韓国に「バカ映画」というジャンルがある。70年代から80年代にかけて、軍事独裁政権下で抑圧にさらされた人々は、なにも考えずに「バカ」を装って暮らすしかなかった。表現者はさらにシビアで、「思考」した多くの人々が投獄されたり拷問を受けたり、場合によっては殺されたりしている。それを避けるためには、あらゆる芸術が考えることを停止し「バカ」にならざるをえなかったのだ。
 掲題の「バカ映画」も、そんな流れの中で産みだされた、軍事独裁政権下の激しい弾圧にギリギリ抵抗するための表現だった。登場する人物たちは、そろいもそろって「バカ」なのだが、なぜか物事の本質をよくわきまえ、暮らしの知恵も限りなく豊富でしたたかなのだ。「バカ映画」シリーズの流れを創ったのは、1975年に『馬鹿たちの行進』を撮ったペ・チャンホ監督だといわれている。わたしは、彼の撮った『鯨とり-コレサニャン-』(1984年)が好きだ。
 別に「鯨」が登場する映画ではない。ひとりの学生と、ひとりの「乞食」が、ひとりの女をめぐって旅をする映画なのだが、その珍道中ぶりがなんともいえずおかしい。ちょうど、1972年に撮られた『あらかじめ失われた恋人たちよ』(清水邦夫・田原総一朗監督)を、もっとおもしろく野暮ったくして、「バカ」を徹底させたような作品。同じ監督のロードムービーで『神様こんにちは』(1987年)というのがあるのだが、こちらは残念ながら観ていない。
 「鯨とり」という語彙は、韓国では直接的に「男が一人前になる」という意味があるそうだが、もうひとつ別に「大望を成就させる」という隠喩もあるらしい。軍事独裁政権を倒して民主化しよう・・・という「大望」の匂いを嗅ぎつけたのか、当局は『馬鹿たちの行進』のテーマソング「鯨とりの歌」を放送禁止にしたが、のちに同監督の皮肉からか映画名として復活した。この映画に登場する、「バカ」でしたたかで陽気でとぼけた、最後には生命さえ落としそうになる「乞食」(アン・ソンギ)は、軍事政権による弾圧下の表現者そのものの姿なのかもしれない。

 話はまったく変わり、中村勘三郎襲名の芝居『一条大蔵譚』を観た。片岡仁左衛門に坂東玉三郎、中村雀右衛門・・・と、看板だらけのなんとも豪華な配役だ。源義朝の後室で、平清盛の愛人だった常盤を妻に迎えた一条大蔵卿は、都じゅうの笑いもの、どうしようもない「阿保」だった。ところがこの「阿保」卿は、平家の圧倒的な軍事政権下で鳴りをひそめている、バカを装う「作り阿保」だったのだ。邸内に入りこんでいる平家のスパイ(八剣勘解由)の目を誤魔化すために、終始、その「阿保」ぶりを発揮して周囲の失笑をかう。
 この一条大蔵卿の「阿保」ぶりが、あたかも松竹新喜劇の藤山寛美のように、この芝居の見所であり楽しみでもあるわけだが、『俊寛』とともに代々勘三郎の当たり役といってもいいだろう。どうしようもない「阿保」が、いざというときはシャキっとかっこよく、際立った登場のしかたをして周囲を驚かせる・・・というような筋書き。勘三郎の「阿保」からシャキへと変化(へんげ)するギャップが、見世どころの芝居なのだが、わたしは途中でなぜか、しきりに韓国の「バカ映画」を思い出してしまった。
 その「バカ」げたしぐさや言動が激しければ激しいほど、悲惨な抑圧にあえいでいる世の中ということになる。「バカ」さ加減のありさまは、切羽詰まった社会における深刻さのバロメーター・・・ともなりえるのだ。憶えておきたい。

■写真:上は『鯨とり-コレサニャン-』(ペ・チャンホ監督/1984年)、下は1955年(昭和30)ごろの『一条大蔵譚』で、大蔵卿は先代・中村勘三郎、お京は八代目・澤村宗十郎。先代の勘三郎は、今年の勘三郎にそっくりだ。