この「下落合風景」は、かなりの特徴が見られる。手前に道があり、人物が右方向へと歩いている。中央にある電柱の背後に描かれた家は、間違いなく農家だ。天気が悪いにもかかわらず、農作業で汚れた衣類だろうか、洗濯物が干してあるのが見える。農家の背後にも、家がつづいているのがうかがえ、右手は畑か庭になっているようだ。この畑(?)の右すみにも、白っぽい服装の人物が描かれている。
 この農家の向こう側には、電柱の配置からおそらくは小路が通り、まるで府営住宅のような規格化された設計の、小さな住宅が規則正しく並んでいる。家々の向きから、おそらく右側が南の方角のように推定できる。地形はおしなべて平坦だが、目白崖線(バッケ)は見えずに、右手へやや傾斜していくような感じに映る。また、手前の路肩にはかなりの盛り土がなされ、土砂が崩れないよう頑強に補強されているのがわかる。

 昭和初期のこのような光景は、西武電気鉄道の中井駅(佐伯が描いた当時は営業開始直前)周辺か、あるいは目白崖線(バッケ)上の葛ヶ谷(西落合)に近いエリアにほぼ間違いない。農家らしい建物と、その横にあるスペース、そして規則正しく並ぶコンパクト住宅を目印にすれば、容易に見つけられそうだ。案のじょう、このような特徴的な家並みの場所はほとんどなく、すぐにそれらしい一画を見つけることができた。古い時代の「バッケが原」Click!の北端、中井駅北側の「六ノ坂」のさらに先にある、妙正寺川の河原だったエリアだ。昔の住所でいうと下落合4丁目2158~2159番地、現在の中井2丁目の西端にあたる場所だ。
 
 この絵の画角からいうと、農家の左手はほどなく崖状になっていて、その崖上には中井御霊神社があるのだが、視点を東南へ向けて描いているのでバッケはまったく見えない。絵の右手には西武電気鉄道が走り、そのすぐ南にはバッケが原の雑木林(現・落合公園)が拡がっているはずだ。昭和初期、西武電気鉄道に沿って西から東へ蛇行しながら流れている妙正寺川は、このあたりで急に北へと折れ曲がる。つまり、佐伯祐三の背後には妙正寺川が流れ、その土手にイーゼルを据えて、この絵を描いていたことになる。1m以上の盛り土をし、土砂が崩れないよう手前の道端が頑強に補強されているのは、大雨が降るとすぐそこを流れる妙正寺川が溢れていたせいなのかもしれない。
 
 現在のこの場所には、まったく当時の面影はない。目白大学の学生でにぎかな五ノ坂や、四ノ坂までもどれば、なんとか昭和初期の光景を想像することができる。ちなみに、この絵の場所を東へ300mほどもどった五ノ坂の手前に、戦前の林芙美子邸Click!があった。当時、佐伯の絵のような農家がまだ散在したこのあたり、右手に西武新宿線が走り、掘削されコンクリートの護岸が施された妙正寺川もほぼ同じ位置を流れているが、ほとんどの家々が建て替えられてしまった。ところどころに、昭和初期とみられる木造住宅が残っているが、当時を偲ばせるのどかな風情は皆無だ。

■写真上:佐伯祐三「下落合風景」(1926年ごろ)。
■写真中:左は、1936年(昭和11)の旧・下落合4丁目の同所。同じ規格のコンパクト住宅が増えているのかもしれない。右は、大正期の同所あたりの地図。
■写真下:左は佐伯の視点と、ほぼ同一ポイントから撮影したもの。当時の面影はゼロだ。右は付近に残る、作品とほぼ同時期に建てられたとみられる住宅。