今年も、拙サイトをご覧のみなさまには、いろいろとたいへんお世話になりました。昨年(2016年)の暮れは、笑い納め小噺「下高田村『富士見茶屋(珍々亭)』異聞。」Click!を書きましたけれど、今年は同じ富士見茶屋(珍々亭)Click!の周辺を舞台に、ちょっと笑うに笑えない小噺をお送りします。来年もまた、拙サイトをよろしくお願いいたします。
  
 江戸郊外の下高田村にある金子直德Click!の自宅周辺が、なにやら不穏な様子。
「おいおい、直さん聞いたかい? 知らねえうちに、てえへんなことになってんの」
「また、とりこし八兵衛さん得意の、てえへんだがはじまってやがる」
「そいがさ、直さん、てえへんなんだって!」
「ここぁ下高田で、神田明神下の目明かしじゃねえてんだ」
「冗談いってる場合じゃねえんだってば、直さんよう」
「で、今度ぁなにがてえへんだ~なんだい?」
「そいがよ、句会の九園斎が、お奉行所に引っぱられちまったんだよう」
「…どうせ、あらかた鬼子母神にお詣りんきた、そこいらの娘に抱きついたんだろうよ。あの助平根性は死んでも治らねえ。…まさか、お藤ちゃんがらみじゃねえだろうな?」
「その、まさかなんだよう」
「とっ、とんでもねえ野郎だ! そいで、北かい、それとも南なのかい?」
「そいがさ、お取り調べが厳しい、北の月番なんだと」
「…あの早桶に両足つっこんだみてえな、歯抜けの助平ジジイをひっ捕まえて、いってえ北のお奉行所じゃどうしようてんだい?」
「その助平が問題さね。去年の句会で爺さん、お藤ちゃんに抱きついてたろ?」
「そう、そうだったな、七十(ひちじゅうClick!)にもなる歯抜けジジイがいい歳してさ」
「そいつを誰かが、お奉行所にタレこみゃがったのさ」
「タレこみ? そりゃ八丈にでも流しときゃいいたぁいったが、あたしじゃないよ」
「いや、身内じゃなくてさ、富士見の句会を目の敵にしてる、別の句会連中らしい」
「…つまらん! 実につまらん!」
「おや、直さん、また不機嫌な大滝秀治Click!さん、入ってるよ」
「…誰? ねえ、こないだからさ、誰だいそりゃ?」
「手鎖六十日ぐらいで済みゃいいが、百叩きなら爺さん、死んじまうぜ」
「まあ、九園斎にはかあいそうだが、そりゃ自業自得てえもんさね」
「そいによ、八丈より遠い無人島(ぶにんじま)てえ話もあるんだ」
「でもさ、お藤ちゃんがこれこれしかじかと、訴え出たわけじゃないんだろ?」
「そうなんだ。本人は別にどうってことなくてさ、ウッフンとかいっちゃってるだけ」
「おかしいじゃねえか、被害を受けた当人がウッフンで、どうして捕まるんだい」
「それそれ、お届けなしでも風俗紊乱のおそれとかで、ひっくくられたらしいや」
「そんなバカなことがあるかい、八兵衛さん」
「いや、もともとお奉行所ではさ、富士見茶屋での句会をよ、なにかよからん謀りごとをめぐらしてる集まりみてえに、前々から目ぇつけてたらしいんだな」
「じゃあだんじゃねえや、なんの謀りごとしてるてんだい?」
「直さんも機会さえありゃ、お藤ちゃんの胸、触ろうと謀りごとしてたろ?」
「ありゃわざとじゃない! つい手が出ちまったんだ」
「そんな言いわけは通らねえやな。しかもさ、それを見てて番所に届け出なかったおいらたちも、風俗紊乱の共謀でひっくくられるかもなんてぬかしゃがる」
「…おきゃがれてんだ!Click! 誰がそんなこといってやんだい? ええ?」
「目白山人がさ、半ベソで清風んちにやってきて、くっちゃべってったんだと」
「目白山人のやつ、どっかやましいとこでもあんじゃねえのか? お藤ちゃんの情けにすがった、月三日の逢い引きを断られて、句会を恨んでんじゃねえだろうな」


