以前、「下落合の原風景Click!という記事を載せたことがある。そこから、「下落合みどりトラスト基金」へ関わるきっかけができた。対象となった旧・前田子爵邸の森は奥まったところにあって、わたしもうっかり気づかずにいたエリアだった。だからこそ・・・というべきか、武蔵野原生林が息づく下落合らしさが、そしてタヌキに象徴的な生態系の保全された森がもっともよく残されていた。
 このお屋敷とともに眺める春のサクラは、おそらくこれが最後だろう。いまさらながら・・・だが、このお屋敷から前田家の家紋が発見された。家紋を欄間のデザインへ4つに分割するように配置し、総ヒノキ造りのぜいたくな部材をふんだんに使った建物は、江戸期のものも含まれているという。おそらくは、外様大名だったいずれかの前田家が徳川幕府に遠慮をしつつ、目立たぬように贅をつくして建築したのだろう。天井裏からは、切りとられた髷(まげ)とともに古文書も見つかっている。どのようないわれがあるものか、機会があったら解読してみたい。下落合への移築年代は、明治の末期から大正初期と、いままでの予測を大きくさかのぼった。
 それにしても、天井裏の髷はともかく、どうして昨年の12月に行われた新宿区の屋敷調査(文化財調査)で、欄間の家紋に気がつかないのだ? それが、大聖寺前田家にしろ富山前田家にしろ、子爵邸を移築したという伝承が地元に確かに残っているのだから、もう少し注意深く観察できなかったのだろうか? 解体・移築業者に“発見”され、新宿区の調査では見逃されてた・・・なんとも情けない、文化度のレベルの低さとともに、まったくの恥っつぁらしではないか。

 さて、江戸期の部材でできていて、前田家の家紋も発見され、ついでに古文書まで出てきてしまった、いまでは新宿区、いや淀橋區、いやいや内藤新宿の歴史でも飛びぬけて貴重な建築物だったはずの旧・前田邸が、新宿区の公園にも江戸東京たてもの園にも保存されず、4月28日までに都外へ消え去ろうとしている。目黒区によって駒場に大切に保存されている前田侯爵邸(昭和初期)Click!なんぞよりも、はるかに貴重な建築物だというのに・・・。
 こんなうかつなことしてて、いいんでしょうかね?>新宿区さん

下落合みどりトラスト基金

■写真:上は旧・前田子爵邸のパノラマ、下はその屋敷森から新宿都心方面を眺める。