戦後、それほど時間が経過しないうちに制作された映画には、非常にリアリティの高い表現を備えた作品がある。それは、戦後の混乱からそれほど時間が経過しておらず、街の風情や人々の生活風景に大きな齟齬がないからだろう。
 たとえば、戦後の混乱期に起きた事件を扱った作品などは、まさにその事件現場でロケーションを行なっているせいか、実際に事件を目撃しているような錯覚に陥る。ときおり当時の報道映像なども、シーンの合い間に織りこみながらモノクロの画面で見せられると、映像の質感がそれほど変わらないせいか、よけいに作品の世界へのめりこんでしまうのだ。そんな作品のひとつに、井上靖・原作の『黒い潮』がある。
 監督が山村聰Click!で、1954年(昭和29)に公開された『黒い潮』(日活)だが、この作品の主題である下山事件Click!(1949年7月5日)が発生してから井上靖の原作(小説)は3年後、山村聰が映画を撮影したのが4年半後と、ほとんど同時代の出来事だった。下山事件については、現在の解明度からは比較にならないほど、いまだ抽象的で漠然としたとらえ方のままだし、事件に関する追跡やトレースの仕方も、今日から見れば明らかに稚拙で、誤りや見当ちがいの箇所も散見される。
 同映画には、日本橋室町のライカビルに巣くっていた「矢板機関」の「ヤ」の字も出てこなければ、下落合4丁目2135番地(現・中井2丁目)に住んでいた「柿ノ木坂機関」の総帥・長光捷治Click!の「ナ」の字も出てこない。それでも、つい惹きこまれて見入ってしまうのは、事件当時の社会や世相、風景、人々の装い、話し方などまでが、ほとんど当時のまま記録されているからだろう。
 同作の出演者は、現代から見れば信じられないような名優ぞろいで、超豪華なオールスター映画とでもいうべきキャスティングになっている。監督の山村聰自身も、新聞記者役で出演しているが、ほかに滝沢修Click!千田是也Click!、信欣三、東野英治郎、芦田伸介、進藤英太郎Click!中村伸郎Click!、安部徹、下元勉、下條正巳、浜村純、内藤武敏、夏川静枝Click!、津島惠子、左幸子、沢村貞子……と、予算がいくらあっても足りないような顔ぶれだ。日活が、これほど力を入れて制作しているのは、世間ではいまだ下山事件に対する関心が非常に高かったせいなのだろう。
 下落合2丁目702番地(現・中落合2丁目)に住み、「下山事件研究会」を主宰した南原繁Click!も指摘しているように、戦後にようやく築かれた国民主権の民主主義国家を根底から揺るがし、戦前の「亡国」思想時代へと逆もどりさせかねないターニングポイント的な事件であるからこそ、途中で途切れることなく今日まで延々と捜査や調査、検証、取材が継承されてきているのにちがいない。井上靖の原作『黒い潮』と山村聰の同映画は、ともにその“初手”に起立する作品ということになるのだろう。
 同作は、さまざまな映画賞を受賞しているようだが、今日、熊井啓監督の『日本の熱い日々 謀殺下山事件』(1981年/松竹)よりも上映機会がなくなっている。



 もうひとつ、1964年(昭和39)に制作された映画に、『帝銀事件 死刑囚』(熊井啓監督/日活)がある。落合地域にお住まいの方ならご承知のように、1948年(昭和23)1月26日の午後、お隣りの長崎1丁目33番地の椎名町駅前に開店していた帝国銀行椎名町支店に、東京都のマークが入った「防疫班」の腕章をした男がGHQの名を騙って現れ、遅効性の青酸化合物Click!と思われる毒物を行員全員とその家族に飲ませて、12人を殺害し4人に重症を負わせた事件だ。
 事件から16年後、同映画では実際の報道映像をまじえながら、国際聖母病院Click!へ次々と運びこまれてくる被害者たちを描いている。もちろん、聖母病院のシーンは映画の創作映像だが、実際に同病院の入口からエントランスでロケーションが行われており、そこに集まった警官や救急隊員、報道関係者、大勢の野次馬たちを含めとてもリアルに描かれている。夜間の撮影だが、聖母病院側はよくロケを許可したものだ。群衆のどよめきや警官たちの怒鳴り声、飛び交う報道関係者の怒声、救急車やパトカーのサイレンなどがひっきりなしに響くのだけれど、さすがに夜間の病院ロケなので現場ではなるべく音が出ないように撮影し、喧騒音はあとからのエフェクトなのかもしれない。



