第五夜は、地元が舞台。下落合にも、気味(きび)の悪いところがいくつかあった。廃屋がずっと残されていた、落合町議会議員の元S邸本家=現・野鳥の森公園も薄気味悪かったが、いまは樹木の伐りすぎで明るくなりすぎて、つまらなくなってしまった。もうひとつ、近くを通ると鳥肌が立った場所が、旧・林泉園沿いの突き当たりの一画にあった。わたしは学生時代、その邸宅を「お化け屋敷」と呼んでいたのだが、その西洋館が現・天皇の家庭教師であり、つい先ごろ亡くなったヴァイニング夫人邸だとわかったのは少しあとのことだ。奇しくも、ヴァイニング夫人が亡くなった1999年、この旧邸も同時に取り壊されている。
 すでに1970年代、その屋敷からは「異様」な雰囲気が醸し出されていた。その周辺にさしかかると、どんよりとした気配が一帯を包み込んでいて、「グズグズしないで、早く通りすぎなきゃ」・・・という、急かされるような感覚でいっぱいになった。身体じゅうの毛穴が開いて、得体の知れない「危機」を感知し、まるでウェストールの小説に出てくる主人公のように、アタマの中で誰かが「気をつけろ!」と叫んでいた。2階建ての屋敷の窓ガラスは、そのほとんどが割れていて、夜間にそこを通りかかると、窓の割れていないたったひと部屋だけに40Wぐらいのぼんやりとした黄色い灯りがともっていた。
★その後、お住まいだった方からご連絡をいただき、邸内に灯りが点いていた時期と、1階のガラスが割れていた時期とで、時代的な齟齬のあることが判明した。おそらく、ガラスが割れていたのは解体寸前の時期で、わたしがそれ以前の様子とを混同して記憶していたようだ。(コメント欄参照) お化け屋敷にしてしまって、すみません。<(_ _;)>>きーちゃんさん
 いったいどのような方が住まわれているのか不明だったが、一度、その窓越しに白い影が動いたことがある。夜間にもかかわらず、黒い影ではなく白い影だったのが異様で、あとも振り返らずに早足で歩き去った憶えがある。誰かが背後をついてくる気配が、ずっとつきまとって離れなかった。それほど「怖い」思いをしているのに、なにものかに惹きつけられるように、わたしは気がつくと、なぜかこの道を選んでしまっていることが多かった。いまでこそ、下落合の旧・林泉園界隈は明るくなったが、70年代はまだまだそこここに濃い闇が残っていた時代だ。

 昼間、屋敷前を通ると、うっそうとした濃い屋敷森に囲まれ壁面に蔦がからまる、ひび割れたコンクリート造りの洋館が垣間見られた。屋敷のデザインから、おそらく建築当初は白く明るい洒落た西洋館だったと思うのだが、わたしが見ていたころには初期の面影はまったくなく、まるで屋敷の周囲に重い“とばり”かなにかが下りてきてしまったような、その一画だけが異次元の空間のような雰囲気に包まれていた。それが、昼間は人気がないのに、夜になるとポッと暗い電球が点く廃墟に近い不気味さが、かえって怖いもの見たさの心根を刺激していたのかもしれない。
 いまでは、すっかり低層マンションになってしまい、当時の“とばり”は払拭されて、そんな「お化け屋敷」があったとは思えない風情になっているが、あの当時の、街灯が煌々としているのにその一画だけが、まるで光を吸収してしまうような底知れぬ暗黒を感じさせたのはどうしてだろう? 窓辺に漂った、あの白い影はいったい誰だったのか。そして、灯りが点いていたとはいえ、ほんとうに人が住んでいたかどうかさえ、いまや判然とはしないのだ。
 記憶が薄れて曖昧になるのではなく、はっきりとした記憶が残っているのに、ポッと灯った黄色い光さえ、幻だったような気がしてくる。こういう印象深いけれど曖昧な情景の記憶こそが、怪談を生む素地なのかもしれない。

■写真上:林泉園沿いの小路から、突き当りのヴァイニング夫人屋敷跡を見る。当時の不気味な面影はいまや皆無だ。
■写真下:1947年(昭和22)の空中写真に写る、林泉園端のヴァイニング夫人邸。ちょうどこの写真が撮られたとき、屋根の下にはヴァイニング夫人が住んでいたはずだ。点線は学生時代の、わたしの帰宅経路。この邸の前にも、戦災をまぬがれた美しい洋風のお屋敷が現存している。