「そいからよ、富士見茶屋の句作もお奉行所では詮議してるてえ話だぜ、直さん」
「…俳句を詮議して、いってえどうするてんだい?」
「お上にタテつく句作がないか、目を光らしてるらしいやね」
「ふん、タテつく句はねえがな、揶揄する句ぐらいはありそうさね」
「そうそう、それがまずいってこった。茶屋の句会は表向きで、裏では畏れ多くもお上へ刃向かう、一揆の謀りごとをめぐらしてるんじゃねえかてえ話につながってんだ」
「…じゃっ、じゃあだんぬかすな! そんなベラボーな話があるかい、ええ?」
「直さんにも、そういう句作に心当たり、あるだろ?」
「あたしゃ、そんな野暮な句はつくりゃしません。お藤ちゃん一筋さね」
「でもさ、【あべ殿と背中合わせの悪寒かな】は、まずかったんじゃないのかい?」
「…あ、そいえば、そんな句も詠んだかな。けど、句会でじゃねえぜ」
「な? あるだろ。いまのご老中と結びつけちゃ、まずいんじゃないの?」
「いやいや、ありゃ京へ旅したおり、安倍晴明と妖怪変化の怖さを詠んだ句さな」
「お奉行所じゃ、そうは取らねえよ。ご老中の阿部安芸守様のことだと決めつけられちまえば、嫌も応もねえやな、そいでしょっぴかれて仕舞いさ。よくて手鎖六十日か百叩き、悪けりゃ江戸十里四方所払い、運が悪けりゃ八丈か無人島さね」
「…そ、そんなベラボーな話があるかい! バカらしいったらありゃしねえや」
「それにさ、【些乱れを集めてはやし無人島】てえ句も、直さん、たいがいまずいんじゃないかい? 芭蕉翁のパクリだてんで、翁の子孫に句作権の侵害で訴えられちまったら、おいらたちみんな共謀の罪でひっくくられちまうぜ」
「なんだい、その句作権てなぁさ? それに、そんなつまらん句詠んだかなぁ? …いちいち昔の駄作は、とんと憶えちゃいねえのさ」
「憶えてても憶えてなくても、お上が珍々亭の句会が気に入らなきゃよ、その句を詠んだときに関わった連中(れんじゅ)は、同人だろうが版元だろうが、その句を知らずに写した趣味人だろうが、みんなお白洲へ引きずり出されるてえ話だぜ」
「じゃあだんじゃねえや、八兵衛さん! そいじゃなにかい、お藤稲荷の講中の誰かがお藤ちゃんのお尻さわったら、祭りを仕切る講中から村を練り歩く御輿連中、囃子方まで丸ごと一蓮托生になっちまうじゃねえか」
「そうさ、だからてえへんなんだ。富士見茶屋も同人はむろん、句集の版元に本屋、それを買ったりもらったりした連中みんなが連座して危ねえてえこった」
「そんな、おきゃがれもんのご法度、いつできたんだい?」
「さあ、そりゃおいらたちが、お藤ちゃんにのぼせて夢中んなってたときらしいや」
「…そいや、こないだ、『富士見茶家』の句集の余分はあるかって、そこの番屋の奴が訊きにきたな。ほれ、番屋のなんつったかな、あばた面(づら)の男がさ」
「目明かしの萬七だろ? そりゃまずいやね、直さん」
「そうそう、萬七だ。そろそろ稼業をやめんから、俳句でもはじめるかとかなんとか」
「そりゃダメだ、直さん。…で、渡しちまったのかい?」
「いや、いま手もとに余分がないから、来年再版するてえいっといた」
「ダメだよ、直さん、そんなこといっちゃ。さぐり入れてきてんだよう」
「あいつはガキの時分から知っちゃいるが、下落合村の悪ガキどもに肥溜めん頭(おつむ)から放りこまれて、ピーピー泣いてたヤワなやつだ」
「だがよ、いまぁお奉行所につながる目明かしにゃちげえねえ」
「ふーむ、弱ったねえ。疑心暗鬼のいやなご時世さね。…お話んならねえやな」


