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昼なお怖いおばけ道あたり。 [気になる下落合]

 弁天通りを突きあたると、目前には府営住宅が拡がった。この一帯は空襲でもあまり焼けてはおらず、戦前の古い家屋をあちこちで発見することができる。第一文化村の商店街へと抜ける道には、昭和初期から戦後にかけては商店を営んでいたらしい古い家屋も見かける。
 この一画の南側に、住民から「おばけ道」と呼ばれている細い路地がある。戦前からさびしい細道だったらしく、おばけ道の呼称はかなり古い。この昼なお暗い路地を、カーブに沿って急ぎ足で歩いていくと、現在では十三間通り(新目白通り)へと抜けられるが、大正期は第二文化村へとつづく抜け道だった。おばけ道の周囲は、いまでもひっそりとしていて人の気配が少ない。
 文化村の子供たちは、親からこの近辺では遊ばないよう言われていたそうだ。また、女性のひとり歩きも危ないといわれ、戦後もずっと避けられていた。街灯も少なく、夜になると暗闇がことのほか濃かったようだ。文化村にしてはめずらしく、細い道が入り組んだ不思議な一画だ。つづきは・・・

「目白文化村」サイト Click!
■写真:通りへ向けて玄関を開放的に設計した大正期の邸宅。


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