この風景は、かつて佐伯祐三の『下落合風景』で観たことがある。下落合の空中写真を、ためつすがめつ眺めながら横目でにらんでいた作品だ。旧・下落合4丁目の西端、妙正寺川がほぼ直角に北上し、哲学堂のほうへと向かう中井御霊神社の下(南)あたりだ。画面の左側(北)へ向けて、地面はゆるやかにせり上がり、左の画角外あたりから急激なバッケ(崖)状となる地形だ。さて、またしても問題の描画ポイントへと回帰する。
 佐伯は、前年(1926年・大正15)の絵で、もう少し前の位置へイーゼルを据えて描いていた。描かれた風景は、当初、わたしは制作メモClick!の9月25日にある「曇日」ではないかと考えた。しかし、すー@上落合さんからその後「洗濯物のある風景」Click!ではないかとのご指摘を受けて、画集で細かく検討していたのだけれど、わたしもそうではないかと思う。ものたがひさんご指摘の、乳牛ホルスタインではないかとも疑ったけれど、微細に観察しても牛らしいフォルムは発見できなかった。佐伯が動物を描いた作品が少ないのでなんともいえないが、このシチュエーションで描いたら制作メモに「牛」と書き残しそうな気がするのだ。もっとも、1926年(大正15)の秋ではなく暮れの雪がない日の作品だった場合は、「曇日」でも「洗濯物のある風景」でもないということになるので、話が違ってくるのだが・・・。
 農作業で汚れた、なんらかの衣類あるいは敷布のようなものを洗濯して、雨が降りそうな日にもかかわらず干している・・・と、わたしは解釈したい。朝日晃も、そのように解釈しているようだ。(『佐伯祐三のパリ』) また、大正期の下落合に牧場があった・・・という記録を見ない。(上落合には存在していた) でも、小規模な搾乳農家ならあったかもしれない。
 
 さて、この作品は前回の「洗濯物のある風景」の描画ポイントよりも、さらに妙正寺川の河川敷に寄って描いている。佐伯がたたずんだ背後は、すぐに妙正寺川の小流れだろう。もっとも、現在の妙正寺川は小流れなどではなく、洪水防止のために深く掘削され、また川幅も大きく拡がっているので、このような描画位置は得られない。佐伯の立脚点は、いまでは川の中だ。
 やや左(南)傾斜した斜面に立っている電柱は、以前に描かれた「洗濯物のある風景」のものと寸分違わない。以前の作品では、この電柱の下を左から右へと横切る人物が描かれていた。また、前回の作品よりも、さらに空はどんよりと曇り積雪があったのたろう、そこここの地面が白くなっている。制作メモにある秋の連作ではなく、明らかに同年あるいは翌年の冬の風景だ。
 以前、雪が降った『下落合風景』に、佐伯アトリエのごく近辺が多かったため、「寒くて遠出はひかえたものか」Click!と書いたことがあるけれど、トンデモナイ。下落合の果てまでやってきて、作品を描いていた。この場所は下落合2157番地界隈、現在の中井2丁目28番地一帯、八ノ坂のさらに向こう側(西側)だ。いまにも雪がちらつきそうな空模様で、再び積雪がありそうな気配。暗い風景の中に、家々が地を這うように黒々と沈んでいる。
 佐伯祐三の四肢は固くかじかんでいたろうが、よく光る目は、せわしなく風景とキャンバスの間を行き来していただろう。妙正寺川のせせらぎも、彼の耳には入らなかったかもしれない。では、空中写真に描画ポイントClick!を加えてみよう。

■写真上:左は、佐伯祐三『下落合風景』(1927年・昭和2?)。右は、現在の同所を妙正寺川に架かる、やや北側の橋上から撮影したもの。作品の描画位置よりも、おそらく10mちょっとぐらい左側(北側)になる。当時は小川だった妙正寺川は、戦前から拡幅と掘削が繰り返され、いまでは佐伯の描画ポイントの河岸土手は川の中になってしまっている。
■写真下:左は、描画ポイントへと向かう西武新宿線沿いの中ノ道。やがて妙正寺川に突き当たり、この道も直角状に右(北)へと折れる。右は、1936年(昭和11)の空中写真。道や崖線、川と線路との位置関係を示す。