その昔、なんでもかんでも家具のような木枠のついた電器製品が流行ったことがある。テレビ、ステレオ、コンポーネントステレオ、ラジオ、オープンデッキ、冷蔵庫・・・etc.。でも、さすがに木枠のついた洗濯機やトースターの記憶はない。そういえば、家具調パソコンというのも、1980年代後半には出ていたように記憶する。重役の役員室へ導入したり、自宅の書斎へ置いたりするのが開発コンセプトだったのだろう。家具調度へと溶けこみ、機械臭を消してくれるので家庭でも違和感がなく設置できる・・・ということなのだろうが、逆に思いっきり浮いていた。
 たとえば、家具調テレビを観るときは、一種の儀式のような所作が必要だった。画面の前にたれ下がった、上品な刺繍柄も重々しい緞帳をあげ、そっとパワースイッチを入れて静かにチャンネルレバーをまわす。これは、おもに一家の父親の大事な役目だった。この刺繍緞帳テレビの前が、まるで仏壇のような観音開きの扉がついているテレビもあった。ステレオにも仏壇仕様の紫檀扉のついたものがあったようだが、わたしはの家には置いてなかった。パワースイッチを入れてから、ワクワク待つこと7~8秒ほどで、音が聞こえだし画面がふんわりと表れた。また、逆にスイッチを切ると、まるでオーブのような不気味な青白い発光体が、いつまでも画面の中心に残っていた。
 ある日、親父が緞帳をあげてスイッチを入れ、チャンネルをまわし始めたところで、レバーがぽろっと取れてしまったことがある。その瞬間、なんとも形容のしようのない沈黙と、つつがなく行われるべき儀式を中断されたときの、えもいわれぬ気まずい苛立たしさの空気の中で、親父はまるで何事もなかったようにレバーをもとのところへ差しこんだ。ほとんど数日で、このレバーは再び取れなくなっていたから、急いで電器屋を呼んで修理させたのだろう。家具調テレビのおごそかな儀式は、いつも滞りなく遂行されなければ許されないのだ。それほど、世間がテレビという機械にこだわっていた時代だった。

 いま、わが家で家具調電器製品を探してみると、オーディオ製品以外に見あたらない。テレビもステレオも、ラジオも冷蔵庫も、家具調デザインはほどなく絶滅してしまった。唯一、細々と生き残っているのはコンポーネントオーディオの世界だろうか。うちでも唯一、JAZZを聴くために使用している大昔のプリ/パワーアンプのデザインに面影を見ることができる。パワーを入れると、当時のおごそかな家具調電器製品のまぼろしがよみがえるようだ。

■写真:上は音羽・鳩山邸の居間にある東芝家具調テレビ。下はわが家に残る、1980年代の日本マランツ家具調アンプ。いまでも現役だ。