下落合の一ノ坂上に住んだ矢田津世子Click!は、大正期の吉屋信子Click!と同じように近未来へ向けた不安を、より具体的な表現で口に(文章化)している。吉屋信子は、関東大震災Click!の直後に戒厳令が布告された東京市街を見て、自由にモノがいえず、想いがそのまま書けなくなるファシズム的な軍国主義の招来を早くも予言Click!している。一方、矢田津世子はそれから13年余ののち、二二六事件Click!から1年後の「不安な時代」といわれた1937年(昭和12)に、大日本帝国が破産へ向けて助走し、人々が刹那的に生きる様子を見て社会の目に見えない動揺を、期せずして的確かつ敏感に記録している。
 矢田津世子は1933年(昭和8)7月、共産党へのカンパ容疑を名目に戸塚署の特高Click!に検挙され、10日間にわたり拘留されている。もちろん特高は、作家としての矢田津世子に対する自由表現への弾圧が主目的だったのだろうが、彼女はこの10日間の留置で身体を壊し、のちの肋膜炎や肺結核を発症するきっかけとなった。危機を予感させる社会不安をストレートに表現したこの文章も、当然ながら特高の検閲係が目を光らせていただろう。1937年(昭和12)2月9日発行の「北海道帝国大学新聞」に掲載された、矢田津世子『三畳独語』から引用してみよう。
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 「不安な時代」といふことが云はれてゐる。会ふ人毎にそれを口にして、一体私たちはどうなるんでせう? と落ちつきのない暗い顔をする。街を歩いてゐても、電車に乗つてゐても、その顔に行き会ふ。誰でもが新聞の政治面に気をとられる。「国家」とか「増税」とか「戦争」とかの言葉が、易く人の口にのぼる。食堂でも、プラツト・ホームでも、家庭でも、新内閣の誕生が語られる。誰でもそれに期待をもち、こんどの内閣こそは不安を払つてくれるだらう、と、もう信頼したやうな気もちでゐる。これまでに、何度このやうな期待をかけてきたかをもう忘れてしまつて……/今までにないことである。人々の表情にこのやうな動揺があらはれ、一種の殺気が感じとられるのは。何ものかに追はれてゐるやうな遽(あわただ)しい心になつて、せかせかとその日その日を過してゐる。(カッコ内引用者註)
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 なんだか、現代の状況を表現しているようにも聞こえるが、矢田津世子が書いているのは79年前の日本の世相だ。ちなみに「新内閣」とは、同年2月2日に成立した陸軍大将(予備役)の林銑十郎内閣のことだが、わずか4ヶ月後の6月に「何もせんじゅうろう内閣」などといわれて瓦解し、そのあとを受け戦争と亡国・破産への道を転がり落ちていったのが近衛文麿Click!内閣だった。
 
 さて、矢田津世子が特高に検挙される以前、いまだ自由にモノが書けていた時代に、彼女は本来の小説作品とは別に、面白いエッセイをあちこちに残している。中でも、男をアニマルにたとえて分類した文章は秀逸で、読んでいてつい笑ってしまった。こういう男を揶揄し笑いとばす文章にも、おそらく当時の男女観からすれば、特高の検閲係や刑事たちには苦々しく感じられていたのだろう。ちなみに、彼女の内面にはその外見とは裏腹に、非常に“男っぽい”側面を感じることがある。
 1930年(昭和5)の「正鞜派文学」8月号に発表された、矢田津世子『獣化した男二三』には狐男(キツネ)をはじめ、熊男(クマ)、鷺男(サギ)、羊男(ヒツジ)、猫男(ネコ)、栗鼠男(リス)、野守男(ヤモリ)などが登場している。それぞれ男の性格を細かく引用すると、記事が長くなるばかりなので、一覧表にして分類してみよう。

 このほかに、矢田津世子はネコ男やリス男、ヤモリ男などの名前を上げているけれど、残念ながら原稿の紙数がつきて省略してしまっている。ヤモリ男などは、彼女のあとを尾行して下落合の家に張りついて離れない、ストーカー的な誰かを連想させる。もっと読みたくてしかたないのだが、「他日に譲」るとしているものの、続編は彼女の全集からいまだ発見できていない。
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 また猫のやうな男もゐる。リスのやうなのも生きてゐる。野守の如きも幅をきかしてゐる。併し、紙数に限りがあるから他日に譲らう。
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 矢田津世子のもとには、さまざまな男が立ち現われ、いい寄っては消えていっただろう。それら男たちの生態や性格を、彼女は小説家の眼でクールに突き放して観察しては、それぞれの類型に分類してニヤニヤしていたにちがいない。
 矢田津世子の『獣化した男二三』は前年、1929年(昭和4)発行の「女人藝術」2月号に掲載された「文壇動物園(女人入園無料)」Click!に刺激され、「わたしもやってみよう!」と思いついたのかもしれない。だが、「女人藝術」の編集部は、作家たちを単純にイメージで動物にたとえているのに比べ、『獣化した男二三』では明らかに女にいい寄る男を、いろいろな動物にカリカチュアライズしているのが特徴だ。前者はただ面白おかしいだけだが、後者はどこか艶やかで色っぽい。
 いわゆる世間から、当時は「美人」といわれていた女性の多くが備えていたであろう性格や習性、さらには考え方や感じ方をあらかじめ想定し、自身の経験や既知の規範をベースに、自信たっぷりな男たちは彼女へアプローチを繰り返したのだろうが、どうやら彼女はいずれの範疇にも当てはまらず、逆に人間観察の格好な標的や肥しにされてしまっていたようだ。男たちは、矢田津世子が「女」や「美人」であるよりも以前に、独自のオリジナリティをたいせつにする、怜悧な観察眼を備えた「作家」であることを忘れがちだったのかもしれない。

 さて、わたしはどの類型に分類されるのだろうか。どうやら草食系男子ではないと思われるので、肉食獣に分類されるのだろうが、寒さが苦手で冬はいつもヌクヌクしていたく、またひがな1日ウトウトと寝ているのも好きなので、きっと猫男に分類されるのかもしれない。でも、彼女が類型化していない動物に、異節上目有毛目のナマケモノがいる。

◆写真上:1935年(昭和10)前後の撮影と思われる、洋花の花束をもつ矢田津世子。蓮根か大根(?)干しだろうか、背後に写る農家の軒下とみられる風情との対比が面白い。
◆写真中上:左は、外出先で撮影された矢田津世子。外出には洋装で、家では和服が多かったようだ。右は、1989年(平成元)に小澤書店から出版された『矢田津世子全集』。
◆一覧中下:矢田津世子『獣化した男二三』(1930年)に登場するアニマル男たち。
◆写真下:矢田津世子邸が面していた一ノ坂からは、新宿方面が一望できる。