わたしは、なにか考えごとをしたりモノ想いに沈んでいたりすると、周囲の状況がまったく目や耳に入らないことがある。家の中でなら別にかまわないのだけれど、道を歩いているときや喫茶店など人が大勢集まるところでは、ちょっと困った状況になることがある。知り合いが隣りに座っても、なかなか気づかないことがあるのだ。
 先日も、下落合の街角で信号待ちをしているとき、なにかに気をとられて考えごとにふけっていたのだろう、声をかけられたのにまったく気づかなかったようなのだ。声をかけてくださったのは、昔住んでいた聖母坂にあるマンションにお住まいの美しい奥様なのだが、わたしはおそらく目白通りの建物疎開Click!とか、ますます動向が怪しい補助73号線Click!とか、なにかのテーマに強く気をとられ、あれこれ枝葉を拡げて考えごとをしていたのだろう、クルマの騒音もうるさかったのかもしれないが、その声がぜんぜん耳に入らなかった。あとで、「引っ越されたら、知らん顔ですのよ、まったく、もう!」と道で会った連れ合いが代わりに怒られて、わたしは初めて声をかけられたのを知ったという始末だ。
 同じようなことが、喫茶店でも起きている。隣りに知り合いが座っているのに、モノ想いと資料の読みこみと原稿書きに夢中で、PCを閉じるまで気づかないことがあった。また、“深度2,000m”ぐらいwのところで考えごとをしていて、急に隣りから声をかけられ、なかなか“浮上”できずに受け答えがシドロモドロになったこともある。要するに、なにかのテーマに入りこんでアタマが別の世界へ「いっちゃってる」状態のときは、周囲の存在や音がまったく目や耳に入らなくなる性格をしているようだ。ほんとに、困ったものだ。わたしの性格をよくご存じの方は、「あ、またあちら側へいっちゃってるね」と気の毒そうな表情をして苦笑するだけだが、そうでない方にはたいへん失礼な態度をとっていることになる。
  

  
 昔から、仕事の面でも同じことがいえるだろうか。だいじな原稿や大急ぎの企画書を書いているとき、ほかの業務や電話などにわずらわされるのがイヤで、外出して喫茶店で仕事をすることがたびたびあった。あるいは、社員たちが退社し電話もほとんどかかってこない、9時以降の深夜に仕事のはかどることが多かった。ただし、道を歩いていて知り合いに気づかないことはときどきあったが、人に声をかけられて耳に入らないということはなかったように思う。(実は、自分が気づかないだけかもしれないのだが……^^;) なにかに集中していると、周囲の状況が非常に見えにくくなるのは、ときに本を読んでいたり映画鑑賞をしているときにも、まま起きるようだ。
 会社の原稿や企画書を仕上げるときもそうだが、このサイトの原稿を書くときも、わたしは昔からアウトラインプロセッサを使わない。いまのOfficeツールやエディタには、たいがい装備されている機能なのたが、だいたいの構成をアタマの中で想定して決めたあと、わたしはじかに最初から書きはじめてしまう。書く予定のテーマや項目を、あらかじめアウトラインプロセッサで整理して、全体の構成や流れをつかんでから書けば、かなり効率的で楽なのはわかるのだけれど、どうもそのやり方がつまらなく感じ、わたしの性には合わないらしい。最初にカッチリと構成や流れを決め、確固とした枠組みや囲いを設定してしまうと、そこから派生する別の枝葉的なテーマが逆に抑制され、どこか活きいきとしたふくらみや余裕のない、痩せて味気ない文章になってしまうように感じられるからだと思う。
  

  
 アタマの中で、だいたいの文章構成や文脈の流れを想定したら、一気に書き落としていくというやり方が、わたしの性には合っているようだ。だから、そのような作業中は必然的に精神や思考の集中を要求されるので、とたんに周囲の状況が見えにくく、あるいは聞こえにくくなってしまうのだろう。また、同時に人から邪魔されることをどこかで強く拒否したいものか、無意識のうちに目や耳をふさいでいるのかもしれない。アタマの中で組みあがった思考や文脈が、外からの力で瓦解・霧散してしまうのを怖れる不器用なわたしは、無意識のうちに視覚や聴覚をことさら鈍化させているのかもしれない。
 昔は、30分ほどで仕上げていたここの記事が、原稿量の増加や盛りこむ要素の拡大、さらに多彩なテーマが錯綜してくるとともに、いまでは書くのにたっぷり1時間はかかるようになってしまった。つまり、アタマが現実の世界から“別の世界”へ「いっちゃってる」状況が、だんだん長くなってきている……ということなのだろう。これは、原稿を書くという作業に限らず、なにかを考え想像するという行為の最中にも起きている現象のようだ。それは多くの場合、ひとりで道を歩いているとき、乗り物を利用しているとき、喫茶店でコーヒーを飲みながら資料に目を通しているときなど、とりあえずはなにかに気を散らせる必要のない、自分にとっての“自由時間”に発症しているらしい。
  

 下落合に住む大勢の友人・知人のみなさま、路上でわたしに出会い、笑顔を見せたのになぜか知らん顔された…、「きょうは、どちらへ?」と声をかけたのに無視された…、せっかくすれ違いざま投げキスをしたのに気づかれなかった(爆!)…、暗闇から化けて出たのに見向きもされなかった(猛爆!)…というような経験を、もしお持ちの方がいらっしゃるとすれば、それは深い水底に沈んで考えごとをしていたせいなので、どうかご容赦いただきたい。そういうときは、「ああ、完全にあっち側へいっちゃってるね」と、憐みの表情を浮かべて静かに見送っていただければ幸いだ。

◆写真:わたしのアタマの中を巡っているのは、たとえばこんなテーマたち。
◆写真下:K建設のビルが解体され、旧・新宿中央図書館のコンクリート建築も同時に解体中だ。そろそろなんとかしないと、補助73号線計画により鎌倉期に拓かれた七曲坂から目白通りまでの家々が消える日Click!も、そう遠くないかもしれない。また、昨年は目白通りのイチョウ並木の一部伐採が問題になったが、水道工事のため新目白通りに45年越しに育った、スズカケの街路樹北側を伐採すると聞いた。なお、伐採後の具体的な再植樹の計画は当面ないという。温暖化による気象の不安定化が深刻な課題となっている、21世紀の都市とは思えない無神経な仕事だ。