 さて、帝銀事件に先立つこと7日前の同年1月19日には、その予行演習ともいうべき同様の事件が、下落合4丁目2080番地(現・中井2丁目)に開店していた三菱銀行中井支店Click!(旧・佐々木質店)で起きている。このときは未遂に終わっているが、映画『帝銀事件 死刑囚』には同銀中井支店の映像が登場している。(冒頭写真) 1964年(昭和39)の当時、三菱銀行中井支店はとうに別の場所へ移転するか統廃合されていたのだろうが、銀行として使われていた元質店の旧・佐々木邸は、同地番の位置にそのまま建っていた。
 1963年(昭和38)の時点で、西側の蔵は解体されていたようだが、東側の母家はそのまま残っている。したがって、同映画では旧・佐々木邸(1960年現在では「光橇園」と「みのり屋」として、なんらかの店舗に使われていたようだ)の門前と玄関口に、事件当時の三菱銀行中井支店の姿を再現している可能性がありそうだ。左手に蘭塔坂(二ノ坂)Click!つづきの道があり、右手にも直角に折れた道が通う角地の風情は、まさに三菱銀行中井支店の立地のとおりとなっている。
 同作品では、熊井啓監督ならではの凝り性というか几帳面さで、帝国銀行椎名町支店の平面図や現場写真から事件現場を忠実に再現しており、犯人の服装をはじめ犯行に使われた器具類、毒殺に使われた湯呑みにいたるまで、すべて証拠品や証言どおりのものを用意して撮影している。したがって、聖母病院を使った実際のロケーションも含めて考えると、三菱銀行中井支店も旧・佐々木邸の建物を利用して、警視庁などに保管されていた写真のとおりに再現している可能性が高いように思える。



 戦後の混乱期に起きた不可解な事件の数々を調べていると、事件の裏側に身を置いていた者たちと、事件の直接的な被害者Click!と、さらに事件を忘れずにどこまでも追究しつづける人々とを問わず、落合地域との関係が少なからず見えてくる。新たな資料や証言が次々と公開されるにつれ、多種多様な人たちが追究をつづけている現在、新たな事実が判明したら改めてこちらでご紹介したいと考えている。

◆写真上:1964年(昭和39)に公開された映画『帝銀事件 死刑囚』(熊井啓監督/日活)に登場した、下落合4丁目2080番地の三菱銀行中井支店。
◆写真中上:いずれも、1954年(昭和29)に公開された映画『黒い潮』(山村聰監督/日活)のシーンで、常磐線と東武伊勢崎線ガードが交差する事件現場に立つ新聞記者役の山村聰()、事件現場を空撮したたシーン()、東京が見わたせる新聞社屋上のシーン()。いずれも、下山事件からわずか4年半しか経過していない情景で、特に事件現場でのロケーションは周囲の風景も含めて貴重だ。また、立体交差する鉄路とカーブで見通しのきかない下段線路の構図が、張作霖爆殺現場に酷似している点に留意いただきたい。
◆写真中下は、松川事件Click!の1ヶ月前に起きた『黒い潮』挿入の三鷹事件映像。は、1948年(昭和23)1月26日に大量毒殺事件が起きた帝国銀行椎名町支店の外観と、銀行内部の事件現場の様子。
◆写真下は、下落合4丁目2080番地の三菱銀行中井支店跡。は、1964年(昭和39)に公開された映画『帝銀事件 死刑囚』(熊井啓監督/日活)の国際聖母病院でのロケーションシーン。は、1963年(昭和38)の空中写真にみる同銀行中井支店跡。