「そいに、まだあんのよ、直さん」
「…今度はなんだい? 脅かしっかぁなしだぜ、八兵衛さん」
「ほれ、ふたりでこの前、板橋宿まで出かけて図絵入りの地誌本こさえたろ?」
「ああ、こさえた、『板橋徒然噺』。ありゃ、よくできた本だてえ評判だったな」
「いや、それがお上には不評をかってるらしいんだな」
「…なんでだい? 別にお上の気に触るこたぁ、一行も書いてねえやな」
「そだろ? だけどさ、今度、ほら京のナントカいうやんごとなき筋から、畏れ多くも将軍様が奥方様を娶られるてえ話があっただろ?」
「…ああ、なんだかそういう話ゃ、聞いたことあるな」
「そのやんごとなき行列はさ、京から中山道を通って大江戸に入る前、手前の板橋宿でご休憩とか、お仕度を整えられるてえことらしいやね」
「…だから、そいがどうしたんだい?」
「そいでさ、おいらたち、板橋宿の詳しい図絵を世間に出しちまったからさ、やんごとなき行列へ、なんか謀りごとがあんじゃねえかてえ嫌疑が…」
「バカぁいっちゃいけねえや! 冗談は馬のケツみてえな面だけにしてくれろ。お城の上様の嬶(かかあ)とあたしらの本と、ぜんたいどこでどうつながるてんだい!?」
「シーーッ、声が高いよ、直さん」
「じゃあだんいうない、地誌を書いてお咎めなら、そこいらの本は全滅じゃねえか」
「そいで、行列を襲って騒乱を起こし、あわよくば徳川様の世をひっくり返す、天一坊以来の一揆騒動になんとかかんとか、しゃあがねえ尾ひれまでひっついてんだな」
「いってえ、誰がそんなことをいいふらしてんだい? ええ?」
「おいら、目白山人と其鏡から聞いたんだ」
「野郎が雁首そろえて、お藤ちゃんを思いどおりにできねえからって、腹いせにあることねえこと触れまわってんじゃねえのか、ええ? いい加減な丁稚を上げゃがって」
「お奉行所ばかりじゃなくてよ、若年寄のご支配までが動いてるてえ話さね」
「火盗(かとう)までが出張ってるってか? じゃあだんがすぎら」
「そこいらの水車で、火薬こさえてないか調べてるてえウワサだわ」
「火盗だか北町奉行だか知らねえが、おとついきやがれてんだ、ったく」
「あ、そいや思い出した。直さんが毎朝、下落合村のお藤稲荷Click!へ油揚げ供えんのが、なんかの合図じゃねえかてえウワサも立ってるらしいや」
「バカぁいっちゃいけませんよ。お稲荷に油揚げ供えないで、なに供えるてんだい?」
「そこは、ほれ、直さん、あんころ餅とか、人形焼きとか、カステーロとか…」
「タヌキに食われんのがオチさね。…それに、あんた、そういう話じゃねえだろ」

 
「だけどさ、お奉行所のほうで一度そう決められちまった日にゃ、丁稚を上げるも下げるもねえやな。そのまま百叩きだろうが無人島(ぶにんじま)だろうが、お裁きが下るてえ寸法さね。…直さん、悪(わり)いな、またそこの煙草盆、ちょいと取っつくれ」
「そんな、バカみてえで勝手な話があるかい、ええ、八兵衛さんよ」
「おいらも、そうは思うけどさ、連中(れんじゅ)の真剣な口ぶりを聞いてるとなぁ」
「あの連中が真顔になるなぁ、お藤ちゃんの裾が乱れたときぐれえのもんさね」
「そいじゃ直さん、験直しに初詣はいっちょ、深川八幡Click!にでもいくかい?」
「やなこというない、ええ? 縁起でもねえ。…あ~、やだやだ、おっかねえ」
「…おや? 直さん、誰かきたみてえだぜ。…ほれ、戸を叩いてら」
「そろそろ戌ノ刻すぎだてえのに、いま時分どこの誰だい?」
「…さて、一服したらそろそろ、おいらは帰るとすら。邪魔したな、直さん」
「まだいいじゃねえか、宵の口さね。一杯ひっかけてきなさいよ」
「いやいやこれ以上、書き物の邪魔しちゃ悪(わり)いやね。つづきは、また明日…」
「…え? 誰だって? ……八兵衛さん、いま番屋の萬七が表にきてるんだとよ」
「………」

◆写真上:学習院キャンパス内のバッケ(崖地)Click!上にある、晩秋の富士見茶屋跡。
◆写真中上:同じく、目白崖線沿いの雑木林が色づく晩秋。
◆写真中下は、目白崖線沿いの分かれ道。は、同大キャンパス内にある「是ヨリ左ぞうしがや/右ほり之内」の道しるべ。「ほり之内」は、江戸期の堀之内村(杉並区)をさしているといわれているが方角が合わない。
◆写真下は、晩秋の学習院馬場Click!は、ともに今年(2017年)発行された雑誌と書籍で、岩波書店の「世界」5月号()と彩流社の海渡雄一『戦争する国のつくり方―「戦前」をくりかえさないために―』()。
文中の「共謀罪」による適用事例は、「世界」2017年5月号(岩波書店)および『戦争する国のつくり方』(彩流社)掲載の、同法における拡大解釈ケースを参考にしています。