1921年(大正10)の秋、柳原白蓮Click!(伊藤白蓮)と宮崎龍介Click!の「恋愛事件」が新聞Click!や雑誌を賑わしたあと、翌年から婦人雑誌を中心に日本における「離婚事情」をテーマにする記事が急増している。1922年(大正11)に発行された「婦人之友」12月号に掲載の、平林初之輔「現代に於ける離婚の自由」もそんな評論のひとつだ。
 平林初之輔は、多くの興味本位でセンセーショナルな「離婚騒動」記事とは異なり、なぜ愛情もない夫婦が別れもせずに結婚生活をつづけているのかを、大正デモクラシーを背景にした社会情勢や思想的な背景を踏まえつつ、分析的にとらえている点でめずらしい記事だ。当時の平林は、国際通信社に勤めながら東京版の雑誌「種蒔く人」の創刊に関わっていたころで、さまざまな社会評論や記事を精力的に執筆していた。平林の「現代に於ける離婚の自由」から、その冒頭部分を引用してみよう。
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 伊藤白蓮夫人の離婚問題が世の中を騒がした時、輿論は多く白蓮夫人に同情し、その離婚を正常だとした。そして、互いに理解のない夫婦や愛情のなくなつた夫婦は速かに離婚するのが当然だと主張する議論が優勢だつた。その後に生じた色々の離婚問題についても世人の輿論は、大抵これに類似の自由主義の見解に傾いてゐた。愛のない、理解のない結婚などは須らく解体してしまうがよいといふ説が大部分だつた。これに反対するのは、たゞ旧式のわからずやだけだつた。
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 「婦人之友」の平林は、「結婚は恋愛の墓場」あるいは「結婚は幸福の墓場」だというアフォリズムを認めたうえで、日本人はなぜ退屈で事務的な夫婦生活をつづけるのかという課題を、もう一歩踏みこんで考察している。しかも、「甲斐性」のある男は、芸者遊びや売春婦相手の「女道楽」を少しぐらいやったとしても、ほめられこそすれ離婚の原因とはならず、妻も「黙認」して平然と結婚生活を継続するには、そこに大きな理由がなければならないとしている。
 また、夫婦(男女)間で対話や理解もなく、むしろお互いに心の底からが憎みあって、家庭内でも満足に口をきかず、よそへ出かけると連れ合いの悪口をさんざんいいふらしながら、それでも離婚せずに「くされ縁」をつづけるような奇妙な現象はどうして起きるのか?……。宮崎白蓮を端緒とした「離婚」という、どちらかといえば興味本位でセンセーショナルな記事が多い婦人誌の中で、「婦人之友」(婦人之友社Click!)というメディアのせいもあるのだろう、平林はマジメな分析をつづけながら“婦人”たちに語りかけていく。
 
 自由主義的な思想基盤に立てば、まったく「愛のない」「理解のない」結婚生活を送ることは、偽善であり不道徳だということになるが、換言すればお互い愛のある理解に富んだ夫婦が、はたしてどれほどの割合いで大正期の日本に存在しているのかも疑問だとしている。それにもかかわらず、別に離婚もせずに形式主義的な夫婦生活をつづけている理由は、なにか別の要因がなければならないとして、女性の経済的な基盤の不在を指摘している。再び、同誌から引用してみよう。
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 その理由の第一は経済的の(ママ)理由である。今日は離婚に対して法律で別段厳しい制裁が加へられてゐるわけではない。(中略) しかし今日では日本でも西洋でも、結婚は大抵民事結婚になつてゐるので、離婚は法律上では比較的容易である。離婚に対する権利が男女全く平等であるとは言へないが、多くの国では婦人の離婚請求権も認められてゐる。然るに離婚が比較的尠い。殊に「愛」や「理解」のための離婚はごく少ない、それだからこそ新聞種になるのであるが----。それは単に法律上の手続きが面倒な(ママ)からであらうか。否、今言つたやうにそれは経済的の(ママ)理由によるのである。(カッコ内引用者註)
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 このあと、夫婦関係と雇用関係とは次元のちがうテーマだと断りつつも、雇い主と社員との契約はまったく自由であるにもかかわらず、ひどく踏みつけにされている悪条件の労働環境なのに、会社を辞めて別の会社へ再就職しないのは失業することを極端に怖れているからであり、多くの場合、労働者が独立して生活を営むだけの技術やノウハウが未熟で、ひいては経済的な実力を備えていないからだと分析している。


 そして、夫婦関係がより深刻なのは、女性に経済的な基盤を形成させるだけの仕事が、日本の現実社会(大正期)にはきわめて稀有であり、それは労働者の経済的な基盤以上に、輪をかけて深刻な課題であるとしている。
 嫁入りを前に、当時の親たちがよく娘婿に向かって依願するセリフとして、「あまり困らずに食はせてさへ貰へたら……」という、女性にとっては屈辱的な言葉を引用し、あえて「恐ろしい言葉である」と書く平林初之輔は、大正期とは思えない今日的な視点や感覚を備えていたのがわかる。そして、このような封建的(江戸期以前の武家的)な社会規範や男女関係を支える社会秩序は、(大正期の)日本から「廃止」されなければならないと結論づけている。つづけて、同記事から引用してみよう。
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 既にして結婚が経済的必要によりて行はれるとすれば、離婚も亦経済的必要に支配されるのは当然である。愛のない結婚や、理解のない結婚がつゞけられてゐる主要原因はこの経済的原因なのである。労働者にとつて失業の自由、雇主から独立する自由が、餓死の自由に過ぎないと同じやうに、婦人にとつては離婚の自由の(ママ)矢張り餓死の自由に外ならぬからである。愛がなくなつた、理解がなくなつたといふだけの理由できれいさつぱりと離婚できないのはこのためである。男子が支配権をにぎつてゐる今日の社会秩序は、実に、男子が婦人の経済的独立を奪つて、その咽喉首をおさへてゐるために維持されてゐるのである。そこで婦人の経済的独立は今日の社会秩序の廃止を意味する。
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 まるで、「婦人之友」の読者諸君に「蹶起せよ!」とアジッている檄文のような記事だが、平林が書いている「廃止」すべき封建的な残滓を多分に残した時代遅れの「社会秩序」は、膨大な犠牲を払って1945年(昭和20)8月15日を境に破滅した(はずだった)。


 現在、この文章を読んで「なんのこと? どーゆーことよ?」と不可解に感じる女性もいれば、「平林がこれを書いてから94年もたつのに、相変わらずの社会なんだよね」と、憤りをおぼえる女性もいるだろう。「男女平等」や「女性の社会進出」とかがいわれて70年近くが経過しているが、貧富の格差がますます拡がる社会状況の中で、実際にリアルな餓死の危機にさらされている母子家庭がある。戦後の食糧難時代じゃあるまいし、「欠食児童」がニュースで取り上げられる戦後政治とは、いったいなんなのだろう?

◆写真上:現代の結婚式(浅草寺にて)。
◆写真中上:左は、平林初之輔の「現代に於ける離婚の自由」が掲載された1922年(大正11)発行の「婦人之友」12月号。右は、江戸時代の結婚式。
◆写真中下:上は大正期の結婚式(築地本願寺にて)と、下は昭和初期の結婚式。
◆写真下:現代の結婚式で、下落合にて(上)と下町にて(下)。