このイギリス様式の洋館、館内へ入ると外にある看板が目につく。「左側のドアからお入りください」と書いてあるから、外へ出た人はまた左側のドアから入りたくなって、同じところを何度もグルグル廻りそうだ。そんなことは、どうでもいいんだけど・・・。
 ときどきふっと、のぞきたくなるのがこの洋館だ。なぜ立ち寄りたいのかというと、ガブの頭(かしら)がゾロゾロと、たくさん並んでいたからだ。(過去形) わたしは芝居は大好きだが、文楽はあまり好きではない。太竿の音がいかにも野暮ったく、でろでろ調(浪花節風のこと)の浄瑠璃がひどく耳障りだからだ。でも、ガブが登場する出し物だけは別だ。もう、ガブが出てくるだけで、うきうきわくわくドキドキ、いつ怒るかな、いつ切れるかな、いつ化けるかな・・・と、ただひたすらそればかりを楽しみに観ている。これは、子供のころからずっとそうだった。怖いもの見たさというのか、並みじゃない化け方のかわいらしさとでもいうのか、美しい女性がいきなり鬼になるガブのダイナミズムは、もう文章では決して表現できないほどいとおしくてたまらない。子供のときでさえあまり怖くはなく、むしろ国立劇場の小劇場で「あの人形が欲しい!・・・ほっしーーーーっ!!」と親にねだっていたぐらいなのだ。
 その昔、吉田文五郎という人形遣いの名人がいた。親の世代なら、その舞台をたっぷりと観ているはずだが、わたしが産まれるとほどなく亡くなっている。この人の娘人形(ガブ含む)の操りは、当代随一だったと親父からさんざん聞かされていた。ぜひ一度、吉田文五郎が操るガブを、生の舞台で観てみたかった。もしおカネをたくさん持ってたら、ガブ頭だけを集めた「いとしさガブのみ美術館」でも開きたいぐらいだ。それほど、なぜかガブに惹かれてしまうのだ。

 ところが最近、この洋館へ立ち寄ってもガブが見えなくなってしまった。昔は、あれほどたくさんのガブたちがいたのに、不評だったのだろうか、ただのひとりもいなくなってしまった。わたしはガッカリして帰途につくのだけれど、どこかに仕舞われているのだろう、大勢のガブ姫たちのことが気がかりで落ち着かない。なんとか、陽の目をみさせてあげたいのだけれど・・・。
 どなたか、ガブの頭を安くお譲りいただけませんか?

■写真上:??
■写真下:姐さん、かんざしゃ琉球珊瑚玉をかっしと刺したほうが屹度イキで似合うぜ。 げえっ、・・・な、なにやら地雷を踏んじまったかい? かんべんしておくんなさい。てえげえよくお似合いでさ。