手のつかぬ 月日ゆたかや 初暦
  初暦 知らぬ月日は 美しく
 おそらく新春に詠んだのだろう、『徳川の夫人たち』『女人平家』などの作品で有名な小説家、吉屋信子の俳句だ。第一文化村のこの界隈は、彼女が犬を連れて毎日散歩をするコースで、近所の人たちから頻繁に目撃されていた。当時、吉屋信子は第二文化村の外れ、中井駅へと下りられる南側の斜面に住んでいた。
 吉屋信子はまた、大正期から昭和初期にかけて少女小説で一世を風靡した作家でもある。竹久夢二をはじめ、中原淳一や蕗谷虹児などの、まつ毛が異様に長い少女のイラストとともに、『花物語』や『わすれなぐさ』、『お嬢さん』などいまでも読みつがれている作品を数多く残している。その中で描かれる、ハイカラでおしゃれで洗練された山手の生活環境は、もちろん目白文化村での生活スタイルをイメージしたものだった。大正から昭和にかけて、当時の少女たちが夢みた先進的なハイカラ生活を実現している街・・・、目白文化村はそんな側面をも備えた、少女たちあこがれの住宅街でもあった。
 向田邦子は、父親に吉屋作品をして「こんなベタベタしたものは読むことはない!」と怒られているが、友人から『花物語』を借りてひそかに読んでいる。「私のように戦前にセーラー服を着た女の子には懐かしい」とエッセイの中で書いているが、女学生の向田邦子にとっても目白文化村は、理想的であこがれの新しい生活環境と映っていたにちがいない。つづきは・・・

「目白文化村」サイト Click!
■写真:右のモノクロ写真は、河野伝が設計しサンポーチが評判になったN邸。左は現在の様子。

河野伝設計のN邸間取図/1923年(大正13)当時