さて、第二夜は・・・。哲学堂の幽霊話を聞くようになったのは、いったいいつごろからのことだろうか? そんなに昔からのことではないように思う。わたしは学生時代、いまよりはるかに哲学堂に近い南長崎にアパートを借りて住んでいたが、近隣でそんな噂話はついぞ耳にしたことがなかった。でも、このところ下落合の近衛家「呪いの木」Click!の周辺とともに、やたら哲学堂の怪談を聞かされることが多い。
 ひとつは、哲学堂公園の入り口にたたずむ女・・・というシチュエーション。夜、哲学堂の近くを歩いていると、公園の入り口付近にボーッと女性がたたずんでいるのが見えるという。何気なく近くを通りすぎようとすると、その女がずっとこちらを向いていることに気がつく。怪しい人物が通るので、警戒して顔をこちらへ向けているのではない。身体全体が通りすぎる人物に向けて、足も動かさずにスーッと回転するように向きつづけるのだそうだ。だから、いくら歩いても、女性の正面の姿がずっと見えつづけることになる。それを見て、怖くて振り返られずにいると、うしろをついてくるらしい。でも、振り返ってしまうと、スッと消えてしまうのだそうだ。この話には、いくつかのバリエーションが存在する。

 もうひとつが、電話ボックスに出る幽霊。こちらも女性だが、昼間も出るのが特長のようだ。もっとも、携帯電話が普及したいま、この電話ボックスがそのままあるかどうかは定かでない。電話ボックスの中で、長い髪をたらしうつむきながら電話をかけている若い女性が見えている。ところが、目を離して再び見るとボックスには誰もいない。目の錯覚だと思って、もう一度見やると、やはり女性が電話をかけている・・・という展開だ。これは歩行者ばかりでなく、クルマで通りかかるドライバーからも頻繁に目撃された。走りながら電話ボックスを見ると、女性が電話をかけているのが見える。信号が赤になり停車してバックミラーを見ると、ボックスには誰もいないのだ。不思議に思って振り返ると、やはり誰も電話をかけていない。停車するまで非常に短い時間だが、電話をかけ終えてボックスを出たのだろうと解釈する。しかし、クルマを発進させて何気なくバックミラーを見ると、やはりさっきの女性が電話をかけているのだ。こちらも、少しずつ異なるバリエーションがいくつもあるようだ。
 哲学堂を建てた哲学館大学(現・東洋大学)の井上円了博士は、ここに四聖として孔子・釈迦・ソクラテス・カントを奉った。(4名の選択意図がよくわからない) だが、園内の哲理門には天狗や幽霊を配したように、井上円了はむしろ不気味な妖怪博士として有名だった。ここに寄宿していた折口信夫(釈迢空)は、哲学堂の人里離れた寂しさ、不気味さをこう書いている。
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 東京へ出るには、これから十余町を歩いて東中野へ出るか、も少し近かつた武蔵野鉄道の長崎駅から汽車に乗るか、それとも真直に六・七町東京の方へ向いて、椎名町のとつゝきまで出て、それから更に目白のすていしよんまで行かなければならなかつた。(『鑽仰庵』より)
  二三人汽車おり来つる高聲の こゝにして響くおし照る月夜
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 戦前は「麦原広原」(折口)の拡がる、とても寂しげな場所だったのだ。哲学堂に幽霊が頻繁にあらわれるのを聞いたら、井上博士はきっとシメシメしてやったりとほくそ笑むに違いない。ここはひとつ、自分もいっちょう出てやろうなんて思うだろうか。

■写真:上は哲学堂沿いの妙正寺川、下は公園内の六賢台。六賢とは、聖徳太子・菅原道真・荘子・朱子・龍樹・カピラの6名。こちらも、どのような基準で選んだ6人なのか、皆目見当もつかない。