1927年(昭和2)の4月16日から24日まで、佐伯祐三Click!は二科の石井柏亭Click!の推薦により、新宿紀伊国屋書店の2階ギャラリーで初の個展Click!を開いている。その様子を取材した写真が残されているが、その個展会場にはいまだ発見されていない『下落合風景』と思われる、未知の風景作品Click!が写りこんでいた。きょうは、写真に偶然とらえられた『下落合風景』を再現し、それがどのような画面だったのかを想像してみるのがテーマだ。
 写真の画面を拡大し、改めて詳細に観察してみると、佐伯にしてはほんとうにめずらしく、上部に空を広く取り入れて描いてはいない。佐伯の風景画は、画角的に広めの視野(広角)でとらえたものが多く、画面の上半分がすべて空という作品も決してめずらしくない。パリ作品にも見られるが、特に『下落合風景』シリーズClick!にはその傾向が顕著だ。中には、画面の3分の2が空という作品もまれではない。この画面では、どうやら空は上部にほんの少ししか見えておらず、ほとんどが家々と道路の構成で占められているように見える。
 手前には、斜めに道路が描かれており、道路の端には電燈線か電力線の柱が描かれているようだ。電柱の様子から、柱の細い電信線(電話線)をわたした電柱(いわゆる電信柱)ではなく、東京電燈Click!が設置した電柱だろう。当時の電信柱は、電燈柱あるいは電力柱と区別するために、白木のままか、電柱が建てこんでいるところでは色を白く塗られているケースが多いが、描かれている電柱は太く、また白っぽい色には見えない。電柱の背後に連なっているのは、住宅の敷地に植えられた背の高いマサキのような生垣で、道路沿いに奥までつづいているように見える。ただし、奥まったところには、手前の生垣とは異なった質感表現が感じられるので、生垣ではなく大谷石ないしはコンクリートによる塀がつづいているのかもしれない。
 生垣の中には、家が2棟ないしは3棟ほど建っているように見える。明らかに、尖がり屋根の西洋館のような風情をしているが、手前の家の屋根には暖炉の煙突が描かれているようだ。奥にも、同様に尖がり屋根の西洋館らしい屋根が見えているが、手前の家屋が1階建てなのに対し、奥に描かれた家は屋根の高さから、どうやら屋根裏部屋のある2階建てのようだ。その中間にはもう1棟、家があるようにも見えるが、どちらかの家の庭木が見えているのかもしれない。
 
 家々の屋根は、陽光を強く反射しているのかほとんど白っぽく描かれている。関東大震災ののち、東京府が一時期だが条例で重たい瓦屋根を禁止していた期間があり、その間にスレート葺きやトタン葺き、あるいは「布瓦」葺きClick!の軽量な屋根が普及している。佐伯の『下落合風景』では、そんなスレートやトタンに光が反射しているのを表現したものか、雪でもないのに屋根の色をほとんど白っぽくとばして描かれている作品Click!を見かける。だが、写真の画面はスレートやトタンの“てかり”にしては、あまりに反射しすぎているように、あまりに白すぎるように感じるのだ。
 構図では、手前から奥へとつづいているように描かれた道路を見てみると、佐伯の画面では焦げ茶ないしは黒っぽい色で表現される路面の濃い土色ではなく、やはり白っぽく描かれている。しかも、道端にはなにやら白っぽいものが積み上げられているように見えるので、この画面は雪景色の住宅街を描いたものだ・・・と考えたほうが自然だろう。道路には雪が残り、土はぬかるんでいるにちがいない。また、家々の屋根にも降り積もった雪が溶けずに残っており、いまだ真冬の気温なのだろう、手前の洋館の屋根に設置された煙突からは、暖炉の煙が勢いよく吐き出されている。その煙のたなびき方から、風がやや出てきたようだ。
 例によって、とても拙くて恥ずかしいのだが、写真にとらえられた画面の構図を想定して再現してみたのが、冒頭のみすぼらしい拙画だ。写真の中央やや右側には、生垣の中に白い大きめな“点”が見えているが、タバコを吸う佐伯の横顔を撮影するときに焚いたフラッシュの残光だろうか。その光の点の下には、雪道を自転車で出かけた人物が、生垣の切れ目にある小さな通用門から、自転車を押して家の敷地内に入ろうとする姿が描かれている・・・と、わたしには見えている。あるいは、注文を訊きにきたか、商品を配達にきた近くの商店の御用聞きClick!かもしれない。
 
 このような生垣に囲まれた、尖がり屋根の西洋館が軒を連ねている街角は、大正末から昭和初期の下落合ではあちこちに見られるため、この作品の描画ポイントを特定することはむずかしい。目白文化村Click!のスキー場界隈か、あるいはアビラ村Click!まで足をのばしてモチーフを探したものか、または曾宮一念アトリエClick!があり、谷間の雪景色の作品群が現存している諏訪谷Click!を描いたものだろうか。佐伯は、1926年(大正15)から翌年にかけ、雪が降ると下落合と上高田の境界あたり、つまり下落合の最西端(佐伯アトリエからは1,500m以上離れている)まで出かけて『下落合風景』Click!を仕上げているので、アトリエの近所とは限らないのだ。
 ただし、1927年(昭和2)4月の個展に出品されている同作は、描かれてから間もない作品と想定することはできる。すると、3月に降った大雪の日の翌日、または翌々日あたりに制作されている公算がかなり高い。1927年(昭和2)の1月から3月まで、東京中央気象台の記録を参照すると、3月に画面のような積雪風景を想定できる雪の日が、都合3回あることがわかる。むしろ、1月と2月は積雪が少ない年だった。以下、降水量と降雪量に換算した数値とを併記してみよう。
 ・3月4日…1.4mm(降雪量7.0~14.0mm)
 ・3月5日…4.0mm(降雪量20.0~40.0mm)
 ・3月6日…快晴
 ・3月13日…35.2mm(降雪量176~352mm)
 ・3月14日…曇り
 ・3月20日…46.1mm(降雪量230.5~461mm)
 ・3月21日…晴れ
 
 上記の中で、もっとも雪が降ったのは3月20日で、吹きだまりでは膝まで雪に埋まっただろう。13日の雪は、翌日が曇りで翌々日が雨のため、ほどなく溶けていると思われる。5日の雪は、前日からの積雪を含めてもせいぜい5cmほどだ。したがって、佐伯がこの風景画を仕上げたのは、3月20日の翌日である可能性がかなり高そうだ。おそらく佐伯は、その日のうちに画面を仕上げてしまい、4月に予定されている個展へのストック作品として、アトリエに置いておいたのだろう。

◆写真上:1927年(昭和2)4月の佐伯祐三展写真から、風景画を想定してみた拙画。
◆写真中上:左は、1927年(昭和2)4月に新宿紀伊国屋の2階ギャラリーで撮影された佐伯祐三。右は、その写真にとらえられた『下落合風景』とみられる作品の拡大。
◆写真中下:左は、戦前に撮影された尖がり屋根の西洋館が並ぶ第一文化村の街並み。右は、1927年(昭和2)ごろに制作された佐伯祐三『雪景色』。
◆写真下:左は、1927年(昭和2)に描かれた佐伯祐三『雪景色』。右は、1925年(大正14)ごろに制作されたとみられる第1次滞仏作品の佐伯祐三『パリ雪景』。