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落合第一小学校のあたり。 [気になる下落合]

 

 前回も書いたが、第四文化村の谷間にあたる低地区画は、箱根土地によって大規模な盛り土がなされ、道に沿って大谷石がうず高く積み上げられている。谷底に向かうにつれ、湿気を避けるためか盛り土が極端に高くなり、宅地自体を大きく押し上げているのがわかる。現在でも、大正期の石積みそのままの姿で残っており、箱根土地が開発した当時の様子を詳しく観察することができる。
 谷道の半ばへ出ると、右手の丘上に落合第一小学校の校舎が見えてくるので、第四文化村の急峻に落ち込んだ「谷戸」地形が実感できる。現在の落合一小の校舎は、目白文化村が開発された当初から数えて5回目に増改築された校舎だ。当初は、1911年(明治44)に建設された校舎で、佐伯祐三はこの校舎(多少増築されている)を描いている。つづいて、1927年(昭和2)に改築され、さらに1941年(昭和16)に増築されて「コ」の字型の空中写真に見られる校舎となる。
 このとき、落一小は「東京落合第一国民小学校」と改称され、生徒たちは小学生ではなく「小国民」と呼ばれていた。鉄筋2階建ての、まったく新しい校舎に生まれ変わるのが1974年(昭和49)なので、「コ」の字型校舎と校庭にポツンとあった桜の木を記憶している方が、目白文化村ではとっても多い。「不動谷」と誤って呼ばれた谷間の道は、やがてゆっくりとのぼり坂となり、落合第一小学校の正門前の道、つまり箱根土地本社の北辺の道へと出ることができた。
 さて、6ヶ月にわたってつづけてきた「目白文化村」シリーズだが、一応これですべての区画を巡ったことになる。ただし、いくつか取りこぼしているテーマがあるので、それらを「目白文化村・拾遺集」として引きつづき紹介していきたい。つづきは・・・

「目白文化村」サイト Click!
■写真は箱根土地本社側からの第四文化村入口、は1941年(昭和16)の落合第一小学校。


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