroyagi2さん
by ChinchikoPapa (2013-02-10 19:37)
涙・涙・涙…
by tree2 (2013-02-12 15:31)
tree2さん、コメントとnice!をありがとうございます。
ほんとに、わたしも涙、涙…ですねえ。後継者は現れないでしょうか。
by ChinchikoPapa (2013-02-12 16:18)
こちらにも、nice!をありがとうございました。>suzuran6さん
by ChinchikoPapa (2013-02-14 12:42)
こちらにも、nice!をありがとうございました。>sonicさん
by ChinchikoPapa (2013-02-18 13:06)
ごていねいに、こちらにもnice!をありがとうございました。>タッチおじさんさん
by ChinchikoPapa (2013-02-19 20:24)
記事にたびたび登場の「カフェ杏奴」。Chinchikoさんの別宅だったんですね。大変残念です。いちばんしょげているのは画家のみなさん以上にChinchikoさんですね。
by sig (2013-03-07 00:41)
sigさん、コメントとnice!をありがとうございます。
2月28日に、「杏奴」は予定どおり閉店してしまいました。残念ですね。
ただ、カフェの後継者の方が手を挙げてくださいまして、1ヶ月の引き継ぎ期間ののち、4月1日から店名も新たに再オープンすることになりました。うれしいのは、コーヒーの「杏奴ブレンド」がそのまま継承されて残ることです。w
by ChinchikoPapa (2013-03-07 11:04)
店名が変わるのは寂しいですが、Chinchikoさんの居場所がよみがえるのですから、仕方ありませんね。
by sig (2013-03-17 17:34)
sigさん、こちらにもコメントとnice!をありがとうございます。
なんとか、お店を継承してくださる方がおられるので、スペースは確保できましたけれど、やはりママさんがいないのは寂しいですねえ。
by ChinchikoPapa (2013-03-17 17